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第5話

 夜、たどり着いたのは王城だった。


 警備も手薄となり、簡単に忍び込む事ができた。

 何処へ向かえばいいのか? それは頭に響く声が教えてくれる。

 私が行かなくてはならない場所、そこへ行けと指示してくれる。

 だから、迷うこと無く歩く事ができる。


「……ここは?」


 着いた場所は、ある一室の前。そこは部屋と言うよりは広場の扉。

 ダンスパーティーなどで使われる、そういう場所だ。

 胸騒ぎが心臓を締め付ける、頭の痛みが強まる。

 この先だ、この先に不安の原因がある。


 私は、勢いよくの扉を開いた。


「……ッ!」


 始めに目に付いたのは、鮮血。フロア全体に広がる赤い染み。

 そして、人の形をした物体。それは決して人形ではなく、人間の死の証だ。

 その肉の塊の中央に、わずかに息をしている男性の名前は……。


「ウイル様っ、どうして?」


 駆け寄った。既にその端正なお顔の赤みが消えかかり、生気が失われていくのが分かる。

 私には、何もできない。

 傷口を押さえても溢れ出る血を止める事は出来ないし、もはや治療には意味も無い事など、医学に於いて浅学すら遠い私の知識にも、理解を訴えられる。


 死神が虎視眈々と狙う。そういう状態なのだ。


「……っ。そこにいるのは、サラタ殿、……だろうか」


 その瞳はもはや開かれることはない、頭部からの鮮血で覆われ、固く閉ざされていた。

 それでも、私の事を分かってくださるのか。


「はいっ……、サラタはここにおります」


 辛うじて動く右手が動き、その手が私の頬に触れる。反対の腕は剣を握りしめたまま、まるで縫い付けてあるかのように動くことはない。

 氷のように冷たい指先が、私の頬に張り付いていく。


「もはや、……貴女に何も告げる時間は無い。せ、せめて、これを……」


 そう言って最後の力を振り絞るように、懐から取り出したものは何かの宝石をあしらったペンダント。


「これは母上が俺に残した唯一の形見だ。君に、持っていて欲しい。そしてもし、……いや、忘れてくれ。お願、いだ……、どうか幸せになってくれ。……あい、し…………」


 もう、その口が開かれる事は無かった。

 それ以上、彼の口から言葉が紡がれる事はなかった。


 私は涙を流さなかった。

 私はただ、彼の手を握っていた。彼はもう、私の名前を呼んではくれないだろう。

 何故、私は涙を流せないのだろうか?


