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第5話 タクシーの乗客

 学校の授業は正直退屈。4時間目の数学なんて眠気と空腹との戦いだよ。


 やっぱり朝ごはんは朝ごはんで、しっかり食べて来るべきだった。深夜のファミレスごはんなんてとっくに消化済み。見上げる時計はもうすぐ長針と数字が出会えそう。

 念波を送ったら時計が速く動けばいいのにぃ。


 12時も過ぎて、南向きの窓から入る日差しはカーテンを揺らす柔らかな風と混ざりあって快適なごはんタイムをセッティングしてくれている。あたしの念波は多分役に立たなかったけど、響くチャイムの音にクラス全体からは『終わったぁ』の空気が立ち上る。


「ごはんだ。ごはんっ」

 深雪と夏美と愛梨と、机を付けてお弁当を広げると、今日も美味しそうな色とりどりのおかずさん達に心がなごむ。

「香絵ってホント美味しそうにごはん食べるよね」

「しかも結構な量食べるのに、縦にも横にも広がらない」

 夏美と愛梨が交互に呟く。


「いっぱい動いてるもぉん。って、縦にも広がらないのは余計だよ」

 身長148cm。平均より少ぉしだけ小さめかも。身軽なのはいいんだけど、コンプレックスなんだよね。


「香絵帰宅部じゃん。

 そういえば先週サッカー部の練習試合観に行ったんだけど、すっごいカッコイイ人見つけちゃったんだ。ね。愛梨」

 夏美が、肩より少し長い髪を揺らして愛梨を振り返る。

「夏美はキャプテンの何とか先輩推しだったんじゃないの?」

 深雪が名前を思い出せずに諦めた。


「犬飼先輩ね。カッコイイんだけど、ファン多いから。

 で、うちの生徒なんだけど、サッカー上手いから助っ人で参加したらしいんだ。1組の鳥羽くん」


 ぶっっ。


 しっかりモグモグした卵焼きを吹き出しそうになり、間一髪口を押さえる。

 イチ、そういえば中学ではサッカー部だったな。助っ人なんてしてたんだ。


「試合終わった後、ユニフォームの裾で汗を拭いてた時に見えた腹筋がほんのりシックスパックでさぁ、胸板もそこまで厚くは無いんだけど、まさに細マッチョ? 腕も脚も筋がたっててホントヤバい」

「ごめん、夏美の筋肉愛はよくわかんない」


 乙女な顔で語り出した夏美に、卵焼きを飲み込んでから声を掛ける。

 筋トレじゃなくて、実戦で付いてる筋肉だから無駄が無いんだよね。イチの本気の蹴りとか当たると男の人でも普通に吹っ飛ぶし。


「鳥羽くんね。遅刻ギリで来るとよく見かけるよ。ねぇ。香絵」

 深雪のジト目につい顔を伏せる。

「頑張って早起きします」


 そういえば。

「試合って金曜日だった?」

「うん。うちのグランド。鳥羽くんアシストもいいし、点も取ったからファン増えるんじゃない?」

 こちらも長い髪を揺らして、愛梨が夏美にニヤニヤと笑いかける。


 ああ。だから土曜日にあたしとジュニアにケーキおごってくれたんだ。

 臨時収入って助っ人代だったのね。


 クラスも違うし、接点無いし、校内では特に友達としては接していない分、あたし知り合い。とは言い出しにくい。

 なんか変な罪悪感。


 学校では製薬会社爆発事件の話なんか話題にも上らない。


 教室を抜ける風が頬に触れて、何気なく窓の外に目をやると朝と変わらぬ青い空。そろそろ梅雨の季節なんだよな。



 ###


 朝はいい天気だったけどちょっと雲が厚くなってきたかな?

 毎週月曜日の放課後は定例会。という名のグダグダ会。いつもは寮のリビングで無駄話をして帰って来るだけだけど、今日は昨日の件で何か情報があるかもしれない。


「香絵。なんか楽しそうだね」

 大変な事は多いけど、あたしは今の〈仕事〉は嫌いじゃ無い。

「学校終わったしね。今日はこれから用事があるんだ」


 朝待ち合わせた橋の袂で深雪と手を振って別れると、いつもの路地に入る。うちに帰るには右折して直進だけど、今日は右折した後すぐに左折して寮のあるマンションへ直行。


 住人用の駐輪場にイチの自転車が繋いであるのが目に入り、今朝の一幕が蘇る。


 リカコさんの怒りは治ってるかな?


