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scene 4. 環の中心

 ――一九七三年十二月 ノックスヴィル、テネシー州――



 大学近くの住宅街には、同じような造りのアパートメントが何棟も並んでいた。そのあいだの路地は、片側がびっしりと路上駐車で埋め尽くされている。

 アスファルトにはうっすらと雪が降り積もっていて、現場は街灯や車のライトが反射し、深夜にも拘らず仄かに明るい。何台もの警察車両は、覆いを掛けられているその場所を大通りに集まる野次馬たちの視界から遮るように、複雑に入り乱れ隙間を埋めるようにして停められていた。

 サムとネッドは路地を封鎖している『CRIME SCENE事件現場 DO NOT CROSS立入禁止』と記されたバリケードテープを潜ると、「FBIだ」とバッジを見せ遺体の傍に屈みこんだ。

 掛けられている覆いをネッドが捲る。遺体にはもう一枚、キャメル色のコートが掛けられていた。

「……これは? 第一発見者が掛けたのか?」

「いや、初めから掛けられてたみたいっすよ」

 ネッドが手袋をつけた手で、そっとそのコートを持ちあげる。サムは遺体の服装を見て、そういえばこのコート無しじゃ薄着すぎるな、と頷いた。

「女物だし、サイズ的にもこの被害者のコートじゃないっすか、これ」

「うむ」

 車で出かけるためコートは袖を通さず手に持ち、アパートメントから出てきたところを狙われたか、とサムは路上に残る足跡を見やった。遺体は二十歳くらいの若い女性。このアパートメントの住人だとすれば、おそらく大学生だろう。

 懐中電灯を向け、遺体の様子をじっくりと注視する。深紅色のワンピースドレスを着たブルネットの――否。裾部分や袖を見ると、そのドレスはもともと白のようだった。ヴェルヴェットのように深く暗い赤に見えたり、鮮やかに見えたりしたのは刺された箇所と血だけが広がっている箇所、そしてその乾き具合によるものだった。

「滅多刺しだ。間違いない、奴の仕業だ。ありがたいね、また捜査資料が増える」

 いいかげんうんざりな気分でサムはそう云った。

 〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟によると見られる犯行はこれで三十四件めだった。しかし依然として犯人の手掛かりはなにもなく、代わりに厄介な問題がサムたちを悩ませていた。


 新たな事件が起こって報道されるたび、自分がやった、自分が〝魅惑の殺人鬼〟だと云って警察に出頭する者が現れ始めたのである。それも、ひとりやふたりではない。事件が起こったあちこちの州、都市で何十人も、である。

 犯人像などというものが無いに等しくても、その人物が本当に犯人かどうかなど、なんとなくわかるものだ。しかしそれでも、自首をしてきた者がいれば担当であるサムとネッドは取り調べをしなければならない。話を聞き、明らかに犯人ではないと判る供述がでれば迅速にお帰りいただく。そんなことばかりが続いていたのだ。

 それだけではない。サムたちFBIが躍起になっても、まだその正体の手掛かりすらつかめないというのに、あちこちの警察署には〝魅惑の殺人鬼〟宛のファンレターが大量に届いていた。これは犯罪性愛ハイブリストフィリア*という犯罪者に惹かれてしまうフェティシズムで、一種の性的倒錯だそうだ。

 『ボニー&クライド症候群シンドローム』とも呼ばれるそれについて、プロファイリングチームのひとりに実例を挙げて説明されたとき、サムはわけがわからんと頭を抱えた。


 掛けられていたコートを遺体に戻しながら、怪訝そうな顔でネッドが云った。

「……これ、犯人ホシが掛けたんですかね? そうだとしたら隠すため?」

 白い雪の上に血塗れの死体じゃ、確かに目立ちますけどね、と続けたネッドに、しかしサムは首を横に振った。

「違うな。隠す気があるんなら、これまでだっていくらでも隠せた。ダンプスターゴミ箱の中でも陰でも、棄てられてる段ボールでもなんでも、ちょっと目隠しする程度のことならいくらだってできた。でも、こんなふうになにかを掛けてあるのは今回が初めてだ。たぶん、だろう」

「持ってたから?」

「ああ」

「どういう理由で?」

「わからん」

「は?」

 サムの返事に、ネッドが困惑気味に首をひねる。

「わからんが、そう感じたんだ。勘だよ」

「じゃあ、間違いないっすね」

 本気で納得したのか、それともからかわれているのか――まったくこいつは、とサムはちらりとネッドを睨み、遺体を指して「もういいぞ」と云い背を向けた。

 遺体はストレッチャーに乗せて運ばれ、検屍にまわされる。だが、どうせ今回も凶器が同一であるとわかるだけで、手掛かりなどなにもみつからないだろう。

「でも、ノックスヴィルとは意外でしたね。まあのなかではありますけど……このぶんだと次はナッシュビルか、それともクリーブランドか……あ、今度こそシンシナティかもしれませんね」

