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第6話 談笑す

 この日最後の講義は大崎先生の小学校理科に関する講義であった。朱音は小学校の免許取得を目指しているため、一通りの科目を受ける必要があり、理科もそのうちの一つだ。


 「教える時に重要なのは押し付けないこと。今の学校のように押し付ける授業は子どもの力を伸ばしません」


 学生が敷き詰められた広めの講義室にマイクを通した優しい声が広がる。人柄同様その教育観も穏やかな印象を受ける。


 「これで本日の講義はおしまい。コメントシートは提出して帰ってください」


 予定時間よりも講義は早く終わり、朱音も授業のコメントシートを書き終え退出しようとした。すると、学生と話していた大崎が朱音に気づき話しかける。


 「お疲れ様。この後サークルは来る?」

 「はい。行くつもりです」

 「そしたらちょっと荷物運び手伝ってもらってもいいかい?」

 「分かりました」


 学生たちがコメントシートを提出し終え、後片付けを済ますと、大崎は申し訳なさそうな顔で座っていた朱音に声をかける。


 「お待たせ。ごめんね」

 「とんでもないです」

 「じゃあ行こうか」


 大崎に付いていくと、物置部屋のようなところに大量の段ボールが積みあがっていた。


 「今度子どもたちとの交流会で使うんだけど量が多くてね。ほんとに助かるよ」

 「いえいえ。全く問題ありません」


 見た目よりも段ボールは軽く、中身は装飾品のようだった。部屋の飾りつけに使うのだろう。


 段ボールをそれぞれ2箱ほど積み上げ、学内を移動する。


 部活棟305号室についたが、まだ講義終了前ということもあり一人もいない。


 「まだ早かったかもね」

 「そうですね」


 持ってきた段ボールを整頓していると、二人の会話は自然と学生生活についてになった。


 「学生生活は慣れた?」

 「そうですね。まだ講義も全然受けてないので分からないですが、少しずつ雰囲気には慣れたかな、と思います」


 大崎は朱音のたどたどしい返事に「ふふ」とほほ笑む。


 「もうバイトとかしてるの?」

 「まだなんですけど、教育学部だし塾講師とかいいかな、と思ってます」

 「おぉ、いいじゃない。僕も学生時代は塾講師のバイトやってたよ。大変だけどやりがいはあるからね」


 やはりほかの学生も塾講師を行う人は多いという。給与面でも経験を積むということでも人気があるらしい。


 「まあ色んなところ見た方がいいよ。折角だからね」


 どこかで聞いたようなセリフだが、確かにうなずける。就職してしまっては動きにくくなってしまうし、経験を積んでおいて損はないはずだ。


 「そういえば、先生はサークルメンバーが」


 朱音は学生が失踪した件について大崎にも聞こうとしたものの、室戸の発言がよぎり余計な詮索をするのは止めにした。


 「何か言ったかい?」

 「いや、何でもないです」

 「そう」


 朱音は少し気まずい空気になってしまったのに耐えきれず、作業する手を早める。


 すると、静かに扉が開く音がした。


 「失礼しまーす」


 入ってきたのは天野と加藤だ。


 「あ、新入生に雑用させちゃだめじゃないですか」


 天野は駆け寄ってきて、大崎をにらみつける。


 「ごめんごめん。もう終わるから」

 「気にしないでください。暇だったんで」

 「朱音ちゃんも断っていいからね」


 大崎はごめんねと手を合わせて謝るしぐさをする。


 だんだんと人が集まり始めたが、中々中井は姿を現さない。


 「おそいな、数馬」


 加藤は何度もスマホや腕時計を確認している。とうとう活動開始時刻になったが、未だ現れない。


 「ボランティアが嫌になって逃げだしたのかな?」


 にやりとした顔で天野は冗談めかしてそう言った。


 「もしかして、数馬君も行方不明?」


