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第34話:炎の中で頷いて②

 グラスの中の氷が溶けて崩れ、三角形の下に小さな音を響かせた。

 コットの上に座った黒い影のるりと、ローチェアに座った宗助そうすけは、テーブルに置かれたタブレットが映し出す映像を眺めている。ランタンの照度は落としているため、テントの中は薄暗い。消灯時間は過ぎているから、テントの外は虫の鳴き声以外聞こえない。タブレットの音量も最低限まで落としている。


 るりが観たいと言ったため動画配信サイトから適当に選んで流した映画は、低予算のB級感はあるもののなかなかに引き込まれる内容だった。

 よくあるゾンビパニックもので、例に違わず二人の男女がゾンビから逃れて街の中を駆け回る。時に自動車でゾンビを轢き殺したり、ホームセンターから拝借した釘打ち機なんかで頭部を破壊したりするものの、全体的には落ち着いたというか物静かな雰囲気で進んでいく。

 派手なアクションシーンを撮影する予算がなかったのだろうと邪推してしまえばそれまでだが、そのアップダウンのない展開がどこかリアリティーのある不気味さとして落とし込まれていて、監督の技量の高さを感じた。

 おそらく、静かな深夜のキャンプ場というシチュエーションもまた、映画への没入感を高める一つの要因として作用しているのかもしれない。


 宗助は無言でグラスに手を伸ばし、ウイスキーを一口含む。氷は全て角が取れ、波打つ液体の表面で小さく揺れている。

 管理棟で買ってきた醤油バター味のポップコーンを一つ摘んで、口の中に放り込んだ。舌の上で溶けて喉の奥に流し込まれるまで、いつもの3倍近くの時間を有した。


 気が付けば映画はクライマックスを迎えていた。ゾンビの発生した理由や、男女のこれからについても特に語られる事なく、お約束のようなキスを交わして荒廃した郊外の道を歩き始める男女。その後ろから複数のゾンビの手が伸び、エンドロールを迎える。


「こわかったね‥‥」


 軽快なパンク音楽の背後から、るりが小さな声で呟いた。


「そっすね」


 宗助はいつも通りそっけなく返す。


「このテントの外にゾンビがいたらと想像するとさ、なんか寒気がしてくるよね」


「るりはゾンビに襲われないんじゃないっすか? 見えないし」


「うん、確かに」るりは納得したように頷く「でもテントが壊されるし、宗助が食い殺されるかもしれないじゃん」


「まあ」


「うっわ、宗助がぐちゃぐちゃに食い殺される様子を想像したら、眩暈がしてきた」


「脳内で勝手に殺さないでほしいんすけどね」


「テントだけは死守してね。私の存在が危うくなるから」


「はあ」


 エンドロールが終わる。

 途端にテントの中へと静寂が流れ込む。


「少ない予算の中で、どうにかいい映画を撮ろうとするスタッフの努力が感じられたな」


 宗助がそう言ってタブレットを畳む。

 確かに予想に反して見応えのある映画だったと思う。でもどこか、言語化できないモヤモヤみたいなものが、胸の奥底に溜まっているような気がした。

 しかし宗助はそのモヤモヤに目を凝らす事はせず、明日の朝食について考え始める。


「うん、すっごくこわかった。こわかったけど」るりはタブレットが置かれていたあたりの空間を見つめながら言う「なんか、なんだろう、悲しかった気がする」


 そんなるりの発言は、宗助の胸の奥底に沈んでいき、言語化できなかったモヤモヤに形を与える。

 たしかに、悲しかった。

 パニック映画に似つかわしくない感情ではあったが、主人公達に蹂躙されていくゾンビ達の姿には、一種の哀愁が感じられた。普段であれば正体不明のまま片付けられていた感情に名前がつけられ、映画に関する記憶の隙間へと綺麗に収まっていく。


 おそらく一人では気付けなかった。


「あ、宗助、ちょっと私をカメラで見てよ」


 寝る準備を始めた宗助にるりが言う。


「はあ」


 大義そうにスマホのカメラアプリを起動し、コットの上のるりへと向ける。そこには血が染みついた白地のTシャツと、泥で汚れたジーンズを纏った、ブロンズヘアーのるりが立っていた。


「え?」


「あはは、宗助の顔おもしろ。びっくりしたでしょ?」


「なんすかそれ」


「さっきの映画に出てきたゾンビのコスプレ」


「ああ、なるほど」


「ほら、今月末はハロウィンってやつでしょ。仮装して遊ぶ日。その予行練習なのです」


「偏った知識っすね」


「宗助が見せてくれた雑誌に書いてあったよ」


「そっすか」


「感想は?」


「はあ?」


「かわいい?」


「さあ」


「かわいいでしょ」


「こわい」


「かわいいって言えよー!」


 ゾンビのように両手を持ち上げたるりが宗助に迫る。咄嗟に後ずさる宗助だったが、その両手は当然ながら宗助をすり抜け空を切った。


「びびってるびびってる」


「はあ、もう寝るんで」


 寝袋に潜り込む宗助。

 るりは虚空を切った両掌を眺めながら、ぼそりと呟く。


「もし私の手が、宗助に触れられたら」るりの声が徐々に小さくなる「もっと宗助を驚かしてやれるのにさ」


「‥‥それは、勘弁っすね」


 言葉の上澄みだけを掬い、形式的な返答を返す。


 宗助とるり。十数回目のキャンプの夜は、静けさと充実感、そして少しの物悲しさを残して、いつも通り更けていく。



   △



 ジムニーを駐車場に停める。

 土砂崩れによって営業停止となっていたキャンプ場の駐車場は、一夏の間に雑草が生い茂り、コンクリートの割れ目からも短い草が顔を出していた。それらは冬の訪れを前に褐色へと変色し、風に乗って乾いた音を響かせている。