 それでも、彼の語り掛ける言葉があるのなら………。


「わたくしも愛しておりました、恐らく……」


 私はウイル様の亡骸を横たえて、形見の品を握りしめると、部屋を後にした。




 血が冷える。心臓が、肺が、体の中のあらゆる臓器が冷えていく。

 そんな感覚に襲われる。


 もう、失うものはないのだ。



 ◇◇◇



 窓から月の光が妖しく照らしてくれる。

 廊下を歩む私の影から、一つ、また一つと、黒いモノが溢れ出す。


 それは人。それは獣。


 この世に存在する生物の形をしていながら、何にも似る事が出来ない黒いだけの物体。それらが、群れとなり私の後ろへ現れる。


「お行きなさい。愚かな者を、哀しき者を、その身で包んで上げなさい」


 彼らは一斉に飛び出していった。

 私の影の中から現れた異形の軍勢は、闇夜に紛れて城を蹂躙していく。

 歯向かう者には永遠の眠りを、怯える者にはただ一晩の悪夢を。

 悲鳴が聞こえることはない。一瞬の出来事に反応は有り得ないのだから。



 歩みを進めるうちに、私はある部屋の前にたどり着いた。

 入り口からして豪華絢爛で在らせられる、ある御方の御座す部屋。

 私は失礼の無いように、開け放つ。静かに、音を立ててながら。


 部屋の中にいたその御方、次期国王へと至る資格を持つ……。

 いや、持っていたはずの御方。

 既に、そのお体を影に浸食され、顔のみがこの世に露わされるばかりの御方。


「お久しゅうございます、ラーテン様」


「き、貴様ッ! サラタッ!! なぜここにいるッ!」


「御元気なようで何より。最早この世から去るのを待つばかりの貴方様に、せめてものご挨拶にと馳せ参じました」


 スカートの裾を掴み、お辞儀を一つ。

 その仕草一つ一つが、この男には苛立ちを増幅させるだけに過ぎない。

 現に、今にも血管が切れそうな程、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけている。

 その身を闇に溶かしながら。


「貴様、自分が何をしているのか分かっているのかっ!? このような事をして!! 貴様を捨てたこの俺がそれ程憎いかッ!!!」


「いいえ、憎しみなどで魔女は動きませぬ。ただ均等に、失いには失いを。その身で清算して頂くだけの話ですので」


「サラタ! 貴様は、俺の……ッ!!」


「もう口も利けませんね。では、これで……」


 顔を覆われ、最後に残った口も覆われ、彼の御方が何を言いたかったのか露と知る事が出来なくなった。

 最後に残ったモヤへと、手向けの言葉を送る。




「おさらばでございます」




 そうして黒いモノはこの世から完全に姿を消し、ただ静寂のみが耳を騒がせてくれる。


 それからもう一つ、行かなければならない場所がある。

 闇がそれを教えてくれた。




 そこは、玉座の間。

 このような時間に誰もいるはずが無いその場所に、一人の高貴が座っておられた。

 体を黒い影に蝕まれながらも、堂々と剣を床に突き立てて、正しく王が君臨していた。


「……来たか、サラタ嬢」


「何故です? 影は、何もしなければ無害。気分の悪い夢を見せるばかりのものでしかない。それを知らないはずがありません」


「ふん、この老骨を心配してくれるのか? それも、あのような愚物の父親を」


 何故、命を落とす真似をなさるのか? 私にはわからなかった。


「時代は流れた。世継ぎがあれでは……。天が告げているのだ、この血の終焉を、な」


 そのお顔は皺だらけで、だからこそ威厳の凝り固まった御尊顔。

 そのお顔は笑みを浮かべる事は無く、しかし今、実に朗らかだった。

 何の悔いも無い、そのような御尊顔。


「行くといい。其方は、自由を振る舞えばよいのだ」


「……よろしいのですね?」


 王は何も答えない。

 全身が影で覆われ、顔を覆い尽くそうとしたその瞬間、笑ったような気がした。

 もうここには誰もいない、私以外は。


 ここを去ろう。

 そう思ったけれど、最後にふと、行きたい場所が頭に浮かんだ。

 私には、まだ欲があったのか。


 その場所へと、足が動いた。


 何故だろう? 手の中のペンダントが光った気がした。



 ◇◇◇



 ここは、城の展望台。

 眩く月明かりが照らすその場所から見える星々は、まさに絶景と言って過言ではない。


 しかし、何故だろう? あの日、あの夜に、ウイル様と見た何でもない星空の方が輝いて見えた気がするのは。この視界一杯に広がる星を見ても、心が動かないのは。


――やっぱり、思いつきで来るものじゃなかったな。


 そう思って、踵を返そうとした私に、不意に声が掛けられる。


「これはこれは、サラタお嬢様ではありませんか」


「……ルーイン、さん?」


 真っ白なドレスを着たその可憐な少女は、微笑みを浮かべていた。


「ご機嫌麗しいようで何よりですわ。城を出て行かれてから心配していたんですのよ」


「それは本気? それとも冗談?」


「冗談? まさか。わたくし、お嬢様とは良い友人になれるものと思っておりますわ。今でも、ね」


 口元に手を当てクスリと笑うその姿は、まるで年相応の少女そのもの。

 しかしその瞳の奥に宿る光は妖しく、怪しげに揺らめいている。

 私は一歩後ずさる。


「あら、どうしてそんなに怖がられていますの? ふふ、可笑しな方」


 どういう事だろう?

 彼女の態度にわざとらしさを感じないのは。


 彼女は本気だ。本気で可笑しいと感じているし、私と友達になりたいとも考えている。

 何故かそれが、手に取るように分かってしまった。


 この娘は、一体……何?


 頭の中にいくつもの疑問が生まれ、消えてくれない。

 破裂しそうな程の疑問、疑惑に苛まれてしまい、頭痛に襲われそうになった時、私はそれを振り払うように口を開いた。吐き捨てたかったのだ。


「ラーテン様は死んだわ。もう貴女の愛した方はいないのよ」


「ええ、あの御方は立派に御役目を果たされました。少々、寂しゅうございますが、十分な愛を語らう事も出来ましたので、その時間を下さったお嬢様には感謝をするべきですわね。ありがとうございます」


 何がそれ程面白いのか、微笑みを絶やす事無く、スカートの裾を持ち上げて御辞儀をして見せる。


「一体何を言っているの? 役目? 貴女、何者?」


 私は必死だった。目の前にいるこの少女があまりに得たいの知れないものだから、心がざわついてくる。体に熱が帯び始め、警告はけたたましい。


 彼女は首を傾げると、すぐに戻し、あの笑みのまま答えた。


「私は飽くまでも、あの方の欲望の火に薪を焚べただけですので。そこに、私の我が儘が含まれてないかと問われれば、そうではありませんが」


「要領を得ないわ。結局、何なの?」


「わたくしは所詮、針に過ぎませんわ。ただ、退屈凌ぎに少々時計を早めてみたくなっただけ、それだけの事ですの」


「……意味が分からない」


「そうですか。でも、きっとそう遠くないうちに理解をしてしまう日が訪れる事でしょう」


 それだけ話すと、彼女は展望台の手すりへ、優雅にまるでダンスを踊るように向かい、手を置いた。星空を見上げ、月明かりに照らされる様は、実に、恐ろしい程に絵になっている。


「この星空……綺麗なこの景色を貴女様と見られた事、まさに幸運と呼ぶべきしょうね」


 突如の事、彼女は手すりの上に身を乗り出した。

 私は、驚きのあまり声を上げる事も出来なかった。


「こうして、貴女様とお友達になれそうなのに……、仕方がありませんわね。サラタお嬢様……」


 手すりの上で振り向いた彼女は、それまで以上の笑み――まさに満面の笑みを浮かべて、私にこう告げた。




「おさらばでございます」




 背中から、そうそのまま、彼女は地上へと落ちていく。

 一切の戸惑いを感じさせる事なく、堂々と満足気に。


 その白いドレス姿と相まって、悠々と大地へ舞い降りる鳩のように。


 思わず手すりまで駆け寄るも、私にはどうする事も出来ず。

 彼女の姿が闇に溶け込んでいく様を眺めていた。


 やがて、鈍い音が辺りに響いた。

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