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第20話 人たらしの皇子様

 ポルトに向かう馬車の中で、俺はジョシュア=モンブリー小公爵の話に衝撃をうけていた。



 俺は王太子の地位にありながら、エルス麻薬が国内に持ち込まれていることをまったく知らなかった。帝国から圧力がかかっていることも、戦争の可能性も知らされていなかった。


王国の危機に——

なぜ父上は話してくれなかったのだ——


 ムバラム帝国と戦争になれば、この国はひとたまりもない。


 圧倒的な戦力差と資金力の差。なによりムバラムは何年も侵略戦争を続けている経験がある。戦となれば我が国は半年も経たずして降伏することになるだろう。


 敗戦後には植民地化され、帝国に言われるがまま穀物を搾り取られる日々がやってくる。


 そして、敗戦国の王族はもちろん全員処刑だ。




——くそっ、どうしてこんなことに


 大声で叫びたい気持ちをぐっと堪えて、手の平に血が滲むほど拳を握った。





 ふと、モンブリー公爵の不遜な言葉が脳裏をよぎる。


『——このタイミングで呪術が発動したのは、殿下にとっては僥倖でしたな』


 忌々しいが公爵のいうとおりだった。

 呪術の影響で小さくなって以来、考えさせられることばかりだ。


 王太子として学ぶことに終わりはなく、学業でも手を抜くことは許されず、王族としての公務もある。毎日が慌ただしく流れるように過ぎ去り、俺にはゆっくりと物事を考える時間がなかった。


