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第14話 狂犬

「立神、気をつけろよ。そいつのパンチは半端じゃねえ。それに動きも素早いから、注意するんだぞ」

 リング下に降ろされた太田が言った。

「任せとけ! お前の仇は取ってやるからな」

 立神は余裕であった。

「おい、鶴岡! そいつが今日の本命だからな。遠慮なくやってやれ」

 向島がリング下から言った。

「はい、任せておくんなせえ」

 そう鶴岡は言ったものの、さっきの立神のナニの映像が頭から離れなかった。

(俺はこいつに勝てるのだろうか? いや、そんなことを考えていても仕方がない。勝つしかねえんだ。そうでなければ、俺を拾ってくれた向島さんに恩義が立たねえ)

 鶴岡は気後れしている自分を奮い立たせようと必死だった。

 そこでゴングが鳴った。

 すると、鶴岡は脚を使って華麗なステップを踏み出した。距離を取り、立神の手の届かないところをヒラヒラと蝶のように舞った。

「立神、気をつけろよ。奴はそうやっておきながら、鋭いパンチを飛ばしてくるからな」

 原田がアドバイスを送る。

「ガハハハ、そんな心配しなくて大丈夫ですよ」

 立神は鶴岡の動きにまったく動じていなかった。

 そんな立神の顔面に、鶴岡は鋭いジャブを叩きこんできた。

「どうだ! 俺のジャブが見えねえだろう」

 鶴岡はキレのあるジャブをピシピシと音を立てて放り込んできた。

(こいつはいい。人間の顔と違って鼻と口が前に出てるからな。いい的だぜ)

 鶴岡は動き出して、少し自信が戻ってきた。

 立神は相手の動きに防戦一方だ。

「ああ、立神! 反撃だ。反撃しろ!」

 井上が叫ぶ。

 その声に、立神は大振りのパンチを繰り出したが、鶴岡はサッと距離を取りあっさりとかわすのだった。

「おおっ、やっぱりこれまでの相手とは違うな」

 部員がざわめいた。

「ハハハ、見たか! これがプロってもんだ。お前らみたいな高校生とは格が違うんだよ。ワハハハハハ」

 向島は満足げに笑うのだった。

 向島の言うように、ボクシングの実力差は明白だった。

 立神のパンチは出せども、一向に当たりそうにない。

「そら、そら。どうした?」

 鶴岡は調子に乗ってジャブを繰り出した。その度に立神のライオンの鼻を打った。

「こいつ!」

 立神もパンチを出すのだが、鶴岡はすぐに距離を取るのだ。まさに教科書のようなヒットアンドアウェイであった。

「ヤバいんじゃないですか?」

 井上が原田に言った。

「まずいな。これまでの相手とは違って、完全にボクシングで戦いやがる。汚ぇ野郎だ」

 原田は鶴岡の実力に呻った。

(いや、ボクシングなんだから本当はそれでいいと思うんだけど……)


 結局、立神は防戦一方のまま一ラウンドは終わった。

「おい、立神、大丈夫か?」

 原田が声をかける。

「え? 大丈夫っすよ」

 立神はなにか問題でもという感じだ。

「お前、だいぶジャブで鼻を打たれてたみたいだが、それはどうなんだ?」

「別にどうってことないっすよ」

 原田は立神の鼻を見たが、確かに鼻血も出ていないし、まったくなんともないようだ。ライオンだから人間とは違うのかもしれない。

「でも、お前のパンチがまったく当たらないから、まずは相手をコーナーに追い詰めて脚を使えなくさせるんだ」

「ああ、なるほど。そんな風にすればいいんですね」

「そうだ。お前の体格で圧力をかければ、相手はコーナーに逃げるしかねえ」

 原田は熱を込めて言った。


「おい、次のラウンドでKОだ。いいか。本番はそれからだ。今日お前をわざわざ呼んだのは、別にボクシングに勝つためじゃねえ。あのライオン野郎を再起不能にするためだ。わかってるな?」

