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第13話:あのテント①

 店舗のバックヤードにある倉庫は、冷房が効いていないため蒸し暑い。雨の6月の合間に顔を出した太陽が、アスファルトに染み入った雨水をじわじわと蒸発させ、湿気を含んだ重苦しい熱気がシャッターの隙間から流れ込んでくる。

 メモ帳に走り書きした電話番号を眺めながら、たてはは大きな溜息を吐いた。



   △



 るりが豹変したあのキャンプの夜、眠ることが出来なかったたてはは、宗助のテントの側で小さな焚き火を眺めていた。

 テントの中からは宗助のいびきと、眠ることのできないるりの声。

 あれ以降るりの様子がおかしくなる事はなく、眠れない同士の2人はテントの布地越しにぽつぽつと雑談を交わした。るりはたてはのキャンプ話に興味津々で、道なりで見た草花の色や、膝に掛けていたブランケットの模様まで、些細な事にまで思考を巡らし、想像し、共感して、笑っていた。

 そんなるりを知れば知るほど、たてはは先程の彼女の姿とのギャップに混乱し、同時に確信を強めていった。宗助の身体に覆いかぶさっていたるりは、好奇心に胸を躍らせている今のるりとは別の何かなのだ。二重人格だったり、他の霊的な物の憑依だったり。荒唐無稽な考えではあるが、霊として存在しているるりを前にすると、あり得ない事などあり得ないと実感させられる。そしてその不可解な事象の答えは、きっとるりが「覚えていない」と言った彼女の過去に存在している。

 るりの過去。

 このテントの元の持ち主であれば、もしかしたら何かを知っているかも知れない。

 上り始めた朝日に、たてはは目を細めた。



   △



 灰塚(はいづか)誠子(せいこ)。

 あのテントの以前の持ち主である女性の連絡先は、店舗の買取台帳に記載されている。個人的な目的で利用するのはコンプライアンス違反と理解しているが、あのテントの、そしてるりの謎に迫るためには、この糸に手を伸ばすほかない。

 何度目かのため息の後、スマホの発信ボタンを押す。断続的な機械音の後、呼び出しコールが鳴り、たてはは緊張で固唾を飲んだ。

 正直に訳を話したところで聞いてもらえるはずがない。嘘をつくのは大嫌いだったが、円滑に話を進めるためには、誤魔化しが必要なのは覚悟している。


「はい、灰塚です」


 5回目のコールで相手が出る。たてはは心臓が大きく波打つのを感じたが、あくまで冷静に、業務の一環であると自分に言い聞かせて、考えていた嘘の理由を並べ立てる。


「失礼致します。私、ワイルド・イースト○○店の美守(ひだもり)と申します。先日はテントをお売りいただきまして、誠にありがとうございます」


「ああ、あのキャンプ用品店の方ですか」


 灰塚誠子は電話の相手がキャンプ用品店の店員である事に納得したようだった。


「お忙しいところお電話してしまい、すみません」


「いえいえ、どうしました?」


 灰塚誠子の柔らかな物言いにたてはは安堵し、同時に罪悪感が芽生えるが、努めて見ないふりをした。


「すみません、実は先日お売りいただいたテントの買取金額に、誤りがございまして。実際の買取金額より1万円ほど安く買い取ってしまいまして」


「あら、そうなんですか?」


「誠に申し訳ございませんでした。つきましては、差額分の買取費用をお渡しに伺えればと思いまして」


「そんな、わざわざいいですよ」


「そういうわけにはいきません」


「でしたら、こちらからお店にお伺い致しますので」


「いえ、ご迷惑をおかけしたのはこちらですので、ご足労いただくわけにはまいりません。ご在宅の際にお渡しに伺いますので、いつがご都合よろしいですか?」


 かなり強引な話の展開だったかな、とたてはは心の中で舌打ちをした。

 少しの沈黙。


「そうですか。わざわざすみません。でしたら、夕方6時以降はいつも家にいいますので、その時間でしたら大丈夫ですよ」


「そ、そうですか! でしたら明日の夕方6時にお伺いいたします」


「本当にすみません」


「いえ、こちらこそ申し訳ございませんでした。では、明日の夕方6時にお伺いいたしますので、そうぞよろしくお願いいたします」


 電話を切ると、口の中がカラカラに渇いていた。ロッカーから水筒を取り出し、マスカット風味の紅茶で口の中を潤す。

 取り敢えず、第一のハードルはクリア出来た。あとは灰塚誠子と直接会って、雑談の中でテントの情報を出来る限り聞き出す。

 るりがどのタイミングであのテントに住み着いたのか、まずはそこをはっきりさせたかった。流石に工場での生産時にるりが住み着く事は考え難いため、灰塚誠子が購入して以降だとは思う。しかし彼女もまた他の人物からあのテントを譲り受けていた可能性も考えられ、その場合、前の持ち主の時点で既に住み着いていた可能性もあるわけだから、捜査の幅をさらに広げねばならない。

 るりはいつ、どこで、どうやってあのテントに住み着いたのか。そしてその目的は? 夜中のあの行動の真意は? るりはいい霊なのか、それとも悪霊と呼ばれるものなのか? そもそも彼女は霊なのか? 霊なのであれば、生前はどのような生活をしていて、何が原因で霊になったのか? 自殺? 他殺? 不慮の事故?


