その日の放課後、真希は親友の高梨千沙と一緒に帰っていた。
「私、自分がこんなに嫉妬深いなんて思わなかったわ」
真希が言った。
「あら、どうしたの?」
「実は、今日の昼休みに伊集院さんが立神君と……」
真希は立神に留美が抱き着いたことやキスをしたことを話した。
「そんなことがあったんだ。それで、真希は嫉妬をしたと?」
「うん。そんな感情を持つなんて、私、自分が恥ずかしい」
「もう真希ったら、真面目過ぎよ。嫉妬なんて誰でもするんだから」
「でも……」
「それに、真希は立神君とダブルデートもしたんでしょう? だったら、伊集院さんよりも関係が進んでるじゃない」
「そうかもしれないけど、ダブルデートしたって言っても、立神君はなにも変わっていないし、私に興味もなさそうだし」
真希はうじうじとしていた。
真希は美人ではあるが、真面目な性格が災いして、そもそも恋愛なんてこれまでまともにしたことがないのだ。
「だったら、今度立神君をデートに誘ったらいいじゃない」
千沙が提案した。
「え、私が。そんなことできるかしら?」
「真希ってホントよくわからないわね。立神君に自分からキスしたこともあるぐらいなのに、デートぐらい誘えるでしょう」
「キスしたって言っても、あの時はその場の勢いというか、それにキスしたのは鼻だし」
「鼻でもどこでもキスしたのには変わりないわよ。思い切って誘ってみなさいよ」
「う、うん。ちょっと考えてみる」
真希はハッキリとした返答は避けた。
翌日、真希は二時間目と三時間目の間の休み時間に立神に声をかけた。
「あの、立神君」
立神は弁当を出して食べていた。
「なに?」
ご飯粒がライオンの口の周りについている。
「いまからお弁当食べてたら、放課後まで持たないよ」
(ああ、私、なにを言ってるのかしら。立神君の早弁なっていつものことじゃない)
真希はデートに誘おうと思ったが、ためらわれて関係のないことを言ってしまった。
「昼になったら、また留美が弁当持ってくるだろうしな。大丈夫だよ。ガハハハ」
立神は無邪気に言った。
「そ、そうね」
(立神君はやっぱり伊集院さんのお弁当を楽しみにしてるんだわ)
真希も一時立神に弁当を作って来ていたが、留美が激しく嫉妬したのでやめていたのだ。
「あの、立神君は、休みの日とかなにやってるの?」
「なにって、だいたいはオヤジに鍛えられてるかな。出かけない時は。だからなにか用事があった方が俺としては助かるんだけどな」
立神は家にいると豪天からの攻撃がいつあるかわからないので、常に気を張っていないとダメだった。
「そうなんだ」
(じゃあ、私が誘った方が立神君としてはいいんだ)
真希は一気に誘う勇気が湧いた。
「あの、立神君。今度の土曜日なんだけど、二人でどこか行かない?」
「え、二人で……」
立神の弁当を食べる手が止まった。
「う、うん。前に岸田君とかと一緒にデートしたけど、今度は二人でどうかしら? ダメかな?」
真希は緊張で顔が紅潮していた。
「あ、あ、そ、それは、う、うん。いいよ。行くよ。ニョハハハ、ニョハハハ」
立神は顔がニヤけていた。
「良かった。じゃあ、今度の土曜日、楽しみにしてるね」
真希はうまく約束ができてホッとした。
立神は弁当を食べるのをやめて、蓋をした。
そして放課後。
立神と宮下と佐藤は一緒に帰っていた。
「なぁ、デートってどんなところに行くんだ?」
立神が唐突に言った。
「はぁ? なにそれ?」
と宮下。
「いや、そのう、なんて言うか、今度真希ちゃんと……」
立神は恥ずかしそうにして、言葉を濁した。
「あれ、立神君。桐生さんとデートするの?」
と佐藤が言った。
「ニャハハハ、実は、そうなんだ」
立神は照れ臭そうにした。
「そうか。良かったな。お前から誘ったのか?」
「いや、向こうから」
「スゴいな。うちのクラスのマドンナである桐生さんに誘われるなんて」
