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第19話 アスワド殿下の狙い

 ピューイピューイと甲高い鳴き声が聞こえて見上げると、空の高いところで大きな鳥がくるくると円を描くように飛んでいるのがみえた。上空は雲一つない快晴だった。


 早朝の公爵邸は出発を待つ馬車や荷物を積み込む使用人、護衛の騎士たちでごったがえしている。


 リリアンナは視察準備を終えて馬車の脇で出発を待っていた。早朝はまだ肌寒く、薄手の外套が必要なくらいだ。ふるっと寒さに身震いすると、目ざとく気づいたダリルが声をかけてきた。


 「リリアン、馬車の中で座って待とうぜ。殿下だってそのほうが楽でしょ」とダリルが手を差し伸べた。


 ポルトの別邸にも使用人がいるため侍女を連れていく必要はない。だがなぜか従者としてダリルがついた。おそらくお父様から殿下への配慮だろう。


 ぐるっと周りを見回すと、門のそばで王宮から派遣された近衛隊員が数名立ち話をしているのが見えた。ダリルの兄、ハルク兄様の顔もある。


 視察には公爵家の私設騎士団の護衛がつくのだが、他国の王族であるアスワド殿下の為に近衛がつくとのことだった。


 準備にはまだ時間がかかりそうだったので、ダリルの提案どおり先に馬車に乗り込んだ。


 どこに座るべきか一瞬迷ったが、進行方向へ向かって私と兄様、向かいにダリルと荷物だろう。



 私が腰を降ろすと、私と壁の間にできたすき間にダリルがショールを置いて形を整えた。


「殿下がくつろげるように持ってきたんだ。ここに居ればリリアンの影になってジョシュア様からは見えないはずだ」


 殿下はくまの着ぐるみを着ているが兄から見えなければ、体を伸ばしたりしてくつろげるはずだ。


「殿下、暑くなったら合図ください。適当なことを言って馬車止めてもらいます」


「ああ、ありがとう。ただこの体だと暑さ寒さもあまり感じないんだよな。飲食も必要ないしな」


「そうなんすね。食事できないのはもったいないですね。ポルトのカニ料理は絶品なんですよ。カニ味噌とトマト、甘辛スパイシーなソースで煮た巨大カニが最高にうまいんです。俺はそれだけを楽しみについて来ましたからね」


 公爵領のポルト地方は王国の南端に位置しており、四季折々の豊富な魚種の水揚げが自慢の港町だ。


 ダリルに言われて私も楽しみになってくる。カニも楽しみだけれど、久しぶりに甘いポッサムも食べたいわ。


 出発を待つ間、私たちは何を食べたいかで盛り上がった。食べられない殿下はとても悔しそうだった。






 しばらくすると兄様が馬車に乗り込んで、ようやく馬車が石畳の道を動き始めた。


 ポルトまで約三時間の旅だが公爵家の馬車は揺れが少なく快適だ。


 幼い頃は夏になるたびにポルトの別邸へ通っていたが、王太子妃教育が始まってからは訪れる機会がなかった。


「兄様は頻繁にポルトに行かれていますよね。かなり様子が変わっているのでしょうか」

「そうだな。リリィは五,六年ぶりか。それなら随分違って見えると思うよ。大型船が入れるように港を整備したし、貿易で栄えて街も大きくなっている。新興の商会もいくつか入ってきているし、良くも悪くも色んな人種が行き交っているよ」


 私に眼を合わせた兄様は、なんだか含みがあるように言葉を続けた。


「それはそうと、リリィはムバラム帝国のことをどのくらい知っているんだ」


「ええと、ムバラムは国土のほとんどが乾燥した砂漠地帯で食物はあまり育たないけれど、燃料となる鉱石の産出量が豊富なのですよね。その鉱石の輸出のおかげで莫大な資金力を持つ軍事大国です」


