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第10話:初夏の陽射しと暗雲①

 スマホのアラームで宗助そうすけは目を覚ます。


 キャンプ当日はアラームの30分前に自然と目を覚ますはずなのだが、最近はキャンプの時間を作るために仕事を詰め込みすぎたのかもしれない。

    後頭部をどんよりと曇らせる疲労感を振り払うように、勢いよくカーテンを開ける。暗い部屋が一瞬で明転し、意識が覚醒状態へと切り替わる。

    天気は晴れ、雲は遠くの空にうっすらと浮かんでいる程度だ。


 昨日準備した食材を再確認しながらクーラーボックスに詰め込んでいく。車の後部座席には定番の道具が常に積まれているため、消耗品さえ補充すればいつでもキャンプに繰り出せる状態だ。


 熟練度が高まるにつれてキャンプ道具はミニマム化していく傾向にあると思う。限られた道具でスマートにキャンプを楽しむのが腕の見せ所と言える。そんな目標を立ててはいるものの、もともと石橋を叩いて渡る性格の宗助は、備えあれば憂なしのキャンプスタイルが固まりつつあった。

    愛車の後部座席には丁寧に積まれた大量のキャンプギア達。その完成したパズルのような宝の山を見て、恍惚のため息を吐く。


 クーラーボックスを予め開けておいたスペースに嵌め込むと、出発前の狼煙とばかりにベランダでタバコを一本蒸す。

     10時の待ち合わせにはまだ少し時間がある。一本めのタバコを揉み消した後、もう一本のタバコを口に咥えるが、火を付けずにぼんやりと遠くの薄雲を眺めた。


 たてはとのキャンプは大学以来だ。宗助は少し緊張している自分を感じていた。



   △



「あ、ちゃんと遅れなかったね。えらいえらい」


 待ち合わせ場所であるコンビニの駐車場で、フルフェイスのヘルメットを外したたてはは、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 キャンプ場での快適性を追求し、主に調理器具を大量に詰め込んでいる宗助と異なり、たてはの荷物はバイクのキャリアに積み切れてしまうほど少ない。それは彼女がバイク一つでのキャンプを追求するため、様々な道具をアップグレードしていった結果だった。


「はあ」


 宗助はいつも通りの、聞いているのか聞いていないのかよくわからない返事を返す。


 平日朝のコンビニは、これから外回りに向かう社用車で埋まっていた。スーツや作業具に身を包んだ男達が足早に車へと乗り込んで行く。


「すけ君とちゃんとしたキャンプをするのって、大学の時以来?」


「そっすね。この前はデイキャンプでカレーを作らされましたが‥‥」


「そちらの今日のメニューは?」


「途中で海鮮買って、ブイヤベース的な」


「いいね! お互いお裾分けしようよ!」


 たてはは屈託なく笑う。大学時代のサークルで、皆の輪から外れて焼き鳥を焼いていた宗助に歩み寄り、小皿に取り分けたアヒージョを差し出す。あの頃と変わらないその顔に、宗助は懐かしさを感じていた。


 たてはのバイクを先頭に、宗介の車が続く。途中に寄った道の駅で宗助は牛串を、たてははソフトクリームを買い、駐車場裏の山々を望むベンチに腰掛けた。この山道を抜け大きく右に曲がると、光の鱗に覆われた日本海が視界の左下に映り込む。その瞬間が最高にテンションが上がるんだと、たてはは語った。


「るりちゃんにも、見せてあげたいね」


 ソフトクリームのコーンに齧り付き、シャリシャリと音を立てて咀嚼した後、たてはは溜息を吐くように言った。


「キャンプは、道中の景色もご馳走だからね」


「まあ」


 牛串を食べ終えた宗助は、タバコを吸おうとポケットに手を突っ込み辺りを見回す。そしてここが禁煙スペースである事に気付くと、名残惜しそうに手を引っ込めた。


「るりちゃんか‥‥、私は今だに夢でも見てたんじゃないかって感じるんだけど、すけ君はこの前も一緒にキャンプしてきたんだよね?」


「はい、フツーに」


「なんか、不思議だねー。早く会いたいな」


「はあ」


「ていうかね、先輩としては、すけ君が女の子と2人でキャンプしてるって事自体が不思議、なんちゃって」


「女の子、なんですかね?」


「じゃあ男の子?」


「そのニ択なら、女の子っすよ」


「しかも、かわいい、ね」


「はあ」


 何だか腑に落ちない宗助の顔を見て、たてはは心底嬉しそうに笑った。それはポーズではなく、宗助の成長に対する喜びの現れだった。

 常に自分の事しか考えていなかった後輩が、ここ最近は他人の欲求や喜びの為に動いている。でも以前の宗助も決して自己中だったわけではない。他人のために何かしてあげたいのに、手の差し伸べ方がわからない男の子、そんな印象をたてはは持っていた。やっと自分が差し伸べる手の長さと、力強さと、温かさに、この不器用な後輩は気付きつつある。


 喫煙所に向かう宗助の後ろ姿を眺めながら、たてはは喜ばしいような、それでいて何処となく寂しいような、不思議な感情を覚えた。


 休憩を終えて駐車場に向かう途中「あっ!」と声を上げて宗助が立ち止まる。


「どうしたの?」


「いや、ドライブレコーダー」


「え、なになに?」


「いいドライブレコーダーつければ、道中の景色をるりに見せてやることが出来ますよね」


「は?」


 たてはは唖然とした。この後輩はあれからずっと、るりに道中の景色を見せてあげる方法を考え続けていたらしい。


「それは、まあ、確かにそうだけど」


「あー、そうだ、そうしよう‥‥」


 そう独りごつ宗助を見ていると、羽ばたく練習を始めた小鳥を眺める親鳥のような、慈しみの感情がたてはの胸に湧き起こった。


「もー、すけ君」


「はあ」


「あんた、いい男になったねぇ」


 宗助のボサボサの頭を無造作に撫でるたては。硬い髪の感触が心地よかった。一方の宗助は心底嫌そうな顔で、しかし尊敬する先輩の手を無碍に振り解く訳にもいかず、ただただされるがままになっていた。


 るりという得体の知れない存在。

 ともすると忌避すべき存在であるかもしれない自称『幽霊』の彼女とのキャンプが、宗助を良い方向へと導いている。これからもこの不器用な後輩は、どんどん変わっていくのだろう、そうたてはは思った。


 そしてそれが、余りに危機感を欠いた希望的観測であるという事に、彼女はこのキャンプで気付かされることとなる。



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