「ニャハハハ、ま、まあな」
立神は嬉しそうだった。
「それで、どこに行ったらいいのか訊いたわけだ」
「そうなんだ。どこに行けばいい?」
「岸田とかとダブルデートした時は映画に行ったんだろ? だったら、今度は動物園とかはどうだ?」
と宮下が言った。
「動物園か。なるほど。それならかわいい動物とか見て癒されるしなぁ」
立神は宮下の提案が気に入ったようだ。
しかし、慣れ過ぎてうっかりしていたが、立神の頭部はライオンだ。そんな男が動物園に行って大丈夫なのだろうかと、宮下も佐藤も思うのだった。
「俺ってかわいい動物好きなんだよ。カピバラなんてかわいいよなぁ」
立神は微笑んだ。
「あ、ああ、そうだな。でも、やっぱり動物園はマズいかもな」
宮下が言った。
「なんでよ?」
「いや、それは……」
宮下は言葉を詰まらせた。言っていいのかわからなかったからだ。
「まだ今度の土曜まで時間はあるからゆっくり考えた方がいいよ。それに桐生さんが動物園でいいのかもわからないし」
佐藤が急いでフォローした。
「それもそうだな。明日桐生さんに訊いてみるよ。あ、じゃあ、俺はこっちだから」
立神はそう言うと、宮下、佐藤と別れた。
「さすがに立神が動物園に行くはマズいよな」
と宮下。
「でも、提案したのは宮下君じゃない」
「俺もうっかりしてさ。立神の顔がもうライオンに見えなくなってきているというか、ちょっと変わった人間の顔に見えるようになってるんだよな」
「ああ、それはわかる。俺もそんな感じだよ。人間ってなんにでも慣れるんだね」
と佐藤は言った。
そしてデートの約束をした土曜日になった。
真希はとっておきのワンピースを着て出かけた。
今日は動物園に行くことになっている。
立神が提案してきたのだが、真希も動物園が好きだった。小さい頃から親によく連れて行ってもらっていたのだ。
だから立神が動物園に行こうと言ってきた時は、二つ返事でオッケーした。
待ち合わせ場所の駅前に行くと、立神はまだ来ていなかった。それはそうだ。待ち合わせ時間の三十分も前なのだ。
真希はドキドキしながら立神が来るのを待った。
そして、待ち合わせ時間の少し前になると、立神が来た。
「お待たせ」
立神は緊張した面持ちだ。
真希も緊張している。
「じゃ、行こうか」
二人は電車に乗って動物園の最寄り駅へと向かった。
「おい、あれってライオンじゃね?」
「いや、ライオンが電車に乗るわけないだろ」
と周りはコソコソと話をしていたが、真希と立神には聞こえなかった。
駅に着き、二人は電車を降りて動物園に向かった。
動物園に近づくにつれて、独特の臭いが漂ってくる。獣臭であり糞の臭いだろう。
「ああ、こういう臭いをかぐと動物園に来た気がするなぁ」
立神は鼻から思いきり空気を吸った。
(立神君てやっぱりこういう臭いが好きなのかしら。私は動物園は好きだけど、こういう臭いは苦手だけどな)
真希はそんなことを考えながら立神の嬉しそうな顔を見た。
切符売り場で入園券を買い、入園門に行くと入場券を確認する係のお姉さんがいた。
立神が近づくと、ビクッとしていた。そして、インカムでどこかとやり取りしだした。
立神と真希が入園門でそのお姉さんに入園券を出すと、
「ちょ、ちょっとお待ちください」
と言って待たされた。
「なに? なにか問題でもあるの?」
立神が訊いた。
すると背広姿の男が来て、係のお姉さんとコソコソ話し始めた。そして、チラチラと立神を見ている。
「あのう、今日はなんの御用で?」
男が訊いてきた。
「え、動物を見に来たんですけど……」
真希が答えた。
「食べるのじゃなく?」
「食べません!」
真希はムッとした。
「あ、失礼しました。どうぞお通りください」
男はそう言うと二人を中に通した。
「なんなんだ?」
立神は訳がわからないという感じである。
ただ、真希としては動物園に来たのは失敗だったかもと、ちょっと思った。