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第5話 予感す

 翌日、1限の授業を終えた朱音は傘を差しながら教育学部棟の前で中井を待っていた。4月も終わろうとしているのに、雨のせいもあって今日は肌寒い。


 「まだ来ないな」


 身を縮こませながらきょろきょろとしていると、後ろから「行くぞ」という声がする。

 振り返ると4月にもかかわらずふわふわとしたニットを身にまとった中井の姿があった。


 「遅かったですね。授業長引いたんですか」


 中井はかったるそうな顔を浮かべて語る。


 「そうそう。なんで先生も早く終わらせないかね」

 「大変ですね、先輩も」


 ボランティアの会の顧問の研究室は第三講義棟にあるという。


 「聞き忘れてたんですけど、顧問はどういう学問の先生なんですか」

 「室戸教授っていう教育学の先生。教育法とか心理学とか組み合わせて研究してる人だよ」

 「ということは私もいずれその人に習うことがあるんですかね」


 中井はおどろおどろしい声で「そうだよ」と言い、大きく首を縦に振る。そして声を潜めて言った。


 「あの人、不愛想で厳しいから人気無いの」


 なるほど。だから大崎先生に比べあまり話題に上らないのだと朱音は納得する。


 「しかも次期教育学部長の座狙ってるらしいよ」

 「野心家なんですね」

 「まああくまでこれもうわさだけどね」


 第三講義棟に入ると、無機質なドアがずらりと並んでいる。人気はなく、廊下は薄暗い。

 一番端が室戸教授の研究室らしい。


 「ここだ。あのさ、ここまで来ておいてあれだけど、なんて聞けばいいと思う?」


 朱音は中井の無計画さになんて無責任な人だろうと呆れかえる。

 とうとう研究室の前にたどり着いてしまった。


「率直に聞いてみたらどうですかね。最近姿が見えないメンバーがいるんですけど、何かご存じですかって」

「何も知らん。帰れって言われて終わりだよ」

「そんなこと言ったって」


 じゃあどうするんですか。そう言おうとすると、朱音は後ろに何か嫌な気配を感じた。


 後ろに、誰かがいる。


「何も知らん。帰れ」


 重低音の声が心臓にまで響き渡る。背中にサーっと冷や汗が浮かぶのを感じながら、ゆっくりと振り返る。そこにはポロシャツを着たガタイの良い強面の男性が立っていた。

 まばらに白色が混じった髭の剃り残しのせいか、大崎先生よりは数個年上に見える。


 「あ、あの、私たちボランティアサークルのメンバーが心配で来たんです。少しでもいいのでお話聞かせていただけないでしょうか」


 室戸の眉が少しピクリと動くのを朱音は見逃さなかった。


 「休学届はみんなもらってるから」


 室戸は面倒くさそうにそう言い、研究室に入ろうとする。それをすかさず中井が扉の前に立ち妨害する。


 「なんでみんな同じ時期に休学して、連絡も取れないんですかね。おかげでボランティアの人手が足らないんですよ」


 挑発するように嫌味な口調で中井が言うと、さらに室戸の顔は曇る。


 「人手不足はもともとでしょ。頑張って1年生を増やしなさいよ」


 ところどころなまりが残る口調に、慣れない朱音はより圧を感じた。あるいは元々の室戸の性格のせいかもしれないが。


 「室戸先生顔が広いから何でもご存じなのかと思ってました。すいませんでした」

「知らんもんは知らん」


 中井は一通り言い終えると朱音の腕を引っ張る。どうやら撤退する気らしい。


「あ、ありがとうござ――」


 朱音がお礼を言い終えようとすると、鋭い視線を向け室戸は言い放った。


 「でも、あんまり嗅ぎまわらん方がええと思うよ」


 中井は静かにお辞儀をする。それに合わせ朱音もぺこりとお辞儀をした。


 中井はなぜ粘らなかったのか、朱音は少々疑問に思った。


 「数馬先輩、何か掴んだんですか」


 中井は静かに首を振る。


 「分からないね。でも、室戸先生はなんか隠してるよね」


 室戸の何かを知っているような口ぶり、くぎを刺す警告、確かに何も知らないと考える方が不自然な言動であった。


 「でも、室戸先生は知ってても言わないってどういうことなんですかね。事情を知ってるなら教えてくれればいいのに」

 「知られちゃならないからでしょ」


 中井に大真面目な顔でそう言われてしまえば、「そうですね」と返すことしかできない。しかし、あの教授の口を割るのは到底無理だろう。


 外に出ると春とは思えない雨が轟々と降り注いでいた。2限目もそろそろ終わろうとしている。


 「いったん解散かな」

 「そうですね」


 中井と朱音は放課後にサークルで会うことを約束し、各自講義へ向かうことにした。


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