ガンガンガンガンッッ!
シトシトと雨の降る中、あたしは傘を持ったまま診療所のドアを叩きまくる。
昨日はあんなに天気が良かったのに、天気が悪いとなおさら心もパッとしない。
「ドクターっ! 開けてー!」
ようやく室内でごそごそと動き出す音がして内鍵が開く音がした。
「なんだよ」
頭ボサボサ、上下スエットのだらしない格好。
んー。あんまりいつもと変わんないか。
「おはよ。9時から診療始まるでしょう? ちょっと早いけど入れて」
返事は待たずに、薄暗い院内へとドアをすり抜ける。
「ふあー。そもそも日曜は休診だっつーの。 しかし、もうそんな時間か?」
大あくびをしたドクターが待合室に掛かる時計に目を向けた。
7時20分。
「なんだよ、まだ……。っっ7時20分!?」
「今、見本のような2度見だったね。1時間40分くらい大目に見なさいよ」
あたしは傘をたたんで空っぽの傘立てに刺すと、パタパタと服についた雨粒を叩き落とす。
「……だいぶ多めだなぁ」
「嫌な顔しないの。ここ、病院食とか出さないでしょ? イチにお弁当作ってもらったついでに、ドクターの分も作ってもらったから差し入れ。
せりかさんのお手製だよ」
こそっと付け足して、お弁当包みを差し出した。
「せりかちゃんの?」
にやけ顔を隠せないまま包みに手を伸ばしてくる。
ぷぷっ。おっさん分かりやすっ!
「イチの分、病室に持って行ってもいい?」
腕に下げたトートの中には、もう1つお弁当が残っている。
「ああ。ついでにのたれ死んでないか確認してこい」
「最っ低っっ」
お弁当を持っていそいそと歩き出すドクターの背中を睨みつけた。
待合室を奥に進んで、突き当たりを左に曲がる。何度か使わせてもらっているこの病室の前に立つと、ちょっと深呼吸。
えと。昨日のこと、謝ることと、せりかさんのお弁当。んー。捜査の
なんかあたし緊張してる?
昨日のジュニアからのカミングアウトも頭をよぎる。
……。ま。いいや行こ。
「カエだけど」
そう伝えて、軽くドアをノックする。
起きてないかな? 朝弱いし。
「開いてる」
中から聞こえるはっきりとしたイチの声に、なんだかドキドキしつつドアを開けて顔を覗かせた。
「おはよ。調子どう?」
「昨日よりだいぶいいよ」
外は雨模様だけど、窓がある室内は廊下よりよっぽど明るく感じられる。足を踏み入れベット際でイチの顔を覗き込むと、いつもの感じに少しホッとした。
「よかった。なんか顔色もいいね」
絡む視線に、シトシトと降る雨の音が妙に耳について言いたい言葉が出てこない。
さっきドアの前で確認したのにー。
小さく息を吸って、しっかり頭を回転させる。
「で。えとぉぉぉぉぉ。昨日。その。調子悪かったのに気づけなくて。ごめん」
これ言うために早く来たようなもんだから。
「ああ。まぁ、俺も隠してたし」
昨日の会話もあったからかな、イチも控えめに口にするけど、ついビシッ! とイチを指差す。
「そうっ! それっ」
「何で隠すの? ちゃんと言ってよ。昔っからイチは弱いとこ隠そうとする」
「いやまぁ、隠すだろ」
「分かんないっ」
「うっせーなぁ。痴話喧嘩は
『違うっっ!』
急に割り込んで来たドクターの声に、ドアを振り返るあたしと、イチの声が重なった。
「むぅっ。喧嘩しに来たんじゃないんだってば」
お弁当包みを、掛け布団を掛けたイチの膝の辺りに置く。
「せりかさんから差し入れ」
「メシ食う前に着替えて検査しちまえ。香絵がいるとうるさくてかなわん」
腕を組み、入り口近くの壁にもたれかかったままのドクターがめんどくさそうに訴える。
「結果聞いたら帰るもんっ。待合室にいるからね」
ドクターの横を通り過ぎざまに、その顔をイーっと睨みつけて、バタンッと力の限りドアを閉めてやる。
「小娘には男の意地はわからんか」
「っっ! 立ち聞きしてんじゃねぇよ」
むぅ。ちょっと気持ちを落ち着けようと、ドアに背を預けたままだったあたしもしっかり立ち聞きになっちゃった。
「タイミングを見計らってやったのよ。お前も苦労しそうだなぁ」
ドクターのニヤリと楽しそうな声に、あたしは音を立てないようにゆっくりと待合室に移動を開始した。
男の意地。か。
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処置室に2人が入って行ってしばらく経つ。
昨日はジュニアが居てくれたけど、今日はこの薄暗くて狭い待合室が、すごく広くて寂しく感じる。
なんか怖い。
「香絵」
処置室のドアが開いて、ドクターが手招きをする。
大丈夫っ。
口の中で呟いて小走りに処置室のドアをくぐった。
昨日と同じ、カーテンの引かれたこっち側に置かれたエコーの画面。あたしが見ても、昨日との違いはよく分からない。
「結果から言うと、問題無いだろう。出血も広がってないようだしな」
「ぷはぁぁ」
いつのまにかするのを忘れていた息が、一気に肺に入ってくる。
「よかったぁぁ」
ヤバイ。泣きそう。
「みんなにLINEしてくる」
背を向けたあたしにドクターの声。
「しばらくは激しい運動は禁止だからな。それも伝えておけ」
片手を上げて処置室を後にした。
視線を上げるとまだ8時前。
流石に早いけど、とりあえずイチの検査結果を送信。
もちろんジュニアの腕も心配だけど、内臓系は目に見えない分何があるかわからない。
静かな待合室に軽やかなメロディが響き渡る。聞き慣れた着信音に、液晶画面が表示したのはジュニアのアイコン。
「もしもし?」
院内だけど、休診日だから許してね。
『カエ? イチ大丈夫だったんだね。よかったぁ。それにしても随分と早いじゃん』
「うん。朝ごはんにお弁当差し入れたの。ドクターの病院食とかなんかコワそうだもん」
電話越しのジュニアの声も、安心が溢れて聞こえる。
『へぇ……。カエが作ったの?』
今度はなんとも不思議そうなジュニアの声に、あたしは口をとがらせた。
「せりかさんですぅっ」
あたしがキッチンに立たないの知ってるくせに。
『よかった。内臓出血した上に食中毒になんかなったら、流石に目も当てられないよねー』
いつものにこにこ顔が目に浮かぶ。
「どう言う意味よっっ!」
むうぅ。腹立つぅぅ!