「立神君、はい、アーンして」
立神の大きな口に向かって、留美は箸でつまんだ卵焼きを運んだ。
「おいしい?」
留美は言うが、立神はなにも答えなかった。
ただ、赤い顔をしてもぐもぐと口を動かしていた。
「俺、自分で食べられるから、やめてくれないか?」
立神はさすがに言った。
「もう、だって立神君、食べ方汚いから。散らかすでしょう。口の形の問題なんでしょうけど」
留美は喫茶店の一件以来、完全に女房気どりだった。
クラスメイトはその様子を、遠巻きに見ていた。
「立神君って彼女と付き合ってるの?」
「あの様子だとそうじゃないの」
「お似合いだしね」
そんな囁き声が聞こえる。
立神は、そういう囁き声が聞こえたのか、留美から弁当箱を取り上げると、一気に残りを口に流し込んだ。
「さあ、もう食い終わったから自分の教室に戻れ」
立神はぶっきらぼうにそう言った。
「もう、恥ずかしがりやなんだから。仕方ないわねぇ。じゃあ、また明日ね」
留美はそう言って弁当を片付け、自分の教室に戻っていった。
「ねえ、ねえ、立神君。あの子、彼女なの?」
クラスの女子が訊いてきた。
「そんなわけねえだろ!」
立神は不機嫌に言い返した。
「でも、彼女じゃなかったらあんなことしないんじゃないの?」
「そうそう、別に隠すことないわよ」
「隠してねぇ。俺は迷惑してるんだ」
立神は腕を組んで顔をしかめた。
「その割には、いつもおいしそうにあの子の持ってくるお弁当食べてるじゃない」
「それは……腹が減ってるから……」
立神の本音ではあるが、周りはそうは思わないだろう。
「へぇ、でも、あの子が立神君の彼女だってみんな噂してるよ」
「えっ、マジか! なんで俺があんなのと付き合わないといけないんだ」
「でも、彼女の方は周りに立神君の彼女だって言ってるみたいだよ」
「ゲッ! それは本当か?」
立神はたてがみを逆立てて驚いた。
「ホントよ」
「クソー、あの女」
立神はイライラしていた。
「立神、さすがにマズいんじゃないのか? このままだと本当にあの子と付き合ってるってことになってしまうぞ」
宮下が来た。
「もう、彼女と付き合っちゃえば?」
佐藤も来た。
「お前ら、他人事だと思って。そもそもこの前の作戦が悪かったんじゃないのか? 宮下、確かあれはお前の発案だったよな?」
「ま、まあ、昔の話はいいじゃないか。ハハハ」
(こいつ、そういうことは覚えているのかよ)
宮下は笑って誤魔化した。
「お前らのどちらかが、あのカバと付き合ってやれよ」
「それは……なあ?」
宮下が佐藤を見る。
「彼女は立神君が好きなんだから」
佐藤はそう言った。
「クソー、なんで俺なんだ」
立神はダンッと机を叩いた。
バキッと机の板が割れた。
その日の放課後、立神はいつもと同じように、宮下と佐藤と一緒に帰ろうと準備をしていた。
すると、そこにボクシング部の井上が駆け込んできた。
「た、大変だ! 立神、すぐに部室に来てくれ!」
息を切らしてそう言った。
「なんだよ。俺、練習サボる気なんだけど」
立神はまったく練習に行く気などなかった。そもそも前の練習試合以来、ボクシング部には行っていない。
「そんなこと言ってる場合じゃないぞ。道場破りだ!」
井上は急くように言った。
「道場破り? なにそれ?」
「だから、うちのボクシング部に挑戦してきた奴がいるんだよ」
「だったら、お前が相手しろよ。俺、そんなの興味ないし」
「そうはいかないんだよ。相手はうちの部で一番強いのを出せって言ってるんだ」
「うちで一番強いの?」
「そうだ。だからお前を呼びに来たんだよ」
「なに? それってつまり俺が一番強いってことか?」
立神は嬉しそうだった。
「まぁ、ボクシングかどうかはともかく、お前が一番強いのは誰もが認めてるよ。それに顧問もお前を呼んでくるように言ってるんだ」
