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第2話


 きらいなものをあげたらキリがない。

 早起きも、学校も、集団行動も、クラスメイトの大きな声も、男も女もみんなきらい。

 だけどなによりきらいなのは、ひとの視線だった。

 私は、だれかと目が合うことがなによりきらい。

 私はだれにも見られたくないのに、みんな私を見る。私を見ては、ひそひそと囁く。

葉桜はざくらさんってさぁ……』

 なにを言っているのかは、聴こえない。けれど、聴かなくても分かる。

『母親に似て』

『男狂い』

『やっぱりね』

 愛人の子というステータスがあるおかげで、私はこの歳までずっと、後ろ指をさされ続けて生きてきた。

『泣くんじゃない』

 いじめられるたびにべそをかく私を、母は慰めることもせずに叱った。

『泣いたら相手の思うつぼなのよ。言い返しなさい。相手が泣くまで』

 そんなこと、できなかった。だって、みんなが言うことは事実だから。

 やっぱり泣いて帰ってくる私を、母は呆れた顔でただ見ていた。庇ってはくれなかった。

 私がいじめられるのは、ほかでもない母のせいなのに。

 しかしそんな母も、結局世間の目に負けた。

 母が妻子持ちの私の父と別れて実家のある栃木とちぎに逃げ帰ったのは、私が小学校四年生のときだった。

 私が住むのは狭い田舎街だ。引っ越してきて間もなく、母の噂は広まった。

 転校初日、私はクラスメイトとなった男子たちに、開口一番に言われた。

『イケナイことしてできた子どもがきたー!』

 その日から、当たり前のように男子にはからかわれ、女子には仲間はずれにされる日々が始まった。

 といっても、母に似てそれなりの容姿であったためか、ひどいいじめはなかった。

 ひどくなる前に、先生が守ってくれる。ただ、守ってくれるのは、いつも男の先生だった。それが余計、火に油を注ぐかたちになった。

 しかしそうなると、今度は保護者たちから『母親に似て娘まで男を惑わすのね』なんて言われた。

 散々言われ続けたせいか、私は次第になにも感じなくなっていった。

 クラスメイトからの暴言も、陰口も、先生からのありがた迷惑な励ましも、なにも感じない。

 精神を病んで母が自殺したときですら、涙ひとつ出なかった。

 そのときはさすがにじぶんでもどうかしているかもしれないと思ったが、出ないものは仕方がない。それに、感情に流されないのは、日常生活を送る上では案外楽だった。

 高校生になってとなり街の高校に入学すると、さすがに私の内情を知るひとはいなくなって、私へのからかいや噂話はなくなった。

 代わりに聞くようになったのが、『スキー部事故』と『雪女センパイ』とかいう単語。

 なんでも、私が入学する直前の冬、スキー部の合宿で事故があったらしい。

 全国ネットのニュースでも大々的に取り上げられたらしいが、私は受験勉強でそれどころではなかったのでよく知らなかった。

 噂によると、スキー場での練習中、部員と引率の教師二名が雪崩なだれに巻き込まれ、死亡したという凄惨せいさんな事故だった。スキー部員十二人中、生き残った生徒はたったのひとり。