 オートロックの玄関をくぐり抜けてエレベーターに乗り込むと頭の中のスイッチがお仕事用に切り替わる。

 あたし達の今回の仕事は情報収集と証拠品の確認。それ以上でもそれ以下でも無い。


 でもね、人間って欲が出るからさ。結果どうなったかって知りたくなるじゃない? あんな大きな畑見ちゃったんだもん。大きなシンジゲートが芋づる式に引きづり出せたら最高だよね。

 逮捕の瞬間とかには立ち会えないけど。


 寮のドアの前で立ち止まり呼び鈴をポチリ。一応チームの一員として合鍵は持っているけど、ここでは使ったことはない。


『あ。カエ?』

「開けて~」

 インターホンのカメラに向かってぴこぴこと手を振る。


 鍵を開ける音がして、少し押されたドアをこちらで引き開けた。

 ドアを閉めて鍵をかけると、ロンTにスエット姿のイチがポケットに手を突っ込んで立っている。


「カエ、LINEライン見てないな」

「LINE? ありゃ。靴がイチのだけ」


 玄関にあるイチの靴の横に靴を揃えて、先を歩くイチについてリビングに向かいつつ、スポバからスマホを取り出す。


 間取りは3LDKって言うのかな? 今いるリビングダイニングに、イチ達の個室が一部屋ずつ。なんとなく決まっているソファーの定位置に座ってLINEを開く。


 リカコ:本庁にお呼ばれしちゃったので、今日の定例会は明日に伸ばしてちょうだい。

 お土産話し仕入れて来るからよろしく。

 15:35

 ジュニア:僕も行く! 鑑識で昨日の爆弾の残骸が見たい。あと、科捜研。

 15:38

 リカコ:了解。科捜研は所長に伝えておく。

 15:38

 リカコ:改札待ち合わせで。制服で来ちゃダメよ。

 15:39


「えー」

 時間的に深雪との下校中。全然気が付かなかった。

「新ネタ楽しみにして来たのに」

 ぱたっとソファーに倒れ込むと、視界の隅に、ちょっと楽しそうにこちらを見ているイチが映った。


「何?」

「いや。カエはやっぱりカエだな。と思ってさ。昨日の写真と、ジュニア達が回収したデータあるけど見る?」

「んっ。見る!」


 ソファーから立ち上がって、イチの座るパソコンデスクの横に立つ。

 ファイルをいくつか開いてからイチが席を譲ってくれた。


 座っていたらあたしより低かった背丈が急に大きくなる。

 当然だけど……。

「なんか、イチまた大きくなってない?」

 昼間の夏美との会話が頭に蘇ってくる。


「あんまり昨日と変わってないと思うけど?」

「まぁ、そうだよねぇ」

 イスを借りてマウスを動かし始めると。イチの確信めいた一言が降ってくる。

「ああ。学校でまた小さいって言われたんだな?」

「うっ。そんな事……あるけど」

 一瞬嘘をつこうかとも思ったけど、意味ないからやめておく。


「あるんだ」

 イチの唇が薄く笑った。

「俺はカエと組む事多いからなぁ。カエは俺達が入れない狭い所とか入れるし、侵入経路に困らなくていいじゃん」


「通気口とかダストボックスとかね」

 クモの巣とかほこりまみれになるし、あんまり嬉しい記憶はない。


「リカコさんがさ、プラン考える時に一番気を使うのが撤退経路なんだって」

 頭上で小さく笑う気配がして、イチが、真っ直ぐな声で話し始める。


「カイリは180cmある上に脳みそまで筋肉で出来てて重いから、カイリが通れる事が基準。それでいて、3、4ヶ所は確保しておかないとならない。

 昨日みたいに突発的に経路が変わると対応しづらいんだってさ」


 頭上のイチを見上げる。

「あぁ。つまり、昨日はカエとコンビじゃ無かったら時間内に撤退は出来なかったと思うよってこと」

 まぁ、カイリやジュニアは壁に打ち上げられないだろうけど。


「ありがと」

 気を使ってくれた事も含めてお礼。

「コーヒー飲むか?」

「ん」

 イチがあたしの頭に手を置いてぽふぽふと叩いていく。


 ぶふっっ。

 イチの口端から、こらえきれなかった空気が漏れた。

 振り返ると、小刻みに震える背中。


 イラッ。

「コラァッ! 今絶対、『でも、やっぱちっさいなぁ』って思ったろ?

