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scene 3.〝魅惑の殺人鬼〟ジョニー・ソガード

「――朝からずっと書いてたんですか? クロウリーさん。お外、雨が降ってるんで窓閉めますね。暑かったら広間のほうへいらしてくださいな。皆さん、パイナップルジュースを飲みながらTVを視たり、お話してらっしゃいますよ」

 ぽっちゃりとした白いエプロンを着た女性にそう云われ、ケイレブは「そうだな、少し休憩するとしようか」と返事をした。よく知っているような気がするその女性の名前を呼ぼうとして、えーっと、と考えていると、それを見透かしたかのように「メアリーですよ」と名乗られて面食らう。

 まるで病人に付き添うようにメアリーに背中を支えられながら、ケイレブは広間へと向かった。


 メアリーの云ったように広間には大勢が集まり、皆ジュースやアイスティーを飲みながら過ごしていた。テーブルの上で顔を突き合わせ話しこんでいる者、ポーカーに興じている者、ひとりで本を読んでいる者――そして広間にひとつしかないTVの傍に坐っている者たちは、今は『ルーニー・テューンズ』の画面を視てくすくすと笑っていた。

 ケイレブは子供向けのアニメーションか、とがっかりしつつ、そのうち番組が変わるかもと空いた席に腰を下ろした。メアリーがパイナップルジュースを持ってきてくれ、ありがとうとアクリル樹脂のタンブラーを受け取る。喉が渇いていたので早速一口飲むと、ちょうどそのときニュース番組が始まった。



昨日さくじつ、殺人事件の裁判の休廷中に逃亡したテッド・バンディの行方は、今も捜索が続いています。

 バンディは、コロラド州ピトキン郡の裁判所の二階にある図書室の窓から地上に飛び降り、逃亡したのを目撃されています。バンディは過去に起こった複数の未解決殺人事件でも重要参考人となっていますが、今回はメリッサ・アン・スミスとキャリン・アイリーン・キャンベルの失踪と殺人に関与した疑いで、被告として裁判を受ける予定でした。ロー・スクールで法律を学んだバンディはこの裁判で自らを弁護することを希望し、それが認められ、裁判の準備のため図書室の利用を許可されていたということです――』



 テッド・バンディ。

 その名前には聞き覚えがあった。ケイレブは、逃げたということは殺してたんだろうな、と思いながらTVの画面を眺めていた。番組はしばらくテッド・バンディが関与したとされる過去の事件について触れていたが、CMが終わると今度は有名な連続殺人事件についての特集が始まった。

 〝ブルックリンの吸血鬼 Brooklyn Vampire 〟、〝プレイン・フィールドの屠殺解体職人  The Butcher of Plainfield  〟、〝ボストン絞殺魔The Boston Strangler〟――殺人鬼たちの悍ましい犯罪の記録が次々と紹介されていき、ケイレブは顔を顰めつつも興味津々に視ていた。いま書いている小説の主人公も殺人鬼である。熱心に視るのは当然だ。

 年代順に何人かの殺人鬼についての解説が続き、最後に一九七二年十月から七四年九月のあいだに三十六人の女性を殺したという〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟について、番組のホストが話し始めたときだった。

 画面にフォーカスされた写真には、長めに伸ばした金髪と、整った優しげな顔の若い男が写っていた。『〝魅惑の殺人鬼〟ジョニー・ソガード』とテロップもでている。その文字の並びを見ていて、ケイレブは〝魅惑の殺人鬼〟という異名を自分はよく知っている、という感覚に陥った。

 まだ記憶に新しい事件です、とレポーターが事件の起こった場所で概要を説明する。テネシー州ノックスヴィル、大学近くにある、学生向けのアパートメントが建ち並ぶ路地。事件当時は雪が積もっていたというその風景を、ケイレブは見たことがあると感じた。脳裏に浮かんだのは夜、路上駐車で片側が埋め尽くされている路地。しかし、画面に映る昼前の明るい路地には車など、二、三台しか駐められてはいなかった。

 自分はあの場所に行ったことがあるのだ。ケイレブはそう確信し、いつ、なんのために行ったのだろうと疑問に思った。

 レポーターは、この場所での殺人のあと〝魅惑の殺人鬼〟ジョニー・ソガードはおよそ八ヶ月ものあいだ犯行を止め、捜査も行き詰まってしまいます、と解説を続けている。そしてカメラがスタジオに切り替わると、司会者がパネルを指し、あらためてそれまでに起こった殺人について振り返り始めた。

 整然と並んだ三十件以上もの犯行について、パネルには日付と現場となった街の名前が記されていた。デイトン、レキシントン、コロンバス、インディアナポリス――ケイレブは驚愕に目を瞠った。それは、自分が書いた小説とまったく同じだった。

 それに気づいた瞬間――またも脳裏にいくつかの光景が浮かんだ。

 夜道に転がっている、真っ赤に染まった女性の死体。水溜まりのように血痕が広がった舗道。若くして命を奪われた不運な被害者たち。ブルネットの、赤毛の、金髪の――たくさんの若い女性たちの、生前の顔までが瞼の裏で瞬いた。

 どういうことだろう。自分はこの事件を、この殺人鬼の犯行を知っている。知りすぎている。

 困惑し、暫し茫然としていたケイレブは、ロザリー・ブラニガンという名前を耳にし、はっと番組に注意を戻した。画面には快活な笑顔の、薄茶色の長い髪の女性の写真が映されていた。まるで仔栗鼠のように可愛らしいその女性は〝魅惑の殺人鬼〟ジョニー・ソガードによる殺人の最後の被害者であり、妻であったと紹介されていた。

 そして最後に、ソガードは逃亡中に警察に包囲されオハイオ川に転落、その後の捜索で発見されないまま死亡したものとみられています、と司会者が締めくくった。

 がたんと椅子を蹴って立ちあがり、ケイレブは逃げるように広間を出、部屋に戻った。

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