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第31話 ショッピングモールの裏側

「お客様。あまりずぶ濡れのままのご来店はご遠慮頂きたいのですが……」

 AEDを持って来た従業員の他に、首からプレートを下げたスーツの男が店内に入ろうとしたあたし達に待ったをかける。


 確かに、髪からも制服の裾からもぼたぼたと水滴を垂らして歩く人間に店内を徘徊されたくはないよね。

「ああ。じゃあ外から回ります」

 一刻も早くこの場を立ち去りたいイチは、逆らわずに踵を返した。


「あのっ。何かお礼をさせて頂きます。お名前とか伺ってもいいですか?」

 さっきの母親が近寄って来る。

 無視して過ぎるわけにもいかず足を緩めた。


「イヤ。いいんです。本当に。お子さん病院に行かせて下さいね」

 母親に抱っこされて、その服にしっかりと掴まった男の子に小さく手を振ると、小さな手を振り返してくれる。


 かわいいっ。2歳くらいかなぁ。

 戻ってくれて本当に良かった。


 まったりしてるとイチに腕を引かれた。


「あの制服。森稜しんりょう高校だよね」




 モールの外面に並ぶ売り場を通り抜けていくと、背後から声を掛けられた。

「お客さまっ」

 振り返るとネームプレートを付けたさっきのスーツ。


「大変申し訳ありませんでした。他のお客さまの命を救って頂いていたとは知らず、失礼致しました。事務所の方でお話しを」

 日差しは暖かいけど、時折吹く風に濡れた身体が冷たくなる。


「ふぁっっくしゅん」

 なおも押し問答をしていた2人が、あたしのくしゃみに同時に振り返った。

「あ。ごめん」



 結果。風邪をひかれたら大変というスーツの主張が通り、外側の従業員通用口から中に通されることになった。

 ちょうど休憩時間に重なったらしく、物も人もわさわさしている広いバックヤードを通り抜け、細い廊下からドアのある一室に通される。


 中に入ると、売り場の制服を着た中年の女性がテーブルの上にタオルとビニールに入ったスウェットの上下をセットしてくれていた。


 さっきスーツが電話でSだのLだの安いヤツと話していたのはこの事だね。

「鈴木さん。お疲れ様です」

 スーツの一言に中年女性は一礼すると部屋を出て行った。


「奥に更衣室がありますから使って下さい」

 イチと顔を見合わせた。

「先行け」

「ん。ありがとう」


 タオルとスウェットを持って奥に入る。


 スカートとか絶対絞れるよ。

 一通り着替えて出てくると、スーツは居なくなっていた。


 入れ替わりにイチが奥に入って行く。

 小さなシンクでスカートを絞らせてもらうと、案の定ぼたぼたと雫が垂れる。


 どうやって持って帰ろう。

 てか、このスウェットで外歩きたくないんだど……。

 着替えさせてもらって、冷えからはだいぶ解放されたけど、一応花の16歳(笑)。このスウェットは、無い。


 肩から大判のタオルをかけて、小さなしっぽのポニーテールをほどく。

 わしわしと髪を拭いてスポバからくしを出し、テーブルに備えられたパイプ椅子に腰を下ろした。


「うわっ。このスウェットのペアルックはキツイなぁ」

 戻って来たイチの姿に吹き出しそうになる。


 濡れた制服をテーブルに投げ出して、イチもあたしの向かいのパイプ椅子にどかりと腰を下ろした。

「なんか一気に疲れたな」

「だねぇ」


 濡れた髪に櫛を通すと、イチの視線を感じた。

「カエが髪をほどいてるなんて、なんかレアだな」

 気付いたあたしに声を掛けてくる。


「バサバサしてると動くのに邪魔だし。でもショートにすると、朝寝癖を直してる時間が無いんだよね」

「女子力、女子力」

 イチが薄く笑う。


 ん、この顔。

「……どっちが似合う?」

 軽く髪を揺らすあたしに、イチはふぃっと視線をそらした。

「どっちでもいいし」

 むぅ。


(髪型1つですごく大人っぽく見えるんだな。でも俺は、いつもの髪がいい。

 ジュニアなら、ちゃんと言う。かな)

 ここ2日ほどのジュニアとの会話が思い出される。


 挑戦的なあの一言。

(貰っちゃうよ?

 やんねぇよっ! ったくぅぅっ。

 ジュニアの目的はなんなんだろ。

 仲直りさせるだけ?

 自分が行ったから、俺にもチャレンジ強制?

 玉砕狙ってる? イヤ、それは無いな)


 カエがスポバに櫛の入ったポーチをしまう。

 その姿に、頭にパッと閃めいた。

(逆だ。カエが選ぶなら、それでいいと思ってるんだ。

 それが一番納得いく)


「そうだ、シンマ。

 さっきなんで急にシンマ代わってなんて言ったの?」

 考え事に集中していた頭が引き戻される。

「……え。言ったかそんな事」


「言ったよ。あたし押し出されたもん」

(言った。つい)

 ジィッとイチの目を見る。


「んっ! わかってるでしょ。ほらぁ。またなんか隠してるっ!」

 ビシッとイチを指して椅子から立ち上がる。


「なんか、前にも同じような会話したな。つか、指差すな」


 がしっ。とあたしの手を上からイチの手が覆う。

「手ぇ冷たっ」

「イチの手あったかい」


 ぽろっと言葉がこぼれる。

 あれ。なんか……。


 イチの唇にキュッと力が入る。

 カタン。

 イチが立ち上がって見下ろしていた視線が高くなった。


「男の子だったろ。あの子」

 視線を逸らしたまま、ちょっとムスッとした顔。

「小さな子だったし、人工呼吸だったけど……。カエが他の男と唇合わせんのが見たくなかったんだよ」


 っっ!

 な。

 ななななななななななななななななななななななななななななななななななななななっ。


「そう言う事」

 あたしの手を強く掴むイチの手がするっと離れていく。


 あ。待っっ。

 はしっっ。


 すり抜けるイチの指先を捕まえる。

 ってぇ。掴んじゃったけどっ。

 逸らせた目があわせられない。


 えとえとえとえとえとえとえとえとえと。

 頭が真っ白で何にも浮かばないぃぃっ!


「カエ」

 イチの声。

 すぅっと目の前の霧が晴れたように、頭の中が急激にクリアになる。


 そっか。

「あ、たしも、あの子が女の子だったら、シンマ代わんなかったかも」

「カエはそこまで神経回んないだろ」

 ぐっっ。きっと回んない。


 ちらりと視線を上げると、薄く笑う顔。

 胸が波打つ。


 っっ!

 ヤバ。なんか、心臓持っていかれた。


 この顔。……好きだなぁ。

 ぐいっと手を引かれて強く抱きしめられた。

 心地よい温かさに全てが吸い込まれていく。

「いつも近くにいたのに、ここまですごく遠かった」

 ぽすっ。頭の上にイチの手がかかる。


「髪。やっぱり縛ってる方がいいな」

「おそっ。」

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