放課後、原田は立神をボクシング部に連れて行くため、一年二組の教室に来た。
「おい、立神はどこだ?」
立神の姿はなかった。
「ああ、立神ならいま帰りましたよ」
生徒の一人が言った。
「なに? いま帰ったところか?」
「はい」
原田はそれを確認すると、急いで校門の方へと向かった。
すると、校門をいままさに出ようとしていた立神を見つけた。
「立神ー!」
原田は声をかけた。
「はい?」
「おお、立神、待て。お前ボクシング部に入ってくれるんだろう。どうして帰るんだ?」
原田は立神に小走りで追いつくとそう言った。
「ボクシング部? 俺そんなの知らないっすけど」
立神は忘れているようだ。
「おいおい、お前、今日体育の授業の後に声かけただろう。忘れたのか?」
「ああ、思い出した。焼肉っすね。いまからですか?」
「そ、そうだ。焼肉だ。ボクシング部に入るのなら食わせてやるぞ」
「じゃあ、入ります。行きましょう」
立神は校門の外へと向かった。
「おいおい、ボクシング部の部室はあっちだぞ」
「え、焼肉に行くんじゃないんすか?」
「ボクシング部に行くのが先だ」
「えええ、じゃあ、やめときます」
「え、ま、待て。わかった。焼肉は連れて行ってやる。だけど、ボクシング部に行ってからだと、二回食べさせてやるぞ」
「わかった。じゃあ、先にボクシング部に行くよ」
原田はほっとした。
(それにしても、こいつはいったいなにを考えているんだ? ひょっとしてバカなんじゃないだろうか? 考えてみたら頭がライオンだしなぁ。常識がちょっとかけてるのかも)
原田は立神を連れて、ボクシング部の部室に行った。
部室に入ると、そこにはリングがあった。周りにはすでに部員が練習を始めている。全員で十五人ほどだ。誰もがなかなか精悍な顔つきである。
「おい、集まってくれ。今日から新しく部員になることになった立神だ。よろしく頼む」
原田は立神を紹介した。
「おい、こいつ、確か一年に転入してきた奴じゃねえ」
「ああ、噂には聞いてたけど、マジでライオンだよ」
「こいつ、ボクシングできるのか?」
部員は口々に言った。
「よし、じゃあ、初めにちょっと腕試しというか、ボクシングがどういうものか経験してもらえたらと思うんだ。おい、井上、余ってるトランクスを立神に貸してやれ」
原田に言われて、井上がトランクスを持ってきた。
「じゃあ、まずはこいつに着替えろ」
原田は立神にトランクスを渡した。
「へえ、こんなの履いてやるんすねぇ」
「あっちに更衣室あるから、着替えてこい」
言われた立神は、更衣室に行きトランクスに着替えてきた。シューズはないので、スニーカーだったが、これは仕方がない。
「お、おい、マジか。あの身体」
「完全にヘビー級だな」
立神の発達しすぎた上半身に、部員がコソコソ言い出した。
「おお、いい身体してるな。予想どおりだ。じゃあ、グローブを嵌めて軽くスパーリングをやってみるか。リングに上がれ」
(フフフ、いくらパワーはあっても所詮はボクシングの素人。まずはボクシングをやってる奴のパンチを喰らわせて驚かせんとな。それで、俺も強くなりたいという気にさせるのだ)
原田はほくそ笑んだ。
「じゃあ、井上。お前の方が階級はだいぶ下だけど、ちょっと相手してやれよ」
「はい、わかりました」
井上はライト級だが、県大会で優勝するぐらいの実力者だ。
「あまり痛めすぎるなよ。フフフ」
原田は井上なら余裕でノックアウトすると思った。
「完全なボクシング素人でしょう。余裕っすよ」
井上もグローブを嵌めてリングに上がった。
「うわあ、これがリングかぁ」
立神は珍しそうにそんなことを言っている。そして、ロープにもたれて跳ね返りも確かめていた。
「じゃあ、ゴングを鳴らせ」
カーン!