 それが『雪女センパイ』らしい。

『雪女センパイって、魔女みたいだよね』

『部員荒らしだったっぽいよ』

『スキー部の事故って、雪女センパイの魔力だったりしてね』

 ――くだらない。

 だれもかれも、よくもまぁ噂の種を拾ってくるものだと思う。



 ***



 高校に入学して二ヶ月。今のところ、学校には平和に通えている。

「おはよー。ねぇ、昨日のドラマ見た?」

「見たみた! めっちゃ面白かったー」

「ねぇ、今度のビビデビのライブ、一緒に行かない?」

「えっ! 行こいこ! じゃあ私申し込んどくよ!」

「マジ? ありがとー! じゃあ次のライブは私の名義で申し込も」

「オッケー!」

 あちこちから、華やかな声が聞こえてくる。

 ――ビビデビって聞いたことある。

 たしか、ビビットデビルっていうアイドルグループだ。

 今私たちの世代にいちばん人気のアイドルだった気がする。

 ――アイドルかぁ。

 毎日クラスメイトたちの会話を聞いていて思う。

 みんなには、当たり前に好きなものがある。

 アイドルとかアニメのキャラとか、コスメブランドとか。

 放課後は毎日友だちと買い食いをして帰って、休日はアイドルのライブに行ったり、買い物に遠出したりする。

 どうして私は、ああいう『ふつう』になれなかったんだろう。

 コスメを見ても心は踊らない。化粧なんてしたら、また男を誘ってるとか言われるに決まってる。

 男を見ても、気持ち悪いとしか思わない。男なんてみんなバカだ。

 友だちなんて、信じられない。どうせ影で悪口を言っているに決まってる。

 ……あぁ、私は。どこで間違ってしまったのだろう。

 私は、どうすればああなれるのだろう。

 ……きっとなれない。

 ああなるにはきっと、生まれるところからやり直さなればならない。

 不倫でできた子じゃなくて、母親が自殺した可哀想な子でもなくて、『ただの』私にならなければ、無理だ。

 私は、ふつうじゃないから。

 クラスメイトたちは、入学当初こそ声をかけてきたものの、私が群れる気がないのを悟るとすぐに関わろうとしてこなくなった。

 私の存在はその程度なのだ。

 無理に仲良くしなくていい。仲良くなくてもいい存在。

 新しい学び舎で私は、愛人の子というステータスから、陰キャというステータスに格上げされている。

 格上げというのはつまり、陰キャのほうがマシだから。

 だって、ただの陰キャならみんな、私を見ないから。私に興味を持たないから。

 こそこそと噂話を囁かれるより、ずっといい。

 だから、いい。

 これ以上私は、なにも望まない。

 好きなものなんていらない。友だちもいらない。家族も……なにも。

 教室の喧騒を遮断するように、私は窓の外へ目を向ける。

 窓は締め切られているけれど、雨に打たれる校庭を眺めていると、こちら側まで雨の匂いが漂ってくるような気がする。

「おはようございまーす。はい、みんな席についてー。ホームルーム始めるよー」

 ドアが開く音とともに、担任が挨拶をしながら教室に入ってくる。

 賑やかだった声は途端に静まり、椅子を引く音と雨音だけになった。

 出席を取り終わると、来月の頭にもよおされる球技大会の種目決めに移った。

 それぞれ、近くの席の子とこそこそと出場種目をどれにするかという相談の声が聞こえてくる。

 ――球技大会か……。

 学校イベントは基本強制参加。

 長い前髪のせいで、私はあまり視力が良くない。球技は全般苦手だ。

 女子の種目は、バレー、バスケ、バドミントン、テニス、卓球。この中なら、一番マシなのは個人競技の卓球だろうか。幸い、まだ枠は埋まっていないようだ。

 よし、私は卓球にしよう。

 そう決めた矢先のことだった。

「ねぇ、葉桜さん。球技大会の種目なんだけど……」

 声をかけられ、顔を上げる。

「私、余ってて。よかったら一緒にバドミントンやらない?」

 私に話しかけてきたのは、前の席のまきさんだった。

 牧結子ゆうこさん。

 いつもにこにこしていて、クラスの中心的存在の子。いわゆる陽キャ。優しくて、可愛くて、男女ともに好かれてる。

 でも、その笑顔はどこか胡散臭うさんくさかった。作っている笑顔のような気がしてならなかったのだ。中学のとき、だいたいみんなにいい顔をする子が影でいちばん私のことを散々に言っていた。

 彼女がそうと言うわけではないが、そうでないとも言えない。だからあまり、かかわりたくない。

 けれど、断ったらそれはそれでクラス中からブーイングを浴びることになりそうで、私は頷くしかなかった。

「……はい」

「やった! じゃあよろしくね!」

 俯いたまま短く頷くと、牧さんは嬉しそうに前を向き、手を挙げた。

「はーい、牧と葉桜はバドミントンやりまーす」

 牧さんの高い声は、私の耳につんと響いた。

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