 その言葉に、サムは車のドアを開けかけた手を止めた。

「シンシナティ?」

 眉根を寄せてネッドを見る。ネッドはいつもの飄々とした表情で、「ええ。ほら、地図にこれまでの犯行現場の印をつけてるでしょ? あれ見てて、犯人の行動範囲のど真ん中なのに、まだシンシナティじゃ事件が起こってないなーと思ってたもんで」と答えた。

 ――サムの脳裏に、毎日うんざりするほど眺め続けてきた、赤いピンを刺した地図が浮かんだ。

 地図のほぼ中央上からフォートウェイン、右のほうへいってアクロン、イーストリバプール、ピッツバーグ。左斜め下へいってチャールストン、ハンティントン。地図のほぼ中央下にレキシントン。さらに左へ進んでルイヴィル、エリザベスタウン、オゥエンズボロ、エバンズヴィル。そこから弧を描くように右上、インディアナポリス、アンダーソン、マンシー。

 そして地図の中心あたり、犯行が始まったフローレンス、リッチウッド、デイトン。そこから右方向にコロンバス、ニューアーク。ピンの位置には自信があったが、事件が起こった順まではさすがにすべては記憶していなかった――記憶していたのは、初めの二十件くらいまでだろうか。

 赤いピンはこの一年、毎月二個から四個ずつ増え続けてきた。今回の此処、ノックスヴィルの位置に頭のなかでピンを刺す。それを含めてすべてのピンを囲もうとすると、ネッドの云うように綺麗な環ができる。その環のほぼ中心にあるのがシンシナティだ。

 シンシナティは州都コロンバス、クリーブランドに次ぐオハイオ州内、第三の都市である。

 蔵書数の多さを誇る図書館があり、大学も多い。シンシナティ・チリやバイエルン料理のレストランやバーなど、ジョン・A・ローブリング吊橋の手前辺りは夜も賑やかだ。

 サムは舌打ちをした。――起こった事件ばかりを気にしていて、犯行が行われていない場所になど、まったく目を向けていなかった。

 サムは車のドアを開け、ダッシュボードから地図を取りだした。蛇腹折りのそれをボンネットの上に広げ、懐中電灯で照らす。

「サム? どうしたんです」

「ネッド、レキシントンとデイトンでの犯行は複数回あったな」

「レキシントンですか? ありましたね、初めの頃でしたっけ、確か四件も。デイトンは二件でしたか、あと近くのコロンバスでも三件あったし、インディアナポリスでも……それがどうかしたんすか?」

 若さか。さすがの記憶力だと感心し、サムは「ルイヴィルでも二件――」と、広げた地図を指で叩いた。頭のなかで考えを整理しながら、サムは独り言のように云った。

「比較的大きな街のほうが獲物をみつけやすいんだろう。コロンバスやインディアナポリスじゃ、間を置いて再び同じ街で犯行を重ねてる。たぶん、小さな町や辺鄙なところじゃ、ひとりで歩いてる女なんかみつけられないんだ」

 夜遊びする場所がありませんからね、とネッドは頷いた。

「だから俺も、次はシンシナティ辺りが怪しいんじゃないかって――」

「違う」

 サムは、地図の『Cincinnatiシンシナティ』という文字をじっと見つめながら云った。「おそらく今後もシンシナティで事件が起こることはない。奴は犯行を重ねるにつれて徐々に範囲を広げてきたんだ……自分が住んでいる街を避けて、だ」

 その言葉に、ネッドははっとしたように目を瞠った。

「……最初の事件がフローレンス、リッチウッド、次にデイトンで二件続いて、そのあとコロンバスとレキシントン……」

「フローレンスとリッチウッドは小さな町だが、シンシナティのすぐ南だ。デイトンはシンシナティから北へ車で一時間弱、コロンバスやレキシントンはさらに足を伸ばして一時間半ってところか。夜中にかっ飛ばせば一時間ちょっとで着くだろう。……間違いない。奴はシンシナティの住人だ。それ以外に、奴がシンシナティで殺しをやらない理由がない。賭けてもいい」

 ネッドはこくこくと頷いた。

「すみませんが、その賭けは成立しないですよ。……しかしじゃあ、どうします。シンシナティにいったい何人、金髪の男が住んでると? 美男コンテストでもやりますか」

 地図を畳みながら、サムはうーんと考えこんだ。

「……一連の事件が起こるより前に、シンシナティとその近辺で同様の死体がでてないか徹底的に洗い直してみよう。物事にはなんだって、きっかけってものがある。ひょっとしたら、俺たちが見落としてる事件があるかもしれない」

 女性を無差別的に狙うようになる前の事件がもしもあれば、そこから犯人の手掛かりをみつけられるかもしれない。サムとネッドは車に乗りこむと、やっと見えてきた微かな糸口が幻でないよう祈りながら、現場を後にした。









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※ 犯罪性愛(ハイブリストフィリア)について、シリアルキラーに群がる女性たちの例がいくつか挙げられている。


≫ https://ja.wikipedia.org/wiki/ハイブリストフィリア#実際の例

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