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scene 2. ケイレブ・ノーマン・クロウリー

 木々に囲まれた広い芝生の庭に出ると、そこにはギンガムチェックのクロスが掛けられた大きなテーブルと、ラタンのチェアが置かれていた。テーブルにはレモネードで満たされたピッチャーの他に、琺瑯ホーローのポットもいくつか並んでいる。その横にシュガーポットやミルクピッチャーがあるところを見ると、あれはコーヒーなのだろう。傍にはペーパーナプキンを敷いたバスケットがあり、クッキーや四角くカットされたチョコレート色の焼き菓子などがどっさりと入っていた。

「はい、どうぞ。テキサスシートケーキも美味しいですよ、適当に好きなものを取って食べてくださいね。午前中はまだ暑くなくて、お外も気持ちいいでしょう。偶には他の人たちともお話してくださいね」

「ありがとう」

 着席してレモネードを受け取りながらそう返事をし――他の人? とケイレブは周囲を見まわした。広い庭に集まっている者たちは皆、白と淡いグリーンのストライプのパジャマを着ていた。なかには上だけ真っ白なTシャツを着ている者や、カーディガンを羽織っている者もいるが、メアリーのようにエプロンを付けた女性以外は全員、同じ恰好だった。

 ふとケイレブは視線を落とし、自分の恰好を確かめた。やはり皆と同じストライプのパジャマ姿だった。不思議そうに小首を傾げたそのとき――近づいてきた気配に、ケイレブははっと振り返った。

「やあ。よければそっちにあるケーキを取ってもらえないか。あっちのテーブルのはもうなくなっちまってね」

 声をかけてきた男は車椅子に乗っていた。やはり同じ恰好で、片袖が不自然にだらりと下がっている。ケイレブがつい目を離せずにいるとその袖が風に吹かれ、ふわりと揺れた。袖の中は、どうやららしかった。

「あ、ああ……、あのケーキだね。ひとつでいい? クッキーは?」

「ケーキだけでいい、たすかる」

 小皿にカットされたテキサスシートケーキを取ってやり、ケイレブはフォークを添えて渡した。

「大丈夫、食べられる? ……その、いったいその腕は……」

 すると男は少し驚いた顔をして、呆れたように云った。

「なに云ってんだ、此処は俺みたいな奴が大勢いるじゃないか。……ははあ、おまえさんはあれか、頭のほうをやられたクチか。そういや見ない顔だな、新入りか?」

 頭をやられた、などと云われ思わずかちんときたが、男はケイレブを莫迦にするつもりはないようだった。

「ほら、あっちにいる奴らも同じだ。両脚を吹っ飛ばされた奴やら、片腕を失った奴やら、片眼を潰された奴やらいろいろさ。あんたみたいに躰はなんともなくても、精神的にぶっ壊れた野郎も多い。ま、そういう奴らのほとんどは、別なところに閉じこめられてるけどな」

 男が指したほうを見やり、ケイレブは途惑いながら尋ねた。

「いったい……此処は」

「此処か? なんだ、それもわかってないのか。此処は療養所サナトリウムだよ。街のほうにある病院の別館みたいな施設さ。以前は結核患者なんかがいたらしいが、今いるのはヴェトナム帰りの問題を抱えた奴ばっかりだ。……脚も腕も、みんなヴェトナムでやられちまったんだ。見たところ手脚は満足に揃ってるが、あんたもそうだろ?」

 訊いても頭や心をやられたんじゃ答えられねえか、と云いながら、男はさっさとケーキを口に放りこみ、離れていった。


 動揺し、ケイレブは一息にレモネードを呷ると建物内に戻った。出るときは気にもしなかったが――ひょっとすると、無意識にそうしていたのかもしれない――確かに此処は大きな屋敷というのではなく、病院かなにかの施設に見えた。

 どちらを向いても壁は白く、廊下には手摺が付けられ、すべての窓には面格子が嵌っている。そしてずらりと並んだドアの左上には、番号と名前が記されていた。

 ――僕も、患者なのか。

 ケイレブは自分がなぜ此処にいるのか思いだせず、ふらふらと広間のほうへ向かった。


 LOUNGE談話室 とプレートに記された広間には、小さなテーブルと椅子が何セットも置かれていた。壁には風景画が掛けられていて、窓際には花も飾ってある。片隅にはTVもあり、今は外で過ごしている患者たちがこの広間に集まって時間を潰すのだろう光景が、容易に想像できた。

 そんなふうに過ごした覚えは、自分にはなかったが。

 ケイレブは自分のなかにある記憶を辿った――子供の頃のことや両親、祖父母の顔はちゃんと憶えている。学生の頃から本を読むのが好きで、いつか小説家になりたいと夢をみていた。その勉強のため、さらに様々な書物を読み、新聞も毎日隅々まで読んだ。そのおかげか、学校の成績も常に上位だった。

 そして夢は叶って小説家になり、いつもタイプライターに向かっていた――と思う。しかし、あらためて考えてみると自信は持てなかった。小説を書いていたのは確かだが、書いた本が出版されたことがあるかどうかはわからなかった。

 ――否。原稿を催促する電話を、しょっちゅう受けていたような気がする。ケイレブは目を閉じ、必死に頭の片隅に残る記憶の欠片を掴もうとした。タイプライター、ペンと手帳、そしてデスクの上いっぱいに広げた資料。ふと鳴り響く電話の音と、大勢が忙しそうに動いている光景がぼんやりと浮かんだ。壁一面が窓になっている広いフロア、ずらりと並んでいるデスク。煙草のけむりで白く靄がかかっている天井には、直管型の照明が整然と埋めこまれている。

 ……ここはいったいどこだろう?

 しかし思いだそうと手を伸ばすと、その光景は砕けるように散ってしまった。かわりに浮かんだのは、ついさっきまで書いていた、殺人鬼が若い女性を惨殺するシーンだった。まるで実際に見たかのように被害者と現場の様子、そして蒸し暑い夏の空気に融ける血の匂いや、ナイフで刺す感触までもがありありと想像できた。

 頭のほうをやられたクチか。さっきの男の言葉を思いだしてしまったが、ケイレブにはヴェトナムへ行った記憶もなかった。自分はいったい、なぜ此処にいるのか。本当にヴェトナムで頭がどうにかなってしまったのだろうか。

 ――だとしたら自分はいったいなにをして、なにを忘れてしまったのだろう。

 足許がぐらつくような感覚に、ケイレブはふらふらと背後にあった椅子にへたりこんだ。

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