「立神、気をつけろよ。そいつのパンチは半端じゃねえ。それに動きも素早いから、注意するんだぞ」
リング下に降ろされた太田が言った。
「任せとけ! お前の仇は取ってやるからな」
立神は余裕であった。
「おい、鶴岡! そいつが今日の本命だからな。遠慮なくやってやれ」
向島がリング下から言った。
「はい、任せておくんなせえ」
そう鶴岡は言ったものの、さっきの立神のナニの映像が頭から離れなかった。
(俺はこいつに勝てるのだろうか? いや、そんなことを考えていても仕方がない。勝つしかねえんだ。そうでなければ、俺を拾ってくれた向島さんに恩義が立たねえ)
鶴岡は気後れしている自分を奮い立たせようと必死だった。
そこでゴングが鳴った。
すると、鶴岡は脚を使って華麗なステップを踏み出した。距離を取り、立神の手の届かないところをヒラヒラと蝶のように舞った。
「立神、気をつけろよ。奴はそうやっておきながら、鋭いパンチを飛ばしてくるからな」
原田がアドバイスを送る。
「ガハハハ、そんな心配しなくて大丈夫ですよ」
立神は鶴岡の動きにまったく動じていなかった。
そんな立神の顔面に、鶴岡は鋭いジャブを叩きこんできた。
「どうだ! 俺のジャブが見えねえだろう」
鶴岡はキレのあるジャブをピシピシと音を立てて放り込んできた。
(こいつはいい。人間の顔と違って鼻と口が前に出てるからな。いい的だぜ)
鶴岡は動き出して、少し自信が戻ってきた。
立神は相手の動きに防戦一方だ。
「ああ、立神! 反撃だ。反撃しろ!」
井上が叫ぶ。
その声に、立神は大振りのパンチを繰り出したが、鶴岡はサッと距離を取りあっさりとかわすのだった。
「おおっ、やっぱりこれまでの相手とは違うな」
部員がざわめいた。
「ハハハ、見たか! これがプロってもんだ。お前らみたいな高校生とは格が違うんだよ。ワハハハハハ」
向島は満足げに笑うのだった。
向島の言うように、ボクシングの実力差は明白だった。
立神のパンチは出せども、一向に当たりそうにない。
「そら、そら。どうした?」
鶴岡は調子に乗ってジャブを繰り出した。その度に立神のライオンの鼻を打った。
「こいつ!」
立神もパンチを出すのだが、鶴岡はすぐに距離を取るのだ。まさに教科書のようなヒットアンドアウェイであった。
「ヤバいんじゃないですか?」
井上が原田に言った。
「まずいな。これまでの相手とは違って、完全にボクシングで戦いやがる。汚ぇ野郎だ」
原田は鶴岡の実力に呻った。
(いや、ボクシングなんだから本当はそれでいいと思うんだけど……)
結局、立神は防戦一方のまま一ラウンドは終わった。
「おい、立神、大丈夫か?」
原田が声をかける。
「え? 大丈夫っすよ」
立神はなにか問題でもという感じだ。
「お前、だいぶジャブで鼻を打たれてたみたいだが、それはどうなんだ?」
「別にどうってことないっすよ」
原田は立神の鼻を見たが、確かに鼻血も出ていないし、まったくなんともないようだ。ライオンだから人間とは違うのかもしれない。
「でも、お前のパンチがまったく当たらないから、まずは相手をコーナーに追い詰めて脚を使えなくさせるんだ」
「ああ、なるほど。そんな風にすればいいんですね」
「そうだ。お前の体格で圧力をかければ、相手はコーナーに逃げるしかねえ」
原田は熱を込めて言った。
「おい、次のラウンドでKОだ。いいか。本番はそれからだ。今日お前をわざわざ呼んだのは、別にボクシングに勝つためじゃねえ。あのライオン野郎を再起不能にするためだ。わかってるな?」
向島は鶴岡に言った。
「わかってますよ。俺の狂気の部分を思い切り発揮してやりますよ。あいつがリングに倒れたが最後、俺はなんでもやったります。フフ」
鶴岡は不敵に笑った。