 森田は天野に便乗し、まさかね、と笑いながらそう言ったが、朱音は嫌な予感がしていた。

 もしミステリー小説ならば、数馬先輩はもう……。


 「大丈夫。すぐ来るよ」


 大崎は落ち着いて緑茶をすすっている。


 「ごめん、ちょっと遅れた」


 開始時刻から10分後、中井は慌てて入室し、朱音の隣のパイプ椅子に腰を下ろした。はぁはぁと息を切らしている。


 「よし、じゃあ活動を始めます。本日は、来月開催する東部地域子ども会のイベントについてです」


 笹野が進行でスムーズに企画会議は進んでいき、活動は終了した。


 一同が外に出るとすっかり雨はやんでいた。


 「次の活動は一週間後だからしばらく会わないね」

 「じゃあ、おつかれさま」


 家の方向はそれぞれ違うため、散り散りになり、中井と朱音はバス停へ向かう。


 「また講義長引いてたんですか?」

 「まあね」


 中井はすんません、と言って右手を頭に沿え、申し訳なさを演出する。

 講義が長引いたのにしては少々長すぎたように感じる。「本当に講義だったんですか」そう喉元まで出たが、朱音は飲み込んだ。


 「これもらったんだけどいる? トーブー君ストラップ」


 雑に話をそらした中井はリュックからブタを模したかわいらしいぬいぐるみのストラップを取り出す。


 「これ東部大学のマスコットなんだけど結構かわいいと思うんだよね」


 確かにかわいい、と朱音は眺める。体は水色でくりくりとした目をした愛らしい見た目。こんなもので誤魔化されてはいけない、と朱音は正気に戻る。


 「いえ、もらうのは悪いですから」

 「全然いいよ。俺も持ってるから」


 な、なに。それでは断る理由がないではないか。


 朱音は散々迷い、結局受け取ることにした。


 「俺が活動来なかったらトーブー君を俺だと思って参加させといていいから」

「何言ってるんですか。本人が居なきゃ意味ないんですから」


 朱音のトーブー君には蝶ネクタイが、中井のトーブー君にはメガネがついている。


 「今日大崎先生の講義受けたんですけど、やっぱりどこぞの室戸先生より優しいですね」

 「それはそう。でもああ見えて大崎先生も忙しい人だからね」


 確かに大崎は学生からの人気もあり、四六時中働いているように見える。


 「でもあの人も一生遊んで暮らせるのに偉いよなぁ」

 「一生って、そんなにお金持ちなんですか?」

 「代々政治家やってるお家だからね。大崎先生は次男だからあんな世界継がずに済んだって喜んでるけど」

 「なるほど」


 お金目的でないということは心から仕事に向き合っているということか。自分ならそこまで楽しんで働くことなどできそうにないと、朱音は楽しそうに活動する大崎の姿を思い浮かべた。


 「でもなんで大学の先生なんですかね」

 「もう閉校しちゃったらしいけど、先生の親戚が学校運営してたって言ってたから、そういうのも関係あるんじゃない」


 政治家に学校経営。住む世界が全く違う人に同じ空間で講義を受けているのだと思うと朱音は不思議な感覚がした。


 「そういえばさ、あいつらのことよく考えたら休学届出してるし、そんなに心配することじゃないのかな」


 中井は腕を頭の後ろで組みながらのんびりとした口調で言う。

 確かに休学届を出しているし、理由は個人情報だから事情は言えない、というのも分かる。しかしそれにしてもあの隠し方は異常ではないだろうか。


 「今度は学生に聞いてみるのはどうですか。行方不明になった人の親しかった人とかに」

 「うーん、前にもちょっと聞き込みしたからなぁ。でもさ、一旦休憩してもいいんじゃない? 俺が巻き込んでおいてあれだけど」


 中井は明らかに昼間より威勢がない。室戸の件で懲りたのだろうかと朱音は心配になる。

 結局この日は調査の予定は立てず、二人は帰宅した。

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