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第3話

 森の中を進みながら、だれかが「ねぇ、自己紹介しない?」と言った。

 顔を上げると、斜め前を歩いていたハーフツインテールの彼女と目が合った。どうやら、発言したのは彼女のようだ。

「私の名前はハル! 走ることが大好きな高校二年生! 学校では、陸上部に入ってます! 今日はちょっといろいろあって、久しぶりに家族に会いたいなって思って、あのバスに乗ったの」

 言い出しっぺのハーフツインテールの女性が、相変わらずよく通る声で挨拶をした。

「家族? お前の家族はそのアクアリウムに勤めてるのか?」

 自己紹介をしたハルさんのとなりを歩いていた背の高いメガネの女性が首を傾げて訊ねる。

「ううん。住んでるの」

 ――住んでる?

 前を歩くふたりの会話に首を傾げていると、となりの女性は納得したように頷いた。

「あぁ、なるほど。お前、もしかして人魚マーメイドか」

 ハッとしてハルさんを見る。

 ――人魚。

 となりの女性は今、たしかにそう言った。

「イエース!」

 ハルさんは、にっと歯を見せて笑いながら、ピースサインを私たちに向けた。

「私、人魚でーす」

「わっ……そうだったんですね!」

 活発そうで親しみの持てる笑顔を向けるハルさんは、言われてみれば、たしかに人魚っぽい気もする。

 ――そう。

 この世界には、いろんな種族がいる。

 人間、人魚族、狼族、小人、地底族、妖精、天狗、雪女……そのほか、私が知らない生き物もまだまだたくさんいるだろう。

 ハルさんはどうやら人魚らしい。

 ティーシャツとショートパンツから覗く手足はこんがり小麦色に焼けていて、ほっそりとしている。

 人魚族は基本みんな海で暮らしていると聞くが、ハルさんは例外だった。

 ハルさんは普段、地上で生活しているらしく、変身魔法で人間の姿になっているのだという。

「じゃあ次、あなたの番!」

 ハルさんが元気よく私を指名した。

「あ、えと……私はミオといいます。私は人間です。隣町の役場に勤めています。えっと……バスで帰宅中だったんですが、つい寝過ごしてしまって……気づいたら終点でした。あ、歳は十九です」

 自己紹介を終え、ふう、と息を吐く。

 ――緊張した。

 そういえば私、こういう自己紹介苦手だったなぁ、と学生時代を回顧する。

 ハルさんのように特技も好きなものもなく、生まれもふつうの私は、いつも小さな声で簡潔に挨拶をして終わりだった。

 私にもなにか特別なものがあればいいのに、と昔は思っていたけれど……今はもう、諦めてしまった。

 自己紹介を終えると、すぐとなりにいた物静かそうな女性に視線を流す。

「私はナツメ。大学三年。えっと……私は雪女と妖精のハーフ、です。今日は……なんとなく海を見たくなったので、ひとりで来ました」

 ナツメさんが話し終えるとほぼ同時に、ハルさんがナツメさんに飛び付いた。

「やっぱりスノーフェアリー!! なっちゃんってきれいだもんね! 空気感ひんやりしてるし、儚いし! 羨ましい〜」

「あ……そう?」

 ナツメさんは、どこか恐縮したような硬い笑みを浮かべていた。

 ――……本当、きれいで羨ましいな。

 しかし、羨ましいと思いながらもハルさんのように素直に口に出せない自分がいる。

「では、最後は私だな」

 まだ自己紹介をしていなかったメガネの女性が、顔の前に垂れた髪をさっと後ろへ流した。ふわりと甘い香りがした。

「私はイロハだ。警察庁けいさつちょうに勤務している。今日は急遽決まった地方への出張の帰りだったんだが、私としたことが、うっかり寝過ごしてしまって今ここにいる」

「うんうん! で、イロハっちは人間?」

 ハルさんはナツメさんから離れると、今度はイロハさんの肩に手を回した。

 ハルさんは人懐っこくて、距離が近いひとのようだ。イロハさんは一度眉を寄せてハルさんを睨んだものの、小さく「私は白鬼と人間のハーフだ」と返した。

 すると、だれより早くハルさんが声を上げた。

「マジ? 白鬼ってめっちゃエリートじゃん!」

「出自は関係ない。私は私だ」

「うわあ、その物言いが既にもう!」

 ――すごいなぁ……。みんな、特別なひとたちなんだ。私とは大違い。

「……人間は私だけなんですね」

 みんなそれぞれ、しっかりとしたアイデンティティがある。

 ――それに比べて、私は。

 私にはなにもない。立派な家柄も、きれいな容姿も、夢も、なにも。

 俯きかけたとき、ハルさんが私の肩をぽんっと叩いた。 

「ほら! 下向かないの! ここで出会ったのもなにかの縁だよ。今日は特別なアクアリウムで心も身体もほぐそう!」

「……はい。ありがとうございます」

 ハッと我に返って、再び足を前に踏み出す。

「アクアリウムなんて、子供の頃以来だな」

「私は初めて」

 顔を上げると、葉と葉の隙間から満天の星空が見えた。

 星々は、ちらちらと消えそうで消えない。儚い瞬きを繰り返していた。



 ***



 そうして私たちは、他愛のない話をしながらしばらく森の中を歩き続けた。

 しばらくして森を抜けると、入江に出た。

 目の前には、広大な海が広がっている。

 穏やかな海の上には、黄金色の満月と薄く筆で刷いたような雲が浮かんでいた。

 海面が月明かりにきらきらと煌めき、光がひとつの道のように、とある場所へと続いている。

「この月明かりが秘密の道なの。行くよ」

「えっ? でも、海の中ですよ?」

「そうよ。私たち、ハルちゃんと違って人魚じゃないから、水の中じゃ呼吸ができないわ」

「大丈夫、この辺はずっと浅瀬だから。あそこ、見て」

 ハルさんが指をさす。不思議な月光の道の先に、小さな洞窟どうくつが見えた。

「洞窟か。面白い」

「素敵。まるでおとぎ話みたいね」

「はぁ〜い、みなさん、私のあとに着いてきて〜」

 ハルさんが先陣を切り、海の中を進んでいく。

 パンプスが濡れることに一瞬躊躇ためらいを感じたものの、もうどうでもいいや、と思って一歩を踏み出した。

 とぷん、と柔らかい水の中に足が沈む。

 波が優しく私のくるぶしを撫でていく。

 九月の海の水は、少しひんやりとしていた。


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