 立ち入り禁止のロープや柵などがなくて良かったと、宗助はそんな事を考えた。


「よし行こう」


 助手席から降りたたてはが言う。その言葉に頷きながら、宗助はリアゲートを開けてテントを取り出し肩に担いだ。

 幸いな事にここまで火の手は届いていない。2人は近くのサイトへと向かうと、急いでテントを組み立てた。手慣れたもので、ものの数分でテントは組み上がる。


「るりちゃん、いるー?」


 テントの中にいるはずのるりに対して、たてはが声を掛ける。相手が実態のない存在とはいえ、ノックもせずにズケズケと部屋に上がり込むような無粋なまねはしない。

 テントの中から返事はない。

 たてはは斜め後ろに立っている宗助を見る。その判断を促すような視線に宗助は答えず、ただぼんやりとテントを眺めていた。


 ここでテントを開けてしまえば、るりとの日々に終止符を打つ事になる。

 しかしそんな個人の感情で事態をだらだらと長引かせられる状況ではないと、覚悟を決めたはずだ。

 では何が、自分の足枷になっているのだろう。

 宗助は思い返した。

 るりとのキャンプの日々。舞い落ちる夜桜、初夏の木漏れ日、テントにあたる雨の音、花火の音と小さな線香花火、思い出そうとすれば、全てのシーンを鮮明に思い出す事ができる。


 そしてその全てでるりは笑顔だった。


 そんなるりの天真爛漫な姿と、課せられた使命を思い出し、自分の罪に悲しみ、それでも強がってみせた数日前の姿を重ねる。


 終わらせなければいけないのなら。

 せめて最後は、納得の行くシーンでエンドロールを流したい。


「るりちゃん、起きてるの?」


 何も答えない宗助を待たず、たてはは語気を強めて再びるりを呼ぶ。


「入るよ」


 そう言ってたてははテントの開けた。ジッパーを全開にして、斜め後ろの宗助にも見えるようにシートを大きく開く。そしてスマホのカメラを起動し、テントの中を映した。


 薄暗いテントの中で、中央のポールに並ぶようにして、るりが立っていた。


 服装は白い布を巻いたようなシンプルなものだった。もしかしたらこの姿が『ミヤマシロヒメ』として存在していた時の服装だったのかもしれない。

 表情は暗く沈んではいたが、たてはの顔を見ると普段通りの笑顔を作る。


「懐かしい匂いがする」


 るりは言った。


「でも、なんか焦げ臭い」


「るりちゃん落ち着いて聞いてね。白錐山で、山火事が起きてるの。みんなで消そうとしてるんだけど消せなくて、どんどん燃え広がっている状況で。るりちゃんなら、なんとかできる?」


 ゆっくりと落ち着いた様子で事態を説明するたては。それを聞いたるりは表情を曇らせ、しかし取り乱す事はなく大きく頷いた。


「うん、出来るかどうかはわかんないけど、やってみる」


 るりの視線が、たてはの斜め後ろに立つ宗助へと向けられる。咄嗟に目を逸らしてしまう宗助。るりは何も言わずに、再びたてはの方を向き、少しずつテントの出口に向かって歩き出した。


 足をテントの外に踏み出す。


 その瞬間、るりの姿が消える。


「え?」


 たてはは戸惑い、テントの外を見回した。木の葉をなくした木々の隙間や、倒れかけた看板、揺れるススキの中にるりの姿が無いか、辺りを見渡す。


「待って」


 るりの声が聞こえた。それがテントの中から聞こえてきた事に気付いて、たてはは再びテントの中へとスマホを向ける。


 先程と同じポールの側に佇んでいた。


「テントの外に、出られない」


 困惑した様子でるりが言う。


「出られないの?」


「うん」


 再び外に出ようと足を踏み出すが、途端にるりの体は消え、再びテントの中へと戻っていた。


「白錐山の敷地に入れば、自然とテントの外に出られるんじゃないかと思っていたけど‥‥」


 たてはは頭を抱える。

 白錐山とるりを再び繋げなければ、山の神としての力を使うことは出来ないだろう。しかしるりとテントの繋がりが太くなりすぎてしまったのか、その鎖を簡単に断ち切ることは出来ないようだった。


「だめだ、何回やっても、出られない‥‥」


 何度も外に出ようとしては、テントの中に引き戻されるるり。


「大丈夫だよるりちゃん、何か手はないか、考えてみる」


 たてはは腕を組んで押し黙る。確実なものでなくてもいい、何かしら現状を打開するヒントのようなものがあれば、どんなものでも構わない。

 るりとの日々や、弥生の話、彼女の祖父が聞かせてくれたミヤマシロヒメの伝承を再び洗い直す。


「御神木ーー」


 たてはの脳裏にそんな言葉が引っかかった。

 慌ててスマホの画像ファイルを開きスワイプする。1ヶ月ほど前に、弥生の祖父から見せてもらった資料の一部を、写真に収めていたはずだ。

 写真は予想していたところに保存されていた。


「そう、御神木だよ」


 たてはは顔を上げる。


「るりちゃんとテントの結びつきが強いなら、より強い結びつきの場所への行けばそっちに引っ張られて外に出られんじゃないかな!? これは仮説だけど、やってみる価値はあると思う」


 たてはの見せたスマホ画面には、御神木へ向かう道筋が記されていた。



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