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三角形の下 -たたずむ影、夢なずむ少女-
三角形の下 -たたずむ影、夢なずむ少女-
幕田卓馬
現代ファンタジー都市ファンタジー
2024年11月03日
公開日
14.4万字
完結済
【全42話:毎日20時に更新です】
彼女はテントの下にだけ存在している……。
中古のワンポールテントを購入したソロキャンパーの門前宗助は、テントに取り憑いている記憶を無くした自称『幽霊』の少女、るりと出会う。
るりは何者なのか、なぜテントに取り憑いているのか、そんな謎を抱えつつも、宗助はるりとのキャンプを繰り返す。
一方、宗助の大学時代の先輩である美守たてはは、るりの存在に一抹の不安を覚え、独自にその正体を探り始めていた。
キャンプを通じて、次第に近づく宗助とるりの心。
しかし、るりを取り巻く数多の謎は、宗助とたては、そしてるり自身をも飲み込んでいく……。
キャンプの風景と共に描く、青年と幽霊?少女のアウトドア・ファンタジー。
どうぞよろしくお願います!

第1話:テントの下で

    昼間の陽気が溜め込んだぬるま湯のような暖かさと、夜が運んでくる冷たい風とが混ざり合い、拡散し、有耶無耶になっていく。


    春の夜は二つの海流が混じり合う潮目のようだ。そこで生まれて海面を漂うプランクトンのように、風に吹かれた枝垂れ桜の花びらが舞っている。

    黄色い月は真上で輝き、それを掴み取ろうとする白い手のように、焚き火の煙が夜空へと伸びている。


    三角形の入り口を開けて、小さなLEDランタンに照らされた内部を覗き込む。コットの上に薄暗い影が漂っているのを見つけられたため、彼は口の端を歪めて顔を引き攣らせた。感情表現が苦手な彼が、唯一出来る喜びの表現だった。


「すごく月が綺麗っすよ」


    彼が薄暗い影に向かって言う。


「それって、愛の告白?」


   影が答える。その声は柳の枝のように細くしなやかだ。

   一瞬考えたあと、彼は戸惑い何度も首を振った。そして黒い塊を凝視する。目を凝らすと霧のように境界が曖昧なその影に、少しだけ輪郭が生まれたような気がした。顔のある位置に小さな亀裂があり、それが半月型に開いた気がした。


「入り口からでも見えますよ、ほら」


    そう言って彼は入り口を塞いでいた自分自身の体を翻す。衝立をなくした三角形の中に、月明かりと生ぬるくて冷たい空気と、花びらが一枚入り込んだ。


「わあぁ‥‥」


     影はうっとりと月を眺めた。そして彼は、そんな影の事を眺めていた。


「満月っすね」


「何だか、怖いくらい大きい。妖艶というかなんというか」


「魔力的な何かがありそうっすね」


「なんか、お化けが出そうな雰囲気かも」


    そんな自分の発言が可笑しくて、影はケラケラと笑った。彼は再び、不器用な喜びの表情を見せる。


    そして、2人の取り止めもない会話は、焚き火から飛び散る火の粉のように、ぽつりぽつりと続いていく。この小さな三角形の下で。



   △



「あ、いらっしゃいませー♪」


    町外れのキャンプ用品店は、春のキャンプシーズン到来を控え賑わいを見せていた。

    装いも新たに今年初のキャンプに挑みたいキャンパー達が、新調するキャンプギアを抱えながら、ほくほくの笑みでレジに並んでいる。


    このキャンプ用品店の店員として働いている美守ひだもりたてはは、そんなお客の浮き足だった感情に自分の心情を同調させながら、この忙しい15時過ぎの業務を乗り切っていた。

    頭の後ろで結んだ明るい色のショートヘアーが、店内の照明と、窓から差し込む傾きかけた陽の光に照らされ、たてはの心情を映すかのように輝いている。


    たてはもソロで活動するキャンパーであり、小学生の頃から父親とのキャンプを嗜んでいた。

    大学時代はキャンプサークルで大人数でのキャンプを経験しつつも、月2回のソロキャンプも欠かしていない。

    それは、大学卒業後に趣味と実益を兼ねてこのキャンプ用品店で働きだしてからも同様だった。春から秋がキャンプシーズンとは言うものの、たてはにとっては霜の降る晩秋も、新雪が降り積もる真冬も、枝木に蕾が芽吹き始めた早春も、全てが同様にキャンプシーズンだった。


    夕方になると徐々に客足も落ち着いて来る。途端に手持ちぶさたになってしまったため、レジの現金の向きを揃えながら今週末のキャンプで食べる料理の事を考えていると、自動ドアの開く音がした。


「いらっしゃいませー♪」


    反射的にそう言って、自動ドアの方に目をやる。そこには痩せ細った目つきの悪い男が立っていた。


    髪は所々寝癖が立っていて、口の周りには無精髭が生えている。その反面、着ているオーバーサイズのロングTシャツはしっかりと洗濯されていて、地味ではあるものの不潔さは感じられない。