そもそもボクシングはどうでも良かった。それにかこつけて、倒れたところを踏むなり蹴るなりして病院送りにするのが目的だ。
鶴岡に始まる前の不安はもうなかった。アソコの大きさで負けていても、俺はあいつに負けるはずがないと、一ラウンドで自信が持てたのだ。
そしてゴングが鳴り、二ラウンド目が始まった。
立神はリングの真ん中に行く。
鶴岡は相変わらずのステップで立神に距離を詰めさせない。
「立神、前へ出ろ!」
原田の檄が飛ぶ。
立神は猛然と突進した。
それに対して、鶴岡はジャブを細かく放ちながら、脚を使ってクルクルとリングを回って逃げるのだった。
「さあ、そろそろ決着を付けてやるぜ!」
鶴岡はこれまでほとんどジャブしか打ってなかったが、一気に畳みかけるようにストレートやフックを放った。
そのパンチが見事に立神のライオン顔をとらえた。
「どうだ! これで終わりよ」
鶴岡は確かな手ごたえを感じた。
しかし、立神は普通に立っていた。
「な、なに!」
鶴岡は目を見張った。
立神はまったくなんのダメージもなさそうにしている。そして、グローブを嵌めた手で、乱れた髭を猫のように整えていた。
「バカやろう! 立神、髭の手入れをしている場合か!」
原田がリング下から怒鳴る。
「な、なんだ、こいつ? 俺のパンチが効かないのか?」
鶴岡は激しく動揺した。そして、始まる前に見た立神のアソコのことがハッキリと思いだされた。
(俺は、こいつには敵わない……)
鶴岡は冷や汗を流し始めた。
「鶴岡! 休むな! パンチだ、パンチを出せ!」
向島も怒鳴った。
ハッと我に返った鶴岡だったが、もう脚は思うように動いてくれなかった。
さっきまでの華麗な舞は見せることはなく、どたどたとリングの上を移動した。
「立神、チャンスだ! 一気に攻めろ!」
原田が叫びながら、リングを叩いた。
「クソー、こうなったら」
鶴岡は、パンチを出しながら、意図的に親指部分で立神の目を狙った。
(これでも喰らえ!)
鶴岡が得意とする反則だ。
しかし、いったん自信を失った鶴岡のパンチにキレはなかった。
立神はあっさりとそれをかわすと、力いっぱい右腕を振った。
ド級のパンチが鶴岡の顔面にヒットした。
ビヨーンと鶴岡の首は伸び、そのままリングに倒れた。
鶴岡は白目を剥いた。
そんな鶴岡に、立神は思い切りジャンプし、フライングボディープレスを喰らわせた。
ドシンという音とともに、立神の巨体が鶴岡の上に被さった。
もうすでに気を失っていた鶴岡は、避けることもなくまともにそれを喰らった。
「ガハハハ、やったぜ!」
立神は愉しそうにそう言ったかと思うと、鶴岡の身体を抱えた。
「あっ、まずい!」
原田は急いでリングに上がったが、立神が鶴岡の頭に噛みつく方が一歩早かった。
ガブリと立神のライオンの口の中に、鶴岡の頭部が飲み込まれる。
「ギャアアアアアアア!」
あまりのことに気を失っていた鶴岡が目を覚まし、断末魔の悲鳴を上げた。
「バカ、立神。噛むんじゃない!」
原田はバシバシと立神の頭を叩いて出させた。
(なんだ、こいつは? 俺はとんでもない奴を相手にしていたのか?)
向島はあまりのことに呆気に取られていた。
「いや、すまん。もうこれで終わりにしてくれ。あんたの方の選手ももう無理だろう」
原田が向島に言った。
鶴岡は頭に牙の跡がついていて、血だらけでぐったりしていた。
向島はもう帰るしかなかった。
(こんなことになるとは……。狂犬と恐れられた鶴岡があんなにあっさりとやられた。しかし、それも仕方がない。相手は狂犬どころか、狂ライオンだ)
「太田、お前の仇を取ってやったぞ。ガハハハ」
立神はリングを降りた。
「スゴかったぜ」
太田が親指を立てた。
「ま、今日はよくやったと言ってやる」
原田もホッとしていた。