「その通りだ。そのうえ好戦的な国で、今も西へ西へと領土を広げている」


「ええ。我が国との間にテラ山脈がなければ、我が国はとうの昔に侵略されて植民地になっていただろうと歴史の教師から聞きました」


 うむと真面目な顔で兄が頷いた。


「アスワド殿下については何か知っているか?」

「ええと、お歳は私より五つほど上で、今は二十一歳くらいですよね。第二皇子で十代の頃から戦場に出ている英雄だと。あとは美丈夫で切れ者だとお父様から聞きました」


「ははっ、確かに彼は見目麗しいな。戦争の英雄だけあって体格も良いし胆力がある。若さと見た目に騙されるなよ。かなり頭の切れる腹黒い人物だと思ったほうがいい」


「はい。肝に命じます。ところで、どうしてポルトの視察なのですか」


 お父様に聞けなかったことを尋ねると、兄様はあごをつかんで眉根を寄せるとブツブツと呟いた。


「うーん。リリィを同行させたのは現状を見せろってことだよなぁ……父上め……」


 兄様のぼやきはところどころしか聞き取れなかった。兄様は覚悟をきめた顔で私をまじまじと見た。


「リリィを危険なことに巻き込みたくないんだが、お前はこの国の王太子の婚約者だからな。知っておいたほうがいいだろう。

 アスワド殿下の視察は、表向きは小麦と鉱石の貿易のためだ。だが本来の目的は密輸ルートの調査なんだ」


 兄の口から唐突に不穏な言葉が飛び出した。


「密輸、ですか」

「ああ、エルス麻薬の密輸だ」

「エルスって、あのエルス戦争のきっかけとなった違法薬物の……?」

「そうだ。南大陸ではそのせいで滅びた国もある、そのエルス麻薬だ。その麻薬がこの北大陸に広まりつつあるんだ。王都ではまだ蔓延していないようだが、港町中心に吸引窟が広まっている」


 私は王太子教育で習ったエルス戦争を思い出し、すっと血が下がるような気持ちがした。


 エルス麻薬は鎮痛剤としても使われるが依存性が非情に高く、中毒者は薬を得るためなら何でもする。


 かつてエルスが蔓延した某国はエルスの密輸入のために銀貨が大量に国外に流出し、国内の銀の高騰をまねいた。経済が混乱するとともに財政難に陥ったのだ。多くの国が持ち込みを固く禁じている薬物なのだ。


「もしかしてムバラム帝国にも広がっているのですか? それで殿下が視察に?」

「ああ、ムバラムにも徐々に広まっているそうだ」


 容赦なく他国へ侵略を繰り返しているムバラム帝国の皇子が、視察の後で王都での夜会に出ると……?


「――ムバラム帝国からの圧力があるのですね」


 私が聞くと兄様がにっこりした。


「さすがリリィは話が早くて助かるな。その通りだ。ムバラム皇帝は我が国に南大陸と通じている者がいると睨んでいる。黒幕を差し出さなければ攻め入る口実を与えることになるだろうな」


 エルス麻薬の産地は南大陸だ。北大陸の全域でエルスは禁止薬物に指定されていて、南大陸からの船はどの国も厳重に警戒している。


 どこかの国が秘密裏に輸入して、北大陸への流通の起点となっているならば、周辺国の怒りを買う。それが我が国だと疑われている?


 声が震えるのをなんとか抑えて問いかけた。


「戦に……なる可能性があるのですか?」


「密輸が続けばな。ムバラム皇帝は好戦的な人物だ。これを口実に戦をしかけて黒幕ごとこの国を潰すだろうな。だが、わが国との間にはテラ山脈があり進軍に陸路は使えない。ムバラムにとっては不慣れな海戦になるし、戦費もかかる。だから戦にしないためにアスワド殿下が来られるんだ」


 ああ、なるほど。

 ようやく腑に落ちた。


――お父様は私ではなく、殿下にこの現状を見せようとしたんだわ


 小さくなった殿下なら視察に同行できる。だから急遽、ポルトに行くように言われたのね。


 それに……婚約者って……

 紹介するだけなら数日後の夜会でも、その後に公爵邸に招待しても良いはずなのに……


「わたしが同行するのは何かの目くらましですか?」


兄が真意が読めない顔でにこりと笑った。


「モンブリー公爵領としては鉱石を優先的に購入する太いパイプが欲しいんだ。ムバラムとの繋ぎができるなら、お前がアスワド殿下と婚姻を結ぶのもありだな。彼はいい男だぞ」とニヤリと笑った。


 計画について話すつもりはないのだろう。そう見えるように皇子を接待しろということだ。


 そして兄様はダリルに目を向けると、いつもより低く響く声でつげる。


「ダリル。父上がなぜお前を従者に指名したのか知らないが、お前は聡いからな。リリィと常に一緒に行動しろ。違和感を見逃すなよ」


「はい」ダリルが真剣な顔で頷いた。


 兄様はポルトで何をするのだろう。危ない事でなければいいのだけれど……


「兄様、どうかお怪我のないようにお気をつけてください」私は兄様の無事を心から祈った。




 いつの間にか馬車は石畳の王都を抜けて、土埃のあがる広い街道にでていた。このあたりは肥沃な黒土の平野で北大陸の穀倉地帯と呼ばれている。


 車窓から眺めていると青々とした小麦畑の上を風がわたっていく。テラ山脈からの雪解け水が大地を潤しているのだろう。この穀物が大陸の食卓を支えているのだ。ここが戦火に焼かれるなんてあってはならない。


 私は私のできる仕事を、アスワド殿下の接待を頑張らなくては。


 それに、兄様までアスワド殿下との結婚をほのめかしていたわ。


 父と兄、二人のお眼鏡にかなうなんて、アスワド皇子殿下はどんな方なのかしら――



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