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第4話

 パラセコルト王国。

 その王城に二人の男女がある。

 薄暗い、しかしながら、いつ何時も目を刺激する豪勢な私室。

 寄り添うようにソファに腰を掛ける二人。


 男の名はラーテン。次期において国王の位を賜る事が約束された身分である。

 その男の胸に頭を傾ける者、ルーイン。白く薄い身形と肌に差す紅で彩られ、蠱惑の美を以ってラーテンの視界に華を与え、媚匂が脳を揺さぶらせる。


「ラーテン様、わたくしは貴方をお慕い申しておりますのよ?」


「ああ、俺もだ。お前を愛しているとも」


「嬉しい。ならば、この小娘の願いを、その大海の懐を以って叶えては下さりませんか?」

「もちろんだとも。この俺ならば、これ以上ない程に君を喜ばせられるというもの。神がそう告げているのだ、二人の仲に祝福を与えるとね!」


「ふふ、神様は愛に寛容であらせられますのね。では、その厳かなお耳をお貸し下さいませ」

「可愛い子だ。さあ頼みなさい、俺に君の望みを与える権利をくれ」


 観客もいない部屋で、二人だけで演じる肥えた芝居。

 促されるのは失笑か否か? 二人だけの世界、舞台。


 ラーテンはその耳を、女の口元まで寄せた。

 女の唇が開き、その愛らしい声で囁く。

 願いを聞き、満足な笑みを浮かべるラーテン。……これ以上の言葉は不要だろう。


 数分の後、部屋の蝋が溶け消えた。

 ベッドに眠るは、男が一人。しかし女は……。


 蝋燭の火が放つは明かりだけでは無い事に、気付ける者はいない。




 知っている者がいるばかりだ。



 ◇◇◇



 それから数日が経ち、ウイルはパラセコルト王城を訪れる。


 その身に深緑の紋章を身に着け、城へと踏み込む。

 身形は当然に、森での生活に適したものではない。

 一流の貴族たらんとする威光だ。


 その姿を見て咎める者はいない。何故なら深緑の紋章とはこの国に於いて王の直系、その次の位として与えられるものであるからだ。

 王の一族に連なる者の証。


 つまりは、このウイル――ウイル・ロゥ・ラステ・コルスタルこそが、王家の近縁に当たる者である。


 分家筋の彼は、普段に於いては城へと顔を出すことは滅多に無い。

 幼い頃より世俗を苦手とし、人と関わりを持つ事自体に辟易していたからである。


 そんな彼が何故?


 王家のみが住む事を許された城の上階、そのある一室の部屋を遠慮も無しに扉を開き放ち勢いに任せ飛び込むが如く踏み入る。


「久しぶりだなあ、ウイル。相も変わらず無作法な男だ。品性を疑うぞ」


「ラーテンッ!! 下卑た貴様の顔なぞ見たくも無いが、貴様の呼び出しに応じてやったぞ!!」


 部屋の中には、この国の王子たるラーテンが悠々とソファに腰を掛けていた。

 テーブルの上に並べられた酒瓶の数から察するに、既に酔いが回っているようだ。

 だがそれに構わずに、ウイルは荒々しく言葉を投げかける。


「ふん、どうした。森で暮らし始めたと聞くが、それで人付き合いの仕方を忘れたのか? 礼儀など何処へ行ったのだ?」


「黙れっ! 俺は今すぐにでも貴様を殺してやりたい気分なんだ。貴様が仕出かした事を考えれば、当然の事だろう!!」


「知らんな。何の事だか? さて、では用件を早速済まそうではないか。生憎とお前と違って忙しいのだ、次期王たらんとするには、色々と学ばねばならぬ事が山ほどにあるのだから」


 余裕の表情。それを見て、ウイルの苛立ちは頂点に達する。

 握り締める拳には力が入り過ぎて、血の気が引いていく程だ。

 歯ぎしりをしながら、目の前の男に視線を向ける。


 邪知に尽くし、暴虐に走るを厭わない。


 その陰で、一体どれほどの涙が流れた?

 この男は、一人の女性を強引に物にし、そして捨てたのだ。

 その尊厳を貶め、辱め、森の奥へと追いやった。許せるものでは無い。絶対に。


 怒りに震えるウイルを尻目に、ラーテンは手に持っていたグラスを空にする。


「さあ、話の続きといこうか。それで、返事はどうした? お前程度に寛大な慈悲を与えた俺の器の大きさを褒め称えたいのなら、いつでも歓迎しようではないか。あっはははは!」


 笑い声を上げるラーテンを前にして、ウイルは怒りを抑えきれない。

 その身を震わせながら、言葉を紡ぐ。


 ―――ああ、そうだ。この男だけは、許されてはならない。


 とっくの昔に決まっていた決意が、今再び固まる。


「いいだろう。俺の答えなど当に決まっているが、敢えて聞かせてやる。――『我々』は降伏などしないッ!」


「ふん、つまらん奴だ。どこまでも愚かだったよお前は。この俺の言うことが聞けないというのなら、仕方がない」


 ラーテンは立ち上がり、指を鳴らす。

 途端に部屋へ雪崩込んでくる騎士達。


「せめて、来世とやらでは賢く生まれてくるのだな。さあ我が先鋭たる騎士達よ、この部屋を血で汚す事なく速やかに始末したまえ。……ふははははははッ!!! 愚鈍な輩の末路に相応しい、実に無様な光景だ!!」


 無謀の一言が似合うこの状況で、それでも剣を引き抜かざるを得ない。

 退路は既に断たれた。いや、ウイル自ら断ったのだ。

 ただ、ほんの少しばかりの悔いは愛しい者の温もりを、二度と感じる事が出来ないということ。


 ――さらばだ、ウイル・ロゥ・ラステ・コルスタル。そして、サラタ殿……ッ!!



 ◇◇◇



 その日は、朝からずっと嫌な予感に苛まれていた。

 いやに日が立って、気持ちのいい天気だったのに。

 ウイル様が朝出かけてからずっと。胸のざわめきに吐き気すら促される。


 彼の人は言った、今日は大人しく家にいて欲しい、と。


 何故、彼はそう言ったのか? 私はそれが分からない程、馬鹿ではないつもりだ。

 きっとウイル様は、何か大切なことをするに違いない。

 だとしたら、それを邪魔するのは私の本意では無い。


 ……だけど、やっぱり不安になる。


 今にも扉が開いて、ウイル様が帰って来て下さるのでは? 

 そうは思えど、ただ苦しい。


 夕方になった。夕日は傾き、部屋に赤を灯す時間。

 しかし、未だあの方は戻って来てはいない。


 息が苦しい。頭の奥で何かが激しい警告を鳴らしている。

 私に動けと命令しているようだ。

 あの方の言いつけを破ってまで、私に足を動かせと命令してくるのだ。


 もう何度目だろう? 悩みは不安を増大させ、私に静寂を滅ぼせと訴える。


 ――もう無理だ。


 屋敷を飛び出した。何処へ行くのかわからない。ただ、私に命令するこの頭脳が、何処かへ向かって走れと言っている。だから、従う。従う他に許されないのが今の私で、その命令に支配されなければならない。


 馬小屋に向かい、手綱を掴む。

 馬の扱いなんて知らないけれど、そんなことは関係ない。

 今は兎に角走らせなければ駄目なのだ。


 ――急げ!!


 頭痛がそう言った。


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