    なかなかに怪しい雰囲気の漂う男だったが、たてははその男の顔を見ると営業スマイルを本心のスマイルへと変えた。


「あー、すけ君じゃん! この前のキャンプどうだった?」


    周りに客がいないことを確認して、たてはは男に手を振る。すけ君と呼ばれた男は面倒臭そうにたてはの方を向いて、三白眼のガラの悪い目つきを更に細めた。


「ほら、私が紹介したところ行ったんでしょ? すごくよかったでしょ? 私も今週末行く予定なんだー!」


    たてはが話を続けようとするため、男――門前もんぜん宗助そうすけは渋々といった様子でたてはのいるレジカウンターへと向かった。


「うん、まあ、よかったっす」


「だよね」


「良かったっすけど、テントが壊れました」


「えー?」


    そこでたてはは、先週末はものすごい風が吹き荒んでいた事を思い出す。確かにあの状態でテントを立てたら、風に飛ばされるかポールが折れる。

    しかしよくあの状態でキャンプを決行しようと思ったものだと、たてははサークルの後輩だったこの男の無謀さ加減に溜息を吐いた。


「中止にしときゃ良かったのに」


「まとまった休み、そんなに取れないもんで」


「それはそうだけど。それで今日はその壊れたテントの修理依頼?」


「いえ、もう使い古してボロボロなんで、そろそろ新しいのを買おうかと」


    宗助が大学時代からずっと同じテントを使っていた事を思い出し、確かにそろそろ買い替え時なのかもしれないな、と思った。


「どこの、どんなテントにする?」


    店内にお客さんはいないようなので、たてははレジを離れてテントコーナーへと向かった。お客の意見を聞きながら、最適なキャンプギアを選んであげることも、たてはにとっては大事なお仕事であり、楽しみの一つでもあった。


「予算はこのくらいで」


「えー、こんなんじゃいいの買えないよ?」


    宗助が見せた財布の中を覗き込んで、たてはは表情を曇らせる。


    この後輩が自分と同等の頻度でテントを酷使する事は目に見えているのだから、中途半端なテントはお勧めできない。だからと言ってここで匙を投げてしまうのでは、キャンプ用品店の店員としての責務を果たせていない、そうたてはは考える。


    そこで、最近店長が中古で仕入れてきたテントがあった事を思い出した。


    そこそこ名の知れたメーカーのワンポールテントで、少し古いが丁寧に使われていたようで解れや汚れは見られない。しっかり手入れしながら扱えば、まだまだ十分に活躍できそうなテントだった。

宗助に紹介すると、彼は袋を開けて生地をじっくりと眺め「これ、いいっすね」と呟いた。


「新品で買うのの3分の1の値段だよ」


「安いっすね」


    満足そうに頷く宗助の横顔を見て、たてはも嬉しそうに大きく頷く。


    宗助だけに限らず、自分の紹介した道具でお客が喜んでくれる事がこの仕事のやり甲斐だ。そして今日買ったキャンプギアでこのお客がどんなキャンプを繰り広げるのかを、1人で想像して盛り上がるのである。


「でもこれ、なんでこんなに安いんすか?」


「さあ? 店長がこの価格で構わないって言ってたけど、なんなんだろうね?」


「でっかい落書きとかされてません?」


「それはないよ。私ちゃんと確認してるもん」


「うーん」


「事キャンプにおいて、私が今まで嘘や誤魔化しをした事があって?」


「たしかに‥‥信用してます」


「もしかして、幽霊が取り憑いてたりして」


    そう言ってから、たてはは自分の荒唐無稽なセリフが馬鹿馬鹿しくなり、照れ笑いを浮かべた。幽霊が取り憑いている、事故物件ならぬ事故テント? そんなおかしなものが、この店で売られていてなるものか。


「だとしたら、それはそれで面白そうっすね」


「すけ君だったら、幽霊に対しても『ああ、憑いてましたか、すみませんね』って流しそう」


「いや流石にそれはなっすよ」


    テントを担いで店を出る宗助の後ろ姿を見送りながら、たてははあのワンポールテントで宗助がどんなキャンプを繰り広げるのかを想像し、自分も新しいテントが欲しいなぁ、と呟くのだった。



   △



    数週間後、たてはがいつも通り店の商品を眺めて悦に浸っていると、いつも通り陰鬱な顔をした宗助がやってきた。

    この前買ったテントの具合を聞きたくて、他に客がいない事を確認すると大袈裟な動作で手招きする。


「あれから行った? この前のテント使った?」


「使いましたよ」


「どうだった?」


「あ、良かったっすよ。でも、なんだろう、憑いてましたね」


「あれ、汚れかなんかついてた?」


「いえ、霊が」


「レー? カレー?」


「幽霊です」


「はい?」


「幽霊が、憑いてました」


    真剣な顔でそう答える宗助を見て、この馬鹿真面目な後輩がそんなつまらない冗談を言うタイプではないと知っているたてはは、ただただ絶句する他なかった。




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