とりあえず気付いた事が一つある、私はぶたれたらしい。
「サラタ・ラタサ! 貴様ァッ! どこまでも目障りにルーインの前をうろつく、煩わしい魔女めが!」
私の視点では当然見えないが、この頬は赤く腫れあがっているだろう。
顔についた猿の尻。そう思えばまだ笑えるのだろうか。
その日、定例会のように開かれるパーティーはいつもと様相が違う。
何故かと言えば単純明快に、パーティー会場である王宮、その主人のお子たるラーテン・ロゥ・レスタ・パラセコルト王子の国民が記念すべきお生まれの日であるからだが。しかし、その主役とくれば品も無く声を荒げ、ある女性の盾となる姿勢だ。
己で崩した私の見目など眼中に無いのは、間違いのない。
「俺の! この俺の腕が守る価値のあるこのルーインのッ! その麗しい体は貴様が汚染したのだろうが!! 貴様が如き女の浅はかさが見ぬけん俺なものか、魔女の悪癖など失せ絶えて、その#身事__みごと__#に無くなればよいことだ!!!」
その様の一体どこに王子たる品性があるものか。
だが、彼は演じている。本気で自身程がこの世の最もあるべき王の子の姿、次期国王である品格と。
酔いしれる様は見るに堪えるが、私以外にはまさしく彼が英雄であり、その後ろにおわす麗しきが現人の神たる化身なのだ。
非常に出来の良い演目に、思わず血が冷える。いや、彼にとっては生まれながらの冷血の私か。
殿下の背後に震える少女、その可憐さの名はルーイン・ミレータ男爵令嬢。
評判は近頃によく聞こえる。特段、特定の殿方とは睦まじいらしい。
パッチリとした眼、庇護欲と劣情の肌色の良さ。その容姿を褒めるに枚挙に暇が無いとはこの事と言える。のだろう。
まるで爪先の蜘蛛のような愛らしさ。巣に罹る殿方には思わず心を震わせる寒気。
成程に成程。ある種納得の同情だ。
私が父に母に叔母に伯父に、極めつけは長年の使用人にまで訴えられた願いは一つ。
王子との婚礼。
畏れ多くも侯爵家の血筋に連なってしまった不出来な魔女は、王子が見初めたと幸いに、その身を分不相応に王族の架け橋として送り込まれた。
間者だろう? ドレス姿の灰かぶれ。
所詮に蝶よ花よと育てられた小僧様のお心なぞ、掴んで見せろとお達しが下ったのだ。
が、その実として手にしたものは一人前の無様のみ。
化粧はお嫌い? だから、頬に紅葉も咲かせてくれたか。これも成程。
しかし上辺の化粧に囚われ、己の全てに白を纏った女の正体は見抜けないようだ。
「その目障りの極まる所も見えん女の処遇に、寛大にも俺の聖女は永久の退場を願って終わりにすると。わかるか? その目に雫を滾らせ、心を崩した少女の頼み!!」
わからない。
「貴様に相応しきを与えると言った! この俺の慈悲を以って魔女には緑が似合うとなッ!!」
傍らに聖女様を抱き寄せた。
集められた観客がグランドフィナーレに喝采を上げる。
ああ、なんと素晴らしい芝居だか。思わず喉の奥まで熱いものがこみ上げてくる。
そのご尊顔にブチまけてしまうのも惜しいくらいだ。
◇◇◇
「今日ここで、全てを改めよと仰せだと。流石に殿下は世をお知りで感服致します」
目に見える光景には目を奪われる。
なにせそうだ、人の手の通わぬ大地と緑と。その様はなんと雄大だ。
生い茂る事限り無く、その森に矮小な人間など挟み込む術は無い。あふれ出る涙は大地に帰らず。
唯一の人工は掘っ立て小屋のようなボロ屋敷。
屋敷? ……屋敷だろう、貴族が住めば。
我が家名に傷者あり。
しかし、王族の勅命故に切り捨てる事叶わず。
それが、今の私でしょう。明日の私とも呼べる。喜ばしい事に明後日以降も同じだ。
私を吐き捨てた馬車の遠ざかる音が心地よく響く。
悪しき魔を討った騎士の如く凱旋の気分を、恐らく手綱を握りしめて味わっている事だろう。
その姿を見るのは森の木々達だが、果たして……。
夢から醒めましょう。
誰かが言った気がした。
「こちらにお顔を拝見させて頂きたい」
振り向けば、そこにいたのは。……どちら様?
「この俺に、いえ、貴女がお気になさらないなら仕方がない」
「失礼ながら、見ての通りの女です。お声を掛ける相手はこの森になぞいらっしゃらないはず」
「そんな、そんな事は無い! 俺が、俺がここにッ!!」
その見目の良い殿方は必死だった。
「落ち着きになられて。貴方様の気安いお言葉でお声を下されば結構。私はただ、森の木に過ぎません」
そう言うと、少しだけ落ち着いた様子を見せた。
「では、まずはお名前を。そしてこの私に何か御用でも?」
「え、ああ。俺は……」
「はい、何でしょうか?」
「ウイル。……そう、ウイル・ティリーク。この森に立ち寄った男だ」
「そのティリーク様がどのような気まぐれで、このウドにお声を?」
「そうような卑下はご遠慮願いたい。貴女は木は木でも立派な大樹であるはずだ。それに、貴女は聖女。ならばその身に宿すは、精霊や神霊に近い力ではないのか」
「ふむ、どうでしょう? それは、そのようにお考えになられるのは、私が魔女だからですか?」
「違う。……貴女は美しい」
戯れの言葉を下さったその殿方の容姿は、正しく美麗だ。
袖から、首元から覗かせる白磁の肌に透ける様な水色髪。切れ長の目元からは鋭い眼光が覗く。
その口元は微笑みを称えているが、どこか冷徹に映る。まるで氷の彫像のような美しさだ。
しかし、どなたか? とんと見覚えは無い。それに私を聖女と呼んだ。何故?
もしや、その容姿を見込まれた何処ぞの貴族様の影武者か暗殺者か。
であれば、私の命運もここまでか。あの王子は、私に死ねと言ったも同然なのだ。
王都から追放された時点で、もう私には帰る場所なぞ何処にも無かったのだから。
「この身を捧げればお終いですか? それも良いでしょう。都合の良い事に人が訪れるはずも無い森だから」
魔女が最期に美丈夫に討たれるというのは、身分を超えた演目になる。
そこに平民も貴族も無い、大団円の物語だ。さぞ面白いだろう。残念ながら当事者なので舞台を眺める事は出来ないが。
しかし、殿方が発した言葉はこちらの予想に無いものだった。
「貴女がその身を惜しまないと言うのなら、俺が貰い受けてもよろしいか?」
アドリブが利きすぎた役者は、大成するのかしないのか。
この大根にはわからない。
だが、それがお望みならば乗ってみせよう、下手の横好き。
「鳩は飛んだ。今はそれが精一杯らしく、次が見えておりません」
「寄り木からなろう。俺もそれが精一杯だ、今の所は」
私達は意気投合した。
らしい。