「あー、無理っぽい」


 ロッカー室に誰もいないことを確認し、弱音を呟く。しかし、悩んでいたって何も始まらないのは今までの人生で得た教訓だ。

 取り敢えずは明日だ。

 明日、ほんの少しだけかも知れないが、霧が晴れるだろう。



   △



「わざわざ、すみません」


 インターホンを押すと、灰塚誠子はすぐにドアを開けてくれた。たてはが来ることを想定し、待っていてくれたに違いない。


 灰塚誠子の家は郊外の閑静な住宅街の一角にあった。地区20年ほどだろうか。外壁の小さなヒビは過去の大きな地震によるものだろうが、全体的に補修が進められており、庭も雑草が抜かれて綺麗い整備されている。

 標識には灰塚忠司(はいづかただし)、誠子、達樹(たつき)と書かれている。最後の名前は息子さんだろうか。灰塚誠子さんの年齢を考えると、もう独り立ちしているのかも知れない。老後の夫婦キャンプのためのテントだったのだろうか。

 様々な想像を巡らし、想定される受け答えと、テントの情報を聞き出すための話の持って行き方と、茶封筒に入れた自腹の一万円を確認する。


 ドアを開けた灰塚誠子は、たてはを玄関に招き入れた。玄関も綺麗に整理されている。キャップ道具の一つでも立てかけられているかと思ったが、そういった類の物は何もない。玄関という他者との窓口を整然と保ちたいという、彼女の誠実な人柄が伺えた。


「わざわざありがとうございます」


「この度は大変失礼致しました。買取価格の設定方法につきましては、社内でも周知徹底させて頂きます」


「そんな、お気になさらず。お金のために売ったわけではありませんので。いいテントなのでしょ、あのテント。どなたか購入されました?」


「はい、すぐに買い手がつきまして」


 話しぶりから、灰塚誠子はキャンプ用品にそれほど知識がない事が窺い知れた。テントの購入は夫である灰塚忠司が行ったのかも知れない、と思う。


「それは良かったです」


 灰塚誠子は優しく、どこか憂いを帯びた顔で笑う。


「人気キャンプメーカーの創業30周年記念として数量限定で販売されたテントですので。すごく貴重なテントなんですよ。灰塚様はどのように購入されたのですか」


 たてはは探りを入れてみる。少し突っ込みすぎた質問かも知れない。会話が中断されれば、ほとんど何の情報も得られないまま扉は閉ざされてします。たてはは少なからず焦っていた。


「いえ、よくわからないんです。息子が購入した物なので」


「あ、息子さんですか。ネットオークションなどで購入したのでしょうか? すごく希少な品ですので、すごいなーと思いまして」


「ええっと、正規ルートで購入したとは言ってたと思いますよ。運が良かった、って喜んでいたのを覚えています」


 灰塚誠子はどこか遠い目をした。雑談もそろそろ潮時ではあったが、ここで断ち切ってしまっては戦果が余りにも少なすぎる。

 話した感じから、灰塚誠子はこちらの質問にも真摯に答えてくれている。店にクレームを入れられては自分の暗躍がバレてしまうが、そんな心配はなさそうだった。

 たてはは更に突っ込んだ質問を試みる。


「あのー、すみません、個人的な話になるのですが、私もキャンプを嗜んでおりまして。息子さんのキャンプ用品のセンスはすごくいいなと感じたもので、もしよろしければ、息子さんとも末長く情報交換出来たりしますと、個人的には嬉しいかな、と」


 明らかに過干渉である。買取金額の差額を渡しに来た店員の発言としては余りに不自然だろう。しかし、何とかあのテントを購入したという息子とのつながりを確保したかった。

 上目遣いで灰塚誠子の顔をみる。


 彼女の顔が、憂いを帯びたまま固まっていた。


 しまった、とたてはは焦る。流石に不信感を持たれたのだろう。これ以上の詮索は灰塚誠子の感情を逆撫ですることになる。店の方にクレームを入れたら、買取金額の誤査定という嘘がばれ、もう二度と彼女の周辺に探りを入れることが出来なくなってしまう。


「も、申し訳ございません。少し、何というか無神経にずけずけと、その、他意はないんです、本当に、申し訳ございせん」


 しどろもどろで頭を下げるたてはを見て、灰塚誠子の頬が緩む。


「そんな、謝らないでください。息子が生きてたら、多分あなたみたいな綺麗な女性にそんな事を言ってもらえて、大喜びするんじゃないかな、と思ってしまって」


「え、あの」


 予想外だった。


「あの、息子ーー達樹は半年前に亡くなったんです」


 そう話す灰塚誠子の顔は、全ての悲しみを受け入れ、そして前を向こうとする力強さが感じられた。


 たてはは、他人が触れられたくない部分を無遠慮に掻きむしってしまった事に気づき、ひどく後悔した。


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