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第18話:足跡を辿る②

「私、たてはさんが羨ましい‥‥」


 あれは、三人で行った海辺キャンプの夜。

     眠れないたてはとるりは、テントの内と外で声を顰めながらポツポツと会話を交わした。

 一頻りたてはのキャンプ話を聞いた後に、るりはポツリとそう漏らした。


 たてはは返す言葉が見つからず、小さく一度だけ頷き、その仕草がテントの中のるりには届いていないと気付く。


 先程見た、るりの豹変。


冷静な自分を装ってはいたが、心の奥底にはるりに対する疑心の念が渦巻いている。それをテントという衝立で隠しながら、たてはは核心を避けた言葉を選び投げ返す。

 その不誠実さを、るりは感じ取っていたのかもしれない。

 衝立を取り外そうと無理に明るく振る舞っている彼女が不意にこぼした弱音に、たてはの胸が鈍く痛んだ。


「ちょっと、考えちゃったんです。私がこのテントに縛られているのは、もしかしたら幽霊になる前の私が、すごく悪い人間だったからなのかな、って。神様が、そんな私に罰を与えてるのかもしれないって」


「そんな事、ないよ」


 この姿になる前のるりは、どんな少女だったのだろうか。今自分と会話をしている彼女からは想像もつかない、妖艶で異様なあの姿が、過去の彼女の片鱗だとでもいうのだろうか。

 たてはは悪い方へと転がっていく思考を引き留めるように、当たり障りのない否定の言葉を呟く。


「でも、もしこれが罰だとしたら、神様は失敗しちゃってますね。だってテントに縛り付けられたお蔭で、こんな優しいお姉さんと、よくわからないけど‥‥なんだか面白い男友達が出来たんだもん」


 そのるりの言葉が、偽りであるとはどうしても思えなかった。


 だからたてはも、偽りのない心でるりと向き合いたいと思った。


 過去のるりを知り、今のるりへと繋がっていった道筋を明らかにする。そしてその全てを受け入れた上で、私もあなたを大切な妹だと思っていると伝えたい。

 たてはは燃え続ける焚き火を眺めながら、そう思った。



   △



 ひぐらしの鳴く声が夕立のように降り注いでいる。濃い草の匂いを含んだ風が、小高い丘を駆け上がり、木製の柵の隙間からたてはの前髪を靡かせた。


 灰塚(はいづか)達樹(たつき)が撮った写真の一枚と、今眼前に広がる景色を見比べてから、たてはは額の汗を首から下げた黄色いタオルで拭った。


 長い階段を登り、写真の撮られた小高い丘の高台まで来てみたはいいが、一面に広がる山並み以外は、大きな収穫は無かった。


 すぐさま降りようにも膝が大声で笑っているため、仕方なく木の柵に寄りかかって疲労の回復を待つ。

 夕食の段取りをシミュレーションしながら時間を潰していると、塩胡椒の補充を忘れていたことを思い出した。

    最近はキャンプと仕事以外にも考える事が多くて、細かいところで抜けが露呈しているような気がする。管理棟にちょっとした食料や小物が売っていたと記憶しているから、塩胡椒くらいであれば置いているだろう。


 足の疲労感もいくらか落ち着いたため、ゆっくりと足元を確認しながら、元来た階段を下っていく。

 サイトへの帰りがてらに再び管理棟に寄ると、売店で塩胡椒と、なんとなく缶ビールを手に取りカウンターに置いた。


 店員さんは奥の事務所に引っ込んでいるのか、誰もいない。

 呼び鈴が置かれているが、急かしてしまうようでなんだか悪いような気がして、しばらくカウンター前に佇んで前に店内を見回してみた。


 壁のコルクボードにポラロイド写真が貼られている。


 写真の背景は店内に置かれた展示用の焚き火台のところだから、キヤンプ場に来場した人の中でこの売店で買い物をした人を対象に、思い出作りの一つとして写真を撮っているのだろう。


 写真の下には日付と、被写体の人の直筆であろうコメントが、蛍光色のペンでデカデカと書かれている。


 その写真の中の一枚で、たてはの視線が止まった。


 どこか見覚えのある男性の写真だった。

    予期せぬ既視感に一瞬だけ戸惑い、そしてすぐに記憶の中のもう一つの顔と重なる。

 ポケットから小さく折り畳んだブログの印刷物を取り出し、そこに写っている男の顔と写真を見比べる。


 この写真、灰塚達樹だ。


 写真の男ーー灰塚達樹は、はにかんだ笑顔を見せながら、やや上目遣いにカメラへ目線を向けている。写真下の空白部分に、飾り気のない黒のボールペンを用いて、小さく丁寧な字でコメントが書かれていた。


『ミヤと、一緒に』


 ミヤ?