 紅茶がいい! 紅茶にミルクとお砂糖いっぱい入れて持ってきてっ!」


「はいよ」

 振り返らずに片手を上げて、イチがキッチンに入っていく。

 腹立つ~!


 パソコンに向き直り昨日のデータから顧客名簿や、販売ルートなどがないかを中心にチェックしていく。


 うーん。絶対にジュニアが見たほうが早いし、漏れがないな。

 あまりのファイル数に気が滅入っちゃう。


 カップの触れる小さな音と、デスクの隅に置かれるミルクティー。

「ほら。激甘ティー」

「ありがとう」


 写真データを眺めながら湯気を上らせるカップを手に取ると、甘い香りにちょっと幸せ気分。

「めぼしい物あった?」

 隅に置いてある丸椅子を引き寄せて、イチが画面の見える位置に移動してくる。


「さっぱり。文字と数字の羅列に脳が痛くなってくる」

「ダイレクトだなぁ」

「アレとにらめっこ出来るジュニアとリカコさんは尊敬するわ」

「肉体労働派には辛い仕事だ」

 イチが薄く笑う。


「……。そう言えば、先週の金曜日サッカー部の試合に助っ人したんだって? 友達がかっこよかったって絶賛してたよ」

 ちらっと横に座るイチに視線を送る。


「ああ。助っ人料出すって言うから。まあ、ケーキ代になったけど。ジュニアが行きたいって言ってたんだけど、さすがに男2人でケーキ屋はキツイからな。カエが来てくれて助かった」

「あたしゃオマケかい。美味しかったからいいけどね」


 ###


 玄関の鍵を開ける音に時計を見上げると、18時近い。

 ついイチと話し込んじゃったな。


「ん。あたし帰んないと。紅茶ご馳走さま」

 いつの間にか、差し込んでいた日差しよりも蛍光灯の明かりの方がまさってきている。

 キッチンにカップを戻すとイチが自分のコーヒーカップを掲げた。


「コレと一緒に洗うから置いといていいよ」

「お願いします」

 イチくんマメ。

「ただいま。カエ来てたんだ」

 ソファー横のカゴからスポバを手に取ると、リビングに顔を出したのはカイリ。

「おかえり。LINEに気が付かなかったの。でももう帰るね」

 カイリの横を通り抜けて玄関に出る。


「一応聞くけど、送って行く?」

 後からのんびり歩いて来たイチが一応・・聞いてくる。

「冒頭のは言わない方がいい。まだ暗くないし、何よりチカンに負けるカエさんじゃないもん。大丈夫。また明日ね。

 カイリィ。また明日!」

「おー。気をつけて帰れー」


 目の前のイチに小さく手を振って、奥からかかる声だけを聞いたあたしは玄関から外廊下にでた。

 紅くなり始めた太陽がところどころ雲に遮られて、不思議な色合いをかもし出している。

 来た時の道を折り返し、オートロックの外に出ると昼間のあたたかな空気と、夕方の冷たい空気が混じり合う。


「カエー」

 背後から聞こえたジュニアの声に振り返ると、走行中の仕事用黒バンの後部座席から身を乗り出している。


「ジュニア、危ないよっ」

 これって一応公用車じゃないのかな?

 ハザードをたいて寮の前に路上停車したバンを、後ろからタクシーが1台追い抜いて行った。


 タクシーが過ぎるのを待つあたしの目に、後部座席に座る男性客が映る。

 黒いスーツを着た、中肉中背の、どことなく神経質そうな、顔。


「っ!」

 最後のほんの一瞬。こっちを向いた男性客と目が合った。

 その瞬間。なんとも言えないイヤな感じに、全身に冷水を浴びた様な気分になる。


 何? 今のっ。

 タクシーはそのまま走り去り、いくつか先の交差点を曲がって姿を消した。


「カエ?」


 あ。

 いつの間にか目の前に立っていたジュニアに顔を覗き込まれて、我に返る。


「おかえり、本庁なんか収穫あった?」

 笑顔を見せてジュニアに問いかけた。


「僕は爆弾の残骸見に行っただけだもん。そういう話はリカコに聞いて」

 ジュニアの返事もなんだか頭に入って来ない。


 今の男。すごく気になるけどジュニアにだけ話しても……。

 明日定例会で話せばいいか。

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