ほとんど街灯もない寂しい舗道を、もう一時間ほども歩いただろうか。
途中、サイレンを響かせながら警察の車が走っていった。誰かが死体をみつけ、通報したのだろう。このまま歩いていては捕まるのも時間の問題だ。ケイレブはどうしようかと辺りを見まわし、高く聳えるガスステーションのネオンサインを見た。
トラックを捕まえ、州外に出てしまおう。そう決めると、ケイレブは広い道路の先にあるその巨大なガスステーション目指し、更に歩いた。
しかし、ようやく傍まで辿り着いたとき、そこには警官がふたりいた。自分を捜しているのではないかもしれないが、なにかを怪しんで声でもかけられれば面倒だ。ケイレブは視界の隅で警官たちの様子を窺いながら、そこから離れようとした。
そのときだった。肚に響いてくる排気音を背後に感じて振り返ると、給油を終えたらしい車がゆっくりと動きだしていた。夜の闇に融けていきそうな漆黒のコンバーチブルが徐行速度でガスステーションの出口へ向かおうとするのを、ケイレブは咄嗟に手をかけて停めた。
「乗せてくれ、頼む!」
返事を待たず、ドアさえも開けずケイレブはその車に強引に乗りこんだ。文句を云われるかと思ったが、運転席の男は少し驚いた顔をしただけで、ケイレブに向かって頷くとそのまま車を走らせた。
滑るように広い道路へ出ると、車は力強い走りで西へと向かい始めた。
ほっとしつつ、なにも云わず黙って乗せてくれた金髪の男に、ケイレブは感謝の言葉を口にした。
「ありがとう、たすかった……。いきなり驚かせてすまなかった。あんたがどこに行くのか知らないが、どこか適当な場所で降ろしてくれていい。迷惑はかけないよ」
カーラジオではニュースが流れていた。ニュースは速報です、とヒューストン郊外にある医療施設で起こった殺人事件について報じていた。
だがケイレブは、ニュースには注意を向けなかった。意識のどこかでは自分のこととわかっているのに、別の意識が聞くことを拒んでいるような――気にしなくていいのだと、自分に言い聞かせているような、夢現の狭間にいるような心地でいた。
既についさっき殺人を犯してきたことも、自分が今どうしてこの車に乗りこんだのかということも、霧に包まれたようにぼんやりとし始めていた。殺人の記憶は現実という名の水面からゆっくりと沈んでいき、やがて泥の底へと埋もれるということさえ、ケイレブは知らない。
『――で起こった殺人事件は、事件発覚と同時に姿を消したケイレブ・ノーマン・クロウリーによる犯行と見て、警察は捜索を続けています。クロウリーはヴェトナム従軍時の体験と非常なストレスによる外傷性神経症、及び解離性障害を発症し、この療養所で治療中でした。なお、担当医師によるとクロウリーは療養所に収容される前、新聞記者として〝魅惑の殺人鬼〟ジョニー・ソガードによる連続殺人についての記事を担当していたことがあり――』
突然ラジオのチューニングを変え、男がケイレブの顔を見た。月明かりに照らされ、黙ったままにっこりと微笑んだその顔は、よく見るととてもハンサムだった。映画スターのようだからか、どこかで見たことがあるような気さえした。
無口なのか、それともシャイなのかもしれない。まだ若く、真面目そうな好青年といった印象の男は黙ったまま運転を続けた。チューナーを合わせたラジオ局はドアーズの〝
「……マスタングか、いいね。クールだ」
その言葉が嬉しかったのか、男は再びケイレブに向かって笑顔を見せた。
「よ、夜のドライヴにはさ、最高だよ」
確かに。ケイレブはつい一時間ほど前に人を殺してきたことをもう思い起こすこともなく、夜風の気持ちよさにほっと息をついた。
エンジン音も心地好い。低く唸る振動に身を任せ、リラックスしてシートに凭れる。見上げると妖しく輝く月が、マスタングに繋がれた風船のようについてきていた。そして瞬く星たち。なんて美しい、なにもかも包んでくれる艷やかなサテンのような夜の空。
「ああ、最高だ……」
ふたりを乗せたレイヴンブラックのマスタングは、夜の闇を切り裂くように緋い残像を残しながら、西へと走り去っていった。
- THE END -
𝟥𝟨𝗍𝗁 𝖵𝗂𝖼𝗍𝗂𝗆 : 𝖳𝗁𝖾 𝖴𝗇𝗍𝗈𝗅𝖽 𝖲𝗍𝗈𝗋𝗒 𝗈𝖿 𝖲𝖤𝖱𝖨𝖠𝖫 𝖪𝖨𝖫𝖫𝖤𝖱 𝖩𝗈𝗇𝗇𝗒 𝖲𝗈𝗀𝖺𝗋𝖽 [𝖢𝗈𝗆𝗉𝗅𝖾𝗍𝖾 𝖾𝖽𝗂𝗍𝗂𝗈𝗇]
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