 こうして、すべての義務から解き放たれて時間を過ごすことなどもう何年もなかったのだ。こうなって初めてわかった。


 俺が何も見ていないことも、耳を塞いで生きていることも。『昼行燈』や『操り人形』と俺を評する重臣たちの憂いも。




 俺は与えられたものを消化するだけで、みずから動くことをしてこなかった。


 それでは、駄目なのだ——

 俺はこの国の王太子だ。それだけでは駄目だったのだ。









 昼前にポルトの街に到着した私達は手早くランチを終えてポルト港へとやってきた。視察の間、殿下にはダリルのバッグに入ってもらうことにする。


 数年ぶりに見る港は記憶にあるより数倍広くなっており、以前は見られなかったような大型船が何隻も停泊していた。


 中でもひときわ豪華な客船がムバラム帝国のものだという。私たちはアスワド殿下が下船してくるのを待っているところだ。


 港には様々な国籍の人々がいた。骨太で色白な北方系や浅黒く細身な南大陸出身者、小柄で黒髪の東方の水夫もいた。



「リリィ」と隣に立っている兄に呼ばれて前方に目をやると、ムバラム帝国の船に動きがあった。


 数人の護衛らしき人物が降りたあと、真っ白なムバラムの礼装をまとった若い男性がタラップを降りてくる。


 説明されなくてもわかった。彼がムバラム帝国の英雄、アスワド第二皇子殿下だ。


 足首までのゆったりとした白い上衣に、金糸で刺繍を施した帯をしめ、左肩に豪奢な布をかけている。浅黒い肌に白い衣裳が映える。


 ゆったりと歩く姿だけで王族の威厳を感じさせる、強者だけがもつ圧倒的な存在感。軍人として功績をあげているアスワド殿下は長身で鍛え上げられた体躯をしていた。


「カスノーク・カッサラー、アスワド殿下」


 兄がムバラム式の礼をとったので、それにならって私も両手を胸にあて膝を折る女性の敬礼をとった。


「カスノーク・カッサラー、アスワド皇子殿下。モンブリー公爵家のリリアンナと申します。ムバラム帝国の第二皇子殿下にお会いできて大変光栄に存じます」


 アスワド殿下は噂に違わぬ美丈夫だった。エルネスト殿下が金髪紫目の正統派美少年だとしたら、アスワド殿下は大人の色気と精悍さを感じさせる漆黒の髪の美青年だった。


「カッサラー・カスノーク。アスワド・ライル・ムバラムだ」と第二皇子殿下が返礼を返した。幸運を祈る彼の国の挨拶だ。


「ジョシュア殿からさんざん聞かされていたが、公女は話に聞いていたよりずっと美しいな」

 殿下が瞳を細めて微笑んだ。



 「リリアンナは美しいだけじゃなく、非常に聡明で心根の優しい公爵家の宝ですよ」と兄様が身内びいきな紹介を始めたので私は慌てて兄様の袖を引いた。

「お兄様っ!」


 アスワド殿下が「はははっ」と真っ白な歯を見せて笑った。笑うと捕食者のようなオーラが消えて親しみやすい雰囲気になる。


「聡明で美しいレディを前にすると、戦場しか知らない田舎者の俺は緊張してしまうな」

 アスワド殿下はまったく緊張していない余裕の表情で言ってのけた。


——大人だわ

帝国の第二皇子で戦争の英雄、そしてこの美貌。女性からの誘いが引きも切らないだろうに


「英雄と名高い第二皇子殿下を前にして、わたくしこそ、大変緊張しております」



「長く戦場にいたので堅苦しいのは苦手なんだ。気楽にアスワドと呼んでくれ」


「光栄です、アスワド殿下。わたくしのことはリリアンナとお呼び下さい。本日は兄と一緒に港湾施設などをご案内させていただきます」と、もう一度膝を折った。


 挨拶がすむと貨物船の停泊するエリアに向かった。貿易を待つ穀物の貯蔵施設や検疫所がある場所だ。


 港湾施設へ向かう一行を取り囲むように護衛がぐるりと配置され、なかなか目立つ大所帯だ。停泊中の船や埠頭で働く者たちが手を止めて何事かと眺めてくる。


 ジョシュア兄様はアスワド殿下の側近と何事かを話しながら先頭に立ち、アスワド殿下は私だけでなく、護衛や従者のダリルにも気さくに声をかけながら歩いた。話しかけられたものは恐縮しながらも、すぐに心酔したような顔になった。


——アスワド殿下には人たらしの才能があるわ




 目くらましの視察とはいえ興味を持ってもらい販路が開拓できれば言うことはない。


 輸出を待つ小麦の倉庫へアスワド殿下を案内して、私はわが領の小麦のセールスポイントを話した。


「アスワド殿下は小麦に発生する赤カビが毒素を出すことをご存知でしょうか。この菌に感染すると小麦自体が毒となるのです」

「ああ、聞いたことはあるな」

「わが領では、この赤カビ病を予防する農薬の開発し、赤カビ病を従来の十分の一にまで減らすことに成功しています――それから――」


 小麦の毒素のことや長期保管時の注意点などについて説明していくと、アスワド殿下は非常に興味津々で突っ込んだ質問をしてくる。


 本当に小麦を買ってくれるのかと期待してしまうほどだ。


 続いて海上輸送の注意点や輸送コストなどを説明すると、殿下は合間に従者に何事かを話しかけ、そのつど従者がメモを取っていた。


——すごく好感触だわ


「リリアンナ、この国の女性は皆これほど領地の産物について熟知しているものなのか」


 アスワド殿下が感心したように言うので、褒めて頂いたようで気恥ずかしい。


「わが国で経済や領地経営について学んでいる女性はほとんどおりません。

 私の場合は、経済に関することは王太子妃教育で、領地に関することは兄から習いました」


「そうか……ムバラムでは女性が男性の仕事に関わることが許されていないから、正直きみの知識に驚いたよ。きみはまだ十七、八歳だろう?」


「十六歳です」


「はあ、末恐ろしいな。ジョシュア殿が自慢の妹だと言う理由がよくわかったよ。リリアンナはものすごく努力したんだな」


 アスワド殿下が優しく微笑んだ。容姿や家門ではなく私の努力を認めてもらえて胸が熱くなった。


「ありがとうございます。何よりも嬉しいお言葉です」


 小麦の貯蔵施設をでると海からの風がいくぶん強まり、海上にウロコのような雲が低く垂れこめているのが見えた。


 アスワド殿下が私につられたように空を見上げて、「雨になりそうだな」と呟いた。




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