「へぇ、そうなんだ。俺が一番強いか。まぁ、そうだわな。ガハハハ。そうか、俺が一番かぁ、いい響きだなぁ。一番って」
立神はライオン顔でニタニタするが、それがあまりに不気味なので、井上は背筋が寒くなった。
「あ、ああ、まぁ、とにかく、すぐに来てくれ。その道場破りに来た奴がヤバいんだよ。俺も以前にネットで見たことあるんだけど、昔試合で相手を半殺しにしたとかいう、とにかく凶暴な奴なんだ」
「なに! ガハハハ、そいつは面白そうだ。よし、早速行くぞ!」
立神は勢いよく教室を飛び出し、廊下をボーッと歩いている奴を弾き飛ばしながら、ボクシング部の部室へと走った。
「おい、こんなんじゃ、相手にならねえよ。もっと強い奴がやるだろう」
リングの上で、男は余裕の言葉を吐いた。
リングには元相撲部の太田が大の字に倒れている。
「鶴岡、ちょっとは手加減してやれよ。お前はプロだったんだからな。ハハハ」
リングの下には火土井組の向島がいた。
「先生よ。もっと強いのがいるって聞いてたんだけどな」
鶴岡はリングの周りを見渡す。
リングの下には顧問の原田以外に部員がいた。
「待ってくれ。もうすぐ来る」
原田はそう答えた。
「おい、立神はまだか?」
部員の一人に訊いた。
「いま井上が呼びに行っています」
「そうか。クソー、なんであの狂犬と恐れられた鶴岡がうちのボクシング部に殴りこみなんだ。あんな凶暴な奴に勝てるのは立神しかいねえ」
原田は口惜しそうに地面を踏みつけた。
そこに立神がやってきた。
「おう、悪ぃ悪ぃ。どいつが道場破りに来たんだ?」
立神はキョロキョロと周りを見回す。
「あの男だよ」
井上がリングを指さした。そこには鶴岡が立っていた。
鶴岡は背はそんなに高くはないが、締まった体をしていて、いかにも鍛え抜かれたボクサーという感じだ。そして顔にはその凶暴さを象徴するように、頬に大きな傷跡があった。
「立神、お前が頼りだ。あいつをぶっ倒してくれ!」
原田が立神の肩を叩いた。
「任せろ。やったるぜ!」
立神は勢いよく腕を振り上げた。
「グワッ!」
振り上げた手が原田の顔面に直撃した。
「こ、顧問。大丈夫ですか!」
部員が原田に駆け寄った。
「ハハハ、出てきやがったな。ライオン野郎。さっさとリングに上がりやがれ!」
リングの向こうで向島が言った。
「立神、とりあえず着替えろ。はい、これトランクス」
井上が立神にトランクスを渡した。
「おう」
立神はその場で制服を脱ぎ、いったんスッポンポンになってトランクスを履いた。
「おい、おい、こんなところで裸になるなよ」
井上は顔を背けた。
しかし、リング上の鶴岡はしっかり見ていた。
立神のイチモツをだ。
「あんなに巨大なの見たことねえ」
鶴岡はビビッていた。自分も巨大であることに自信を持っていたが、それをはるかにしのぐ大きさだった。
「さあ、準備はできたぜ!」
立神はグローブも嵌めた。
「ほう、なかなかの身体つきじゃねえか。しかし、ボクシングはテクニックだ。それといかに凶暴になれるかの勝負だ。そういう意味では鶴岡が上を行ってるぜ」
向島は立神の筋肉隆々の上半身を見て言った。
しかし、鶴岡は違った。
(あんなにデカいイチモツを持ってるってことは、パワーとかも絶対スゴいに決まっている)
鶴岡の頭の中は単純だった。これまでの人生、男としての格をアソコの大きさで計ってきた。
刑務所暮らしの時も、その大きさで他を圧倒していたから、自信を保つことができた。自分が受刑者で一番格上だと思えたのだ。
そして、自信を保つことができたからこそ、狂犬と呼ばれるような凶暴さも発揮できた。
立神がリングに上がった。
太田は部員が引きずり下ろした。
「さあ、始めるか。ガハハハ」
立神は楽しそうに笑った。