(まあ、いきなり井上を相手にさせるのは酷ってもんだが、まずは負ける口惜しさを覚えさせんとな)
「うああああ、た、大変です!」
生徒の声にリングを見ると、立神が井上の頭に噛みついていた。ライオンの口の中に頭がすっぽり入っている。
「おいおい、待て待て!」
原田は大急ぎでリングに上がった。
「バカ、噛みついてどうするんだ」
「え、ダメなんすか?」
立神は口から井上の頭を出した。井上の頭部は牙の跡が付き血だらけである。
「お前、ボクシングを見たことないのか?」
「それぐらいあります。オヤジが好きでよく一緒にユーチューブで昔の試合を見てますよ。ガハハ」
「いったい誰の試合を見たんだよ」
「アントニオ猪木とブッチャーとか」
「バカヤロー、それはプロレスだ!」
そこから原田はボクシングのルールを簡単に説明した。
「なんだ、そういうのだったんすね。それだったら初めに言ってくれればいいのに。ガハハハ」
「じゃあ、もう一回初めからやってもらうぞ」
井上はもうダメなので、他に誰に相手をやらせるか。
原田はとっておきを出すことにした。
元相撲部で最近ボクシング部にスカウトしてきた太田だ。
太田は身長は二メートル、体重は百五十キロの超巨漢だ。ただ、相撲は張り手とツッパリばかりで、素行も悪く相撲部の厄介者だった。
その太田を原田はボクシング部に連れてきたのだ。
連れてきた理由は、もちろん立神と同じだ。
この太田にも焼肉をごちそうした。めちゃくちゃ食べるので、原田はビビったがその分かなり活躍が期待できた。
太田がリングに上がる。
身長は大柄の立神よりもさらにデカい。立神が見上げるほどだ。
「お前、デカいなぁ。なに食ったらそんなにデカくなるんだ?」
立神は不思議そうに訊いた。
「フン、お前の方こそ、なにを食ったらそんな顔になるんだよ」
太田は立神をバカにしているようだった。
「ああ、これは遺伝だよ。オヤジにそっくりだってよく言われる」
立神はバカにされているのに気が付いていなかった。
「ハハハ、お前と一緒の顔がもう一つあるのか?」
太田はバスバスとグローブをぶつけて威嚇した。
「じゃあ、始めるぞ」
ゴングが鳴った。
「お前なんて一発で終わりだ!」
太田は相撲のツッパリで鍛えたストレートを、立神のライオン顔にめがけて打ち込んだ。
しかし、立神はそれを軽く横に避けてかわし、思い切り振り被ったパンチを太田の顔面に叩き込んだ。
ドスッという鈍い音がして、巨漢の太田がロープまで飛ばされた。
「ヒャッホー! これはおもしろいな」
立神は、ロープに当たって跳ね返ってきた太田に対して、もう一発パンチをお見舞いした。
太田の巨漢が風船人形のように軽々と飛ぶ。
そして、またロープで跳ね返ってきたところを、立神はつかまえて、そのままジャーマンスープレックスをかけた。
太田の身体が宙に舞い、ドスンとリングに叩きつけられた。
太田の頭は自分の体重と立神のパワーでリングにめり込んだ。
「おい、太田、大丈夫か!!!」
他の部員が急いでリングに駆け上がる。
太田は泡を吹いていた。
「立神、ジャーマンスープレックスは反則だぞ!」
「ああ、すまん。思わず身体が動いちゃって、エヘヘ。やっぱり何回もユーチューブで見てるから勝手に身体が反応するんだな。ガハハハ」
ライオン顔が豪快に笑った。
「今日の練習は中止だ!」
井上と太田は医務室に運ばれた。
その後、原田は約束どおり立神を焼き肉屋に連れて行った。
「さあ、約束だ。好きなだけ食え」
立神は遠慮がなかった。四十人前を一人で食べた。
(こ、これも投資だ。こいつをチャンピオンに育てたら俺は名トレーナーとして認められる)
原田はこんな立神の活躍に期待してやまなかった。
そうして原田と立神が焼肉を食べている頃、クラスメイトの佐藤が街で、他校の不良にカツアゲされていた。
「そういや、お前の学校に変なのか転校してきたらしいな?」
カツアゲをしている不良の一人が言った。
「は、はあ」
「いつか挨拶に行ってやるって言っておくんだな」
そう言って不良グループは佐藤のお金をカツアゲして去っていった。