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scene 3. 夜を駆けるマスタング

『――の犯行と見られる連続殺人事件は、これでオハイオ州で十件、ケンタッキー州で七件、インディアナ州で六件、ウェストバージニア州で三件を数えることとなりました。被害者はいずれも十六歳から三十二歳の女性、実に二十六人に及びます。〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟が次に現れるのは何処なのか、そして、この残忍な犯行がいったいどれだけ続くのか――恐怖に慄く夜は、まだ終わる気配を見せてはいません』



「二十六人めだって? とんでもねえな」

「ああ、うちに娘がいなくてよかったよ。もしいたら、ひとりで外になんてとても出せやしねえ」

「娘の前に、おまえには女房がいないだろうが」

 フレッドはボブに向かってそう云い、笑いながら咥えていた煙草に火をつけた。

 炭酸飲料の缶と煙草を片手に、男たちは午後の休憩中であった。錆びた鉄屑と油の臭いがする工場の裏手に同じラインで働いている者たち四人が集まり、ラジオをかけながら駄弁っている。もうじき六十になるベテランのアルヴィンと、ボブとフレッドは働き盛りの三十代、そして、まだ学生のように見えるおとなしそうな青年がひとり。

「〝魅惑の殺人鬼〟は金髪の男前って話だぜ。ひょっとしてジョニー、おまえさんが犯人だったりしてな」

 そんなことを云われ、ジョニーと呼ばれた青年は困ったような顔で笑い、肩を竦めた。後ろでひとつに束ねた、伸ばしっぱなしのブロンドが仔犬の尻尾のように揺れる。はっはっは、そりゃあ怖ぇ、とボブは声をあげて笑ったが、顔に深い皺を刻んだアルヴィンが「フレッド、そんなこと冗談でも云うもんじゃねえ」と真剣な顔で嗜めた。

「わかってるさ。この真面目なジョニー坊やに、虫だって殺せるもんか」

 フレッドが云うと、ボブも「違ぇねえ」と同意し、7UPを呷った。ジョニーも気を悪くした様子もなく、笑みを浮かべて皆の顔を見ている。

 そのとき、ジリリリと鳴り響くベルの音が工場内から聞こえてきた。それを合図に皆が煙草を消したり、缶をくしゃっと握り潰して立ちあがり、伸びをする。

「さて、もうひと頑張りしますかね」

「おう。――よ、ジョニー。今日、仕事が終わったらまた一緒に飲みに行くか?」

 一番乗りで工場内に戻ろうとしていたジョニーは、ボブにそう声をかけられて振り返ると、少し悩むように小首を傾げた。

「あ、あああ、あり、が、と……で、ででも、い、いい」

 ジョニーは途切れ途切れにそう言葉を押しだすと、ベルトから下げていたカードの束を何枚か捲り、『今夜』『予定があります』と書かれたものを二枚示して微笑んだ。

「そっか。じゃあ、また今度な」

 ジョニーはにっこりと笑顔を浮かべたまま頷き、工場内へと戻っていった。

 その後ろ姿をじっと目で追い、アルヴィンが独り言のように呟く。

「……あの子は偉ぇよ。あの酷ぇどもりじゃ家に籠もったまんまになっちまっても不思議じゃねえのに、ああやって自分で工夫して働いてんだ。なかなか真似できるこっちゃねえ」

 その言葉に、フレッドも頷いた。

「しかもあいつ、日曜礼拝には欠かさず通って、ボランティアなんかもやってるらしいぜ」

「ああ、聞いた。なんでも耳やら言葉が不自由な子供らのためのバザーを手伝ったり、一緒に遊んでやったりするんだとさ」

「聞いたって、ジョニーからか?」

「まさか。教会にすんげえグラマーなシスターがいるんだ。彼女から聞いた」

「罰当たりめ」

 と、ボブとフレッドはまた軽口を叩いていたが――さあ行こうや、とふと振り返り、アルヴィンが涙ぐんでいるのを見て目を丸くした。

「おいおい爺さん、なに泣いてんだ」

「うるせえ。誰が爺さんだ。……あんなに信心深くて性根の優しい真面目な奴が、なんだってまともに口も利けねえのかと思ってよ。神さんはいったい、どこに目ぇつけてやがるんだろうな」

 フレッドはぽんとアルヴィンの肩に手を置き、薄暗い工場のなかでなお目立つバターブロンドに目をやった。

「きっと奴にも、そのうちいいことがあるさ」

「そうそう。そして俺にも、そのうちきっとグラマーな女房ができる」

「そいつはどうかな」

「まず通りで女を買うのと、シスターの胸許を見るのをやめなきゃな」

 さ、仕事仕事。とフレッドが促し、男たちは自分の持ち場へと戻った。




       * * *




 就業時間を終え、同僚たちが夜の酒場へと繰りだしている頃。ジョニーはいつものようにバスに乗っていったん帰宅すると、着替えてすぐ家の裏口から外に出た。

 キャスケットに裏地がボアのコーデュロイのジャケット、そしてベルボトムジーンズ。若者なら誰もがしているような流行りの恰好で、ジョニーは家から少し離れたところにある倉庫へと向かった。

 倉庫の扉を左右どちらも全開にする。薄暗かった空間にタンジェリンオレンジの陽が射しこみ、存在感のあるシルエットを浮かびあがらせた。倉庫内に入ると、ジョニーは銀鼠色ぎんねずいろのカバーを丁寧に捲り、現れた愛車に目を細めた。

 一九六七年型、フォード・マスタングGTファストバック。誰かと食事に出かけることもなく、偶に飲みに付き合っても同僚たちのように帰りに女を買ったりすることもなく。ただ慎ましく毎日を過ごしているうちに、いつの間にか貯まっていた金をはたいて買った、お気に入りの車だ。

 だがジョニーは、この車を買ったことを誰にも知らせていなかった。通勤には使わず、買い物や教会に行くにも、ジョニーは相変わらずバスを使って移動していた。

 まるで秘密の恋人のように大切にしている車だが、いつまでも眺めていたくなる流麗なボディは、あえて磨きあげられていない。どこにでも走っている、ありふれた車として人の目を逃れるには、少し泥が跳ねて薄汚れているくらいのほうがいいのだ。ボディカラーもペブルベージュという地味めな色で、その確かな走りを彷彿とさせる車体をいくらかおとなしく見せている。

 暮れ始めた空の下、ジョニーはカーラジオのスイッチを入れ、南へと向かって車を走らせた。車内に軽快なリズムのブギーロックが流れだす。デヴィッド・ボウイのヒット曲〝The Jean Genieジーン ジニー〟だ。

 ジョニーはリズムに合わせて頭を揺らしながら「The Jean Genie lives on his back……」と、楽しげに歌を口遊み始めた。









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♪ David Bowie "The Jean Genie"

≫ https://youtu.be/kMYg_Ra4cr8

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