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第6話:桜と満月②

 日が沈んでいく。緑と茶がまだらに混じった遠くの山並みの向こうで、太陽が色を赤く変えながらゆっくりと沈んでいく。肌寒さを覚えた宗助は生姜を刻んでいた手をとめ、薄手のアウターを羽織った。春の風は時に冬の名残を見せ、頭上に伸びた桜の枝から無数の花びらを散らす。その一つが沸騰させていた鍋の湯に落ちて、波打つお湯の中に沈み踊る。


「何作ってんの?」


 すぐそばのテントの入り口付近に黒い影が立っている。その影は好奇心に満ちた目で宗助そうすけの背中を見ている気がした。


「晩飯っす」


「それはわかる」


「鍋っす」


「それも、その食材を見ればなんとなくわかる」


 宗助はどこまで詳細に今晩の献立を伝えるべきか考える。


    相手に一言でその全貌を伝えられるような定番料理ではないが、詳細をくどくど説明したところで相手が興味を持つとは限らない。

    大学時代のキャンプサークルで感じたコミュニケーション不全の過去が蘇る。メンバーに説明を求められたキャンプギアについて、良かれと思ってその性能やメリット、デメリットについて事細かに説明したのだが、説明の終盤になると相手は面倒臭そうに愛想笑いを浮かべていた。


 ちょっとした質問の言葉を打ち水にして他方向に話題を広げていくのが健全なコミュニケーションなのだと後に知ったのだが、その匙加減を見極めるのが宗助は面倒臭かった。

    だから聞かれた質問にはたった一言で端的に答える習慣がついてしまった。

 げにコミュニケーションとは難しきかな。


「なんというか、ツミレ鍋っすけど、花見団子みたいなイメージというか、そんな感じのやつ」


 大まかなイメージを伝えることは出来た。これ以上の説明は野暮だし、この返答でるりも興味を無くすだろうと宗助は思った。

 しかし、その返答を受けてるりの目は更に輝きを増した、ような気がした。


「見せて」


「何が?」


「何がって、作ってるところ」


「ああ‥‥」


 予想外の反応だったので戸惑う。

     見えないならこっちに来ればいいじゃないか、そう言おうとして、るりがこのテントの下から出られないことを思い出した。テントの入り口に背を向けて料理していたが、仕方なくテントと向かい合う位置へと移動する。テントの中の暗がりから、黒い影がこちらを見つめている。


 白菜を削ぎ切りしながら、宗助はこのテントの中にしか居れない状況について思いを巡らせた。

     窓から外を眺めるだけの日々、きっと物凄く退屈だろう。るりが自分の料理如きに興味津々なのは、もしかしたらそんな退屈を紛らわすためなのかもしれない、そう考えて宗助は勝手に納得した。


 木のまな板の上、ナイフで丁寧にネギを切る。

     片手間でやろうと思えば、料理はいくらでも手を抜くことが出来る。それが悪い事とは思っていないし、宗助自身も日々の自炊は出来るだけ効率的にこなしている。

     しかしキャンプにおいては、ネギの斜め切り一つだって、意識を集中してその感触を楽しみたい。食材の一つ一つの行く末に思いを馳せ、完成した料理の姿を想像しながら、丁寧に丁寧に整えて行く。


「なんだか、楽しそうだね」


 るりが言った。


「そっすか?」


「うん、ぶっきらぼうな態度なのに、なんか優しい顔してる」


「はあ」


 宗助は恥ずかしさで口ごもりそうになる自分を誤魔化すために、わざと気のない言葉を返した。



   △



 テントの中で夕食を食べた。

    るりがテントから出られない以上、テントの中と外でお互い離れて食事を取るのもなんだか不自然なような気がしたからだ。

    しかし他人と二人で食事を取るシチュエーションにはどうにも不慣れなものがある。宗助は早々にこの場所を離れようと、ウイスキーで感情を誤魔化しながら、熱い鍋をハフハフと頬張る。


