ジョニーはベッドに横になったまま、壁のコルクボードにピンで留めてある写真をぼんやりと眺めた。
ピートとレックスと自分、三人揃って笑顔で撮った写真が貼ってある。ふたりとも自分にとても優しかった――ピートなど、ジョニーが誤解から警察に連行されてしまったとき、こいつは違う、ただ巧く喋れないだけなんだと必死に食い下がってくれたほどだ。
あれはジョニーが十五歳になったばかりの頃のことだ。いつものようにピートの家へと向かう途中、ジョニーは似たような外観の家ばかりが立ち並ぶ一角で、泣いている子供を見かけた。
思わず「迷子?」と声がでたが、それは独り言だった。その場からじっと動かず、両手で目を覆って泣き続ける五、六歳くらいの女の子に、ジョニーは放っておけない、なんとかしなきゃと勇気を振り絞った。
どうしたの? ママとはぐれたのかな、それともおうちからひとりで出てきちゃった? この道、どっちから来たかわかる?
自分ではそう尋ねたつもりだった。しかし実際は、「ど、どどど、どう……」「ま、まままい……ごっ、ごご……ま、まい」「お、おおおうち、ど、どっち……えっと、みち……」と、おどおどしながら呟いているだけだった。女の子は泣きやんで顔をあげると怯えた表情でじっとジョニーを見つめ、じりじりと後退った。そのまま、今にも逃げだしそうな様子だった。
ジョニーは、機会があったにも拘らず自分が保護できなかった所為で女の子が家に帰れなかったらどうしよう、事故にでも遭ったら大変だと不安になり、その小さな手を掴んだ。女の子は腹の底から搾りだすような、ものすごい悲鳴をあげた。
そして間の悪いことに、そこへ「オリヴィア!」と名前を呼びながら母親らしき女性が駆け寄ってきた。「な、なんですかあなた! この子にいったいなにをするつもりなの!?」と母親はすっかり誤解し、幼い娘を抱きしめながら「誘拐犯!! 変質者よ、誰か! 誰か警察を呼んで!」と、金切り声で叫んだ。
周囲の家の住人たちは、その前、女の子の悲鳴を聞いたときから何事かと見ていたのだろう。二階の窓から顔をだしている者、ドアを少しだけ開けて覗き見る者、果てはライフル銃を構えて外に出てきたガウン姿の老人。他にも数人の老人や男たちがどこからか集まってきて、ジョニーを囲んだ。
もしもあのとき、遅いから心配になったとジョニーを探していたピートが事態を知り、警察署まで来てくれていなかったら、ジョニーは幼児誘拐犯として塀のなかで過ごすことになっていたかもしれない。
レックスも、ピートとはタイプが違うが、よく気のつくとても優しい奴だった。
あれは迷子保護未遂事件――としか呼びようがない――のあと、三ヶ月ほどが経った頃のことだ。レックスは、自分やピートとはすっかり慣れてかなりふつうに話せるのだから、ジョニーのそれはただのちょっと酷い人見知りだといつも励ましてくれていた。そしてレックスは、女の子に対してなお話せなくなるのは、ただ勝手が違って不慣れなのもあるだろうけれど、ひょっとしたら女性そのものが苦手なのかもしれないよ? とも云った。
それはおそらく、彼自身のことだった。レックスはもしかすると、ジョニーに自分と同じ性的指向であってほしかったのかもしれなかった。
十六歳の夏のこと。ピートとレックスと一緒に過ごしているとき、ジョニーがほとんど吃ることもなく話しているのを見て、ある同級生がジョニーに興味をもってくれたことがあった。肩辺りまでのブルネットを、いつも服に合わせたヘッドバンドで飾っているおしゃれな
初めはリンダに対してもまともに話せなかったジョニーだが、ピートとレックスとはどうして喋れるの? と訊かれ、ふたりが説明してくれた――ジョニーは本当は、誰とだってふつうに話せる。ただ、みんな待ってあげないだけなんだ。僕らはジョニーが返事しやすいようになるべくイエスかノーで答えられるような話しか振らなかったり、ジョニーがなにか云いたそうにしているときに、黙ってただ待っていただけだ。そうしているうちに、ジョニーは僕らに対しては意識しないで話したいことに集中できて、だんだん言葉も出やすくなってきたんだよ、と。
それを聞いて、リンダも彼らに倣い、一緒に休み時間を過ごすようになった。ジョニーは十六歳で初めて話せるようになった女の子に、当然のように惹かれた。そしてリンダも、コミュニケーションをとれるようになった学校一のハンサムに好意を寄せた。
リンダはジョニーの初めての恋人になった。十六歳という、青春を思う存分謳歌すべき
しかし、初めての体験への期待と緊張と焦りが、ジョニーをふつうではない状態に戻してしまった。気分が高まっているにも拘らず肝心なものは役に立たず、苛められていた頃の自分のように縮こまっていた。リンダはがっかりした顔を見せながらも、初めてなんだもの、こんなこともあるわよねと、その日はジョニーに優しい言葉をかけてくれた。
しかし、その次に機会があったときも、そのまた次にジョニーの部屋で会ったときも、結果は同じだった。
そのたびに落胆し、呆れ、終いには苛立つリンダに対し、ジョニーは謝ることもできなかった。いつも話しているリンダだ、落ち着かなきゃ、と深呼吸して話そうとするのだが、「ご、ごごごごめ……」「リ、リリ……ダ、あ、ああああい、あい……てっ、てて」と、名前も呼べず、愛してるの言葉さえ云えなかったのだ。
リンダは服を着ながら深く溜息をつき、「残念なハンサムって聞いたけど本当ね。言葉だけじゃなくてそっちも不自由だなんて、ほんっと見た目だけの人」と吐き棄てるように云い、ジョニーから去っていった。
その夜。ジョニーはなにもかもに絶望し、この世から去るつもりで手首を切った。
しかし、傷が浅かったのか死にきれず――その代わりに、落ちこんだ気分をリセットするように、ときどき手首を切ることが習慣になった。