 向島は鶴岡に言った。

「わかってますよ。俺の狂気の部分を思い切り発揮してやりますよ。あいつがリングに倒れたが最後、俺はなんでもやったります。フフ」

 鶴岡は不敵に笑った。

 そもそもボクシングはどうでも良かった。それにかこつけて、倒れたところを踏むなり蹴るなりして病院送りにするのが目的だ。

 鶴岡に始まる前の不安はもうなかった。アソコの大きさで負けていても、俺はあいつに負けるはずがないと、一ラウンドで自信が持てたのだ。


 そしてゴングが鳴り、二ラウンド目が始まった。

 立神はリングの真ん中に行く。

 鶴岡は相変わらずのステップで立神に距離を詰めさせない。

「立神、前へ出ろ!」

 原田の檄が飛ぶ。

 立神は猛然と突進した。

 それに対して、鶴岡はジャブを細かく放ちながら、脚を使ってクルクルとリングを回って逃げるのだった。

「さあ、そろそろ決着を付けてやるぜ!」

 鶴岡はこれまでほとんどジャブしか打ってなかったが、一気に畳みかけるようにストレートやフックを放った。

 そのパンチが見事に立神のライオン顔をとらえた。

「どうだ! これで終わりよ」

 鶴岡は確かな手ごたえを感じた。

 しかし、立神は普通に立っていた。

「な、なに!」

 鶴岡は目を見張った。

 立神はまったくなんのダメージもなさそうにしている。そして、グローブを嵌めた手で、乱れた髭を猫のように整えていた。

「バカやろう! 立神、髭の手入れをしている場合か!」

 原田がリング下から怒鳴る。

「な、なんだ、こいつ? 俺のパンチが効かないのか?」

 鶴岡は激しく動揺した。そして、始まる前に見た立神のアソコのことがハッキリと思いだされた。

(俺は、こいつには敵わない……)

 鶴岡は冷や汗を流し始めた。

「鶴岡! 休むな! パンチだ、パンチを出せ!」

 向島も怒鳴った。

 ハッと我に返った鶴岡だったが、もう脚は思うように動いてくれなかった。

 さっきまでの華麗な舞は見せることはなく、どたどたとリングの上を移動した。

「立神、チャンスだ! 一気に攻めろ!」

 原田が叫びながら、リングを叩いた。

「クソー、こうなったら」

 鶴岡は、パンチを出しながら、意図的に親指部分で立神の目を狙った。

(これでも喰らえ!)

 鶴岡が得意とする反則だ。

 しかし、いったん自信を失った鶴岡のパンチにキレはなかった。

 立神はあっさりとそれをかわすと、力いっぱい右腕を振った。

 ド級のパンチが鶴岡の顔面にヒットした。

 ビヨーンと鶴岡の首は伸び、そのままリングに倒れた。

 鶴岡は白目を剥いた。

 そんな鶴岡に、立神は思い切りジャンプし、フライングボディープレスを喰らわせた。

 ドシンという音とともに、立神の巨体が鶴岡の上に被さった。

 もうすでに気を失っていた鶴岡は、避けることもなくまともにそれを喰らった。

「ガハハハ、やったぜ!」

 立神は愉しそうにそう言ったかと思うと、鶴岡の身体を抱えた。

「あっ、まずい!」

 原田は急いでリングに上がったが、立神が鶴岡の頭に噛みつく方が一歩早かった。

 ガブリと立神のライオンの口の中に、鶴岡の頭部が飲み込まれる。

「ギャアアアアアアア!」

 あまりのことに気を失っていた鶴岡が目を覚まし、断末魔の悲鳴を上げた。

「バカ、立神。噛むんじゃない!」

 原田はバシバシと立神の頭を叩いて出させた。


(なんだ、こいつは? 俺はとんでもない奴を相手にしていたのか?)

 向島はあまりのことに呆気に取られていた。

「いや、すまん。もうこれで終わりにしてくれ。あんたの方の選手ももう無理だろう」

 原田が向島に言った。

 鶴岡は頭に牙の跡がついていて、血だらけでぐったりしていた。

 向島はもう帰るしかなかった。

(こんなことになるとは……。狂犬と恐れられた鶴岡があんなにあっさりとやられた。しかし、それも仕方がない。相手は狂犬どころか、狂ライオンだ)


「太田、お前の仇を取ってやったぞ。ガハハハ」

 立神はリングを降りた。

「スゴかったぜ」

 太田が親指を立てた。

「ま、今日はよくやったと言ってやる」

 原田もホッとしていた。

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