 黒い影の姿をしたるりは、目の前に置かれたお椀を見下ろしている。こうすると食べたような気持ちになると先日のデイキャンプで言っていた。 


「ねえ、私のこと、カメラで映してよ」


「ん?」


 自分の分のお椀をあらかた食べ終えたところで、るりが宗助に言った。

     口の中に溜め込んだツミレを咀嚼しながら、宗助はスマホの画面にるりを映し込む。

      小さな画面の中で、黒い影から鮮やかな少女に転身したるりが、宗助をじっと見つめていた。


「めちゃくちゃ美味しかったよ」るりは右手の親指を立ててgoodのポーズをとる。そして深々と頭を下げ「ご馳走様でした」


「お、おう」


 少女の姿をしたるりが目の前にいるような錯覚を覚えた。霊体や虚像ではない、肉体を持った存在として、目の前に座っているような気がした。

 しかし画面から目を逸らすと、ぼやけた黒い影がこちらを見ている。宗助の心に何故か物悲しい隙間風が吹き込み、その意味不明な感情に戸惑った。

 きっと呑み過ぎたウイスキーのせいに違いない。


「呑み過ぎたから、風にあたってくる‥‥」


 そう言って逃げるようにテントから出た。焚き火台の中で燻る火種に小さく折った薪を焚べて、火吹き棒で空気を送る。

    どんどん大きくなる火を眺めながら、閉じた扉の隙間から流れ込んでくる自分にとっては不自然この上ない感情に対して「なんなんだよ、これ」と悪態を吐く。


 夜風が吹いた。花びらが舞った。


 風に揺れる桜の木を眺めようと上を向いた宗助の目に、黄色く実った満月が飛び込んできた。


「そっか、今日は満月だったんだ」


 誰にともなく独りごつ。

    晴天と、夜桜と、灯りの少ない寂れたキャンプ場、色々な要素が組み合わされて生まれた、奇跡のような満月だった。そして宗助は、自分自身でなんの疑念も持たないほど自然に『るりにも見せてあげたい』と思っていた。


 記憶もなく、自分の正体すらわからず、小さなテントに縛り付けられている自称幽霊の少女。そんな彼女にせめてテントの隙間からでも、この壮大な自然の芸術作品に触れさせてあげたい。そして、この感動を分かち合いたい。


 さっきまでの不自然な感情は消えていた。誘われるように宗助はテントの中を覗き込む。


「月が、綺麗っすよ」


 コットの上に浮かんでいた黒い影のるりは、勇み足でテントに戻ってきた宗助が開口一番に発した言葉に呆気に取られ「それって、愛の告白?」と返した。宗助は首を振り、後ろを振り返る。

 テントの入り口、宗助の肩越しから月明かりが漏れ入る。


「うわぁー」


 黒い影の口元が半月型に開いたような気がした。


 そんなるりの横顔を見ながら、宗助はこの感動を言い現せる言葉を考えていた。一人だったら心の中に仕舞い込むであろう揺れる炎のようなこの感情。輪郭のないこの感情も、二人ならば必然的に言葉として形作られていく。


「キャンプをしていると、たまに色々な幸運が重なって、すばらしい景色を見せてくれることがあるんすよ」


「これは、すごいよ」


 るりは桜と満月から目を逸らさず、ため息のように呟いた。


「今回は、すごく運が良かったっす。雨が降ったり、風が強かったら、きっとこんな景色は見られなかった。でもそんな雨や、風だって、特別な景色に変わりはない」


「もっと見たい」いつの間にかるりの目は、宗助の目を見つめていた「こんな素敵な景色を、もっと観たい」


 宗助は思った。一人はいい。でも誰かと見る景色も、案外悪くない。


「また見せますよ」


 誰かと一緒のキャンプに喜びを見出すことが出来なかった。自分は一人きりが一番なのだと、そう信じていた。そんな宗助は、自分の口から出た言葉に驚き、しかし『でも、まあ、いいか』とその言葉を素直に受け入れた。




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