 隣に日付も記入されている。ブログに記載されている来場日と同じ日付だった。つまりこの写真は、このブログに書かれたキャンプの日に撮られたものという事になる。

 しかしブログの記事を見る限り、この日はソロでキャンプに赴いていたはずだった。


 じゃあ、この『ミヤ』って、一体誰だ?


 写真を見つめながら立ち惚けて居ると、カウンターの奥から従業員の若い男性が顔を出した。


「お待たせしてすみませーん! 気がつかなくて」


「あ、いえ」


 従業員の声で混乱の脳内世界から現実に引き戻された、急いで社交辞令の笑みを作ると、こちらこそ呼び鈴も押さずすみません、と何度も頭を下げた。


 商品をスキャンし、合計金額がレジに表示される。


「あ、写真とりますか?」


 若い男性従業員が小首を傾げる。


「あ、いえ結構です」


「そうですか。いやー、結構皆さん、思い出作りにって、写真を撮っていかれるんですよ。こういう、皆さんの楽しんでる姿を眺めて居ると、なんだか我々も幸せな気持ちになりますよねー」


 さっきの惚けた顔で写真を眺めている様子を見られていたのかもしれない。たてはは少し恥ずかしい気持ちになった。


「お姉さんはソロですか? 最近ソロの方も増えましたよねー。ほら、この写真の女性もソロでわざわざ関東圏から来ていただいたんですよ。嬉しい限りです」


「あの」


 商品が入ったビニール袋を片手に、たてはは先程見入っていた写真ーー灰塚達樹の写真を指さす。


「あの写真の男の人、私の好きな写真家の方なんですよ」


「あ、この方ですか?」


「いえ、その隣の」


「あー! この方ですか!」


 灰塚達樹の写真を見て、従業員の男性は大きく何度も頷いた。


「写真家さんだったんですか。覚えてます覚えてます。なんだか不思議な空気感の人だったけど、そっかー、芸術肌の人だったんですか。納得です。その道のプロの方を、こんな下手くそな写真に収めてしまって、なんだか申し訳ないですね!」


 そう言って従業員は笑った。


「限定品のいいテント使ってましたよね?」


 ダメもとで、たてはは話に食いついてみる。


「そうそう! 見回りでサイト内を回った時も声を掛けさせてもらったんですけど、あんり見ないワンポールを使ってましたね。そっか、あれ限定品なんですか」


「ソロでした? ソロキャンプが好きな写真家の方たので」


「そうでしたね。確かソロだっておっしゃってましたよ。でも、あれ?」


 従業員はそこで首を傾げる。


「うーん、確かにソロで来てるって言ってましたし、テントにも彼一人しかいなかったと思うんですが」


 そしてマジマジと写真を眺める。


「じゃあ、ここに書かれた『ミヤと一緒に』って、一体なんのことなんですかね。みや? みゃー? 黙って猫ちゃんでも連れ込んでたのかな? まあ、今更いいんですけど」


 そんなはずはない。

 ブログに書かれた情報では、動物を飼っているという情報はないし、まして生真面目そうな性格の灰塚達樹が、ペット禁止のキャンプ場に無断でペットを連れ込むはずがない。


 普通の価値観で生きる人達ならば、考え得る可能性はそんなところが関の山だろう。


 しかしたてはは、もう一つの可能性を提示する事が出来る。テントに住み着く、黒い影の少女の存在を、この自体と容易に結びつける事が出来る。


 ミヤ。きっとそれは、彼女が『るり』と呼ばれる前の名前。


 少しだけ、頭の中の霧が晴れた気がした。


 少なくともこのキャンプ場に来た頃には、るりはあのテントに存在していた。

 予約の都合上、行ったキャンプ場の順番までは踏襲できていないのだが、どこでるりがあのテントの下に住み着いたのか、その候補は半分以下に絞る事が出来るだろう。


 そして『ミヤ』という名前。


 本名なのか、あだ名なのか、そこまでは判別できないが、固有名を得たことで大きく前進できたような気がする。


 何かを納得したように、一人で何度も大きく頷いているたてはを、従業員は奇異の目で眺める。

 しかしそんな視線など目に入らないほど、たてはは新しい発見に興奮していた。




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