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第7話

 バスが終点につき、そこからふたりで傘も差さずに海岸まで歩いた。

 塩辛い風の匂いと、湿り気を帯びて皮膚に張りつく空気が気持ち悪い。

 コンクリートの階段を降りて砂浜へ足を踏み出すと、体重の重さでローファーがぐっと砂の中に沈んだ。

 砂が靴下にくっつき、いやな感触を伝えてくる。

 小ぶりではあるものの、空から落ちる雨粒が私たちを濡らしていく。

 それでもかまわず、私たちは海へ向かって歩いた。

 椿先輩が、さざなみに足を浸した。

 足首まで海水の中に消えると、椿先輩はいよいよひとではないなにか特別なものになってしまったような気がして少し焦る。

「あーっ! 気持ちいい!」

 椿先輩が、雨を落とす灰色の空へ向かって叫んだ。

「あーっ!!」

 天を仰いだ椿先輩の顔に、雨粒が容赦なく降りかかる。雨粒は彼女の顔へ落ちて、そのまま首筋を流れていく。

 この世のものではないように思えるほど、その光景は美しい。

 不意に、椿先輩が私を見た。

「あんたも叫びなよ。気持ちいいよ」

 言われて、私は空を見上げる。

 曇天だ。ときどき雨粒が目に入って、少し痛い。怖くて目を開けていられなくなりそうだ。

「私は……」

 ぐっと言葉を飲み込みかけて、首を振る。

「私はなにも悪くない! なんで私がバカにされなきゃなんないのっ! なんで私が、気を遣われなきゃいけないのっ! 私は私! 親がどういうやつかなんて、私にはなんの関係もないっつーのっ!!」

 声がひっくり返るのも気にせず、思いっきり叫んだ。

 じぶんでもびっくりするくらい大きな声が出た。

 くつくつと笑い声が聞こえて、私はとなりを見る。椿先輩が肩を揺らして笑っていた。

「いいじゃんっ! あたしも負けてらんないな!」

 そう言って、今度は椿先輩が空気をすうっと吸い込んだ。

「だれが雪女だ! だれが魔女だ! あたしは椿みぞれだーっ!」

 椿先輩の叫びの合間に、私も叫ぶ。

「あーっ!!」

 椿先輩はちらりと私を見て、嬉しそうに目を細めた。

「つうか、生きててなにが悪い! あたしだって被害者だ! 雪崩は、あたしのせいじゃねーっつーのーっ!」

「見んなバカーっ!!」

 私たちは叫んで、はっと息を吐いた。

 それから息が乱れるお互いの顔を見合わせて、私たちは思いきり笑った。

「あーっ! すっきりしたっ!」

 椿先輩が砂の上に寝転がりながら言う。そのとなりに座り込み、私もしみじみと海を眺めた。

 白く泡立つ波をぼんやりと眺めながら、椿先輩へそっと声をかける。

「……あの、ずっと聞きたかったことがあるんですけど」

「なに」

「椿先輩はいつも、あの教室からなにを見てるんですか」

 元スキー部の部室だったあの空き教室で、たったひとりで。

「……さぁね」

「さぁねって……」

「でも、あんたと一緒だよ、たぶん」

「私と?」

 私は首を傾げ、椿先輩を見下ろす。

「もういないって分かってるのに、どうしても足が向いちゃうんだよ。あそこに行けば、あいつらにまた会えるような気がしちゃってさ」

「……スキー部のひとたち、仲良かったんですね」

「まあね。いやなことだっていっぱいあった部活だったけどさ、なんだかんだやっぱり楽しかった思い出がいちばん頭に浮かんでくるんだよ。ムカつくくらいに」

 見なくても分かった。となりで、椿先輩は泣いていた。

「……っ……あたしさ、スキー部の中でだれより不真面目だったんだよ。だから、あの雪崩が起きたときも、私ひとりサボってて。おかげでひとりだけ助かっちゃった……一生懸命だったみんなが死んで、不真面目なあたしだけが。裁判がね……もうすぐ終わるの。終わっちゃう。判決なんか出たところであたしの日常が戻ってくるわけでもないし、あいつらが帰ってくるわけじゃないけどさ……なんか、なにかが終わるってやっぱり怖いよ。決着が着くのは、安心する感じもあるけど、そのひとのすべてが終わっちゃう気がするから。そのあと、あたしはどうしたらいいんだろう。なにに怒って生きてけばいいんだろ……」

 椿先輩は泣きながら、静かに叫んでいた。

「……ごめん。ごめん……あたしだけ助かってごめん、みんな、助けられなくてごめん……ごめんね……」

 みんなに、生きててほしかった。死なないでほしかった。ひとりにしないでほしかった。

 ――ひとりに……。

 悲痛な声が、空に吸い込まれるようにして消えていく。

 彼女はきっと、ずっとこの感情を飲み込んでいたんだろう。

 ずっと、こうやって叫びたかったのだろう。

 だって、私もそうだから。

「お母さん……」

 唇がぶるぶると痙攣する。

「お母さんっ……お母さんお母さん、お母さん……」

 何度も何度も『お母さん』を呼びながら、泣いた。

「なんで私を置いていっちゃったの……私にはお母さんしかいなかったのに。死ぬなら、私も連れて行ってくれたってよかったのに……私はいらなかったの? 私は……お母さんにとってなんだったの……?」

 血縁とは、まるで呪いのようだ。

 切り離したくても、ぜったいに切り離せないもの。

 お母さんへの感情は、いろんなものがぐちゃぐちゃに混ざり合っていて、ひとことでは言い表せない。

 大好きだし、同じくらい、いや、それ以上にだいきらい。でも、ふとしたときに寂しくなって、どうしようもなく求めたくなる。

 私たちは幼い子どものように泣きじゃくって、心の中に溜まり続けた思いを吐き出し続けた。

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