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第14話 夢見る

 「先生、このフィールドワークは行くべきですか」


 室戸は学生の論文から目を離すことなく答える。


 「行った方が良いんじゃないの。いつなの、それ」

 「今週の土曜日らしいです。室戸先生も来ますか」

 「行かん。頑張れ」


 あまりにも無関心な態度に朱音はあっけにとられる。


 「何か注意することとか、失踪者の手がかりとか無いんですか」

 「ない。だけども、何か向こうでお願いされたら全部ハイとイエスで答えなきゃだめよ。死ぬこと以外はね」


 室戸はいたって真面目な顔で言うので、朱音はついそのまま了承してしまいそうになった。


 「それ、どういうことですか」

 「これが事件解決の近道。お守りあげるから行ってらっしゃい」


 室戸は引き出しからボールペンを一本取り出し朱音に差し出す。よく見ると黒いボディに小さくトーブー君が描かれている。


 「かわいいでしょ、これ」

 「そりゃかわいいですけど」


 朱音は受け取ったものの、室戸の意図が見えずまじまじとペンを見つめる。


 「学校参観の時にでも使って。じゃ、帰ろう。雨降ってきたから」


 小窓を覗くと、真っ黒い雲が空一面に広がり、草木も揺れている。


 「家まで送るか?」

 「大丈夫です」

 「じゃあ大学から駅まで送らせてちょうだい」


 室戸は机に散らばる書類や本をまとめ始める。大丈夫だと言っているのに頑固な人だ。何度断っても意見を曲げない室戸に折れた朱音は渋々了承した。


 「誰があなたを誘ったの」


 室戸はまっすぐ前を見てハンドルを握りながら問う。


 「加藤さんです。たまたまフィールドワークが空いていたらしいので」

 「へぇ」


 性格に似合わず丁寧な運転をする室戸になんだかおかしさを感じながら、朱音は続ける。


 「でも私が行っていいんですかね。まだ入学して間もないのに」

 「あなた真面目だもんね」


 誰の指示でそうしていると思っているのか、そう喉元まで出かかったが朱音は必死に飲み込む。


 「先生は教育学の先生ですよね、なんで参加してくれないんですか」

 「その日は予定があるから」


 相変わらずの返事に思わず気が抜ける。


 心地よい揺れを受け、単調な道の流れを見ているうちに、朱音は現実と夢の世界をさまよい始めた。


 数馬先輩、どうして一人で行ったんですか。勝手にかぎまわるなって先輩が言ったのに、ずるいですよ。

 中井はごめんごめんと謝り、苦笑いを浮かべる。


 朱音が目を開くと、そこには見慣れた景色が広がっていた。


 「え、待って、ここ家!」


 慌てて目をこすり辺りを見回すも、やはり家の前だ。そうだ、隣に室戸がいたはずだと思い、隣を見るが、誰もいない。車のドアを開け外に出ると、室戸が車にもたれかかっていた。


 「何してるんですか」


 朱音は鋭い目つきを室戸に向ける。


 「起きないから少し待ってただけよ」


 室戸は平常運転という様な顔をする。


 「起こしてくれて全く問題なかったんですよ。こんなとこまで申し訳ありませんでした」


 室戸はふん、と鼻を鳴らして空を眺める。


「せっかく送ったのに雨やむなんてねぇ」


 空にはぽつぽつと星が浮かんでいる。


 「ほんとですね。というか、なんで家分かったんですか」


 朱音がぎょっとした顔で問うと、室戸はため息をつく。


 「学生情報に載ってるし、中井君に何度か送らされたからね」

 「な、なるほど」


 「やはり先輩はちゃっかりしている」そう思いながら朱音は中井の頼んでいる姿を想像した。中井の名前を出されたことで胸をなでおろすが、油断しすぎていたことに反省する。


 「そうだ、ちょっと待っててください」


 朱音は急いで家の鍵を開け、ガサゴソと家の中を探り何かをとってくる。


 「ご自宅まで時間かかるでしょうから、これどうぞ」


 渡したのはコーヒーのペットボトルと個包装のバタークッキーだった。コーヒーは母が味を好んでよく飲んでいるもので、ストックをしていたものを拝借した。


 「これで寝ないで済むな。夏川さん、また今度」


 「寝ないで」の部分が若干強調されているように感じたが、朱音は気づかないふりをして素直に感謝する。


 「ありがとうございます。学校参観終わったら報告します」

 「待っとるよ」


 朱音は室戸の車が見えなくなるまで、その姿を見送った。

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