目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第18話 アスワド皇子は美丈夫だぞ

 ゴーンゴーンと授業の終わりを知らせる鐘が鳴り、教室は帰り支度をする生徒たちのざわめきに包まれた。


 私が婚約の証を突き返して、殿下が小さくなってから六日がたった。殿下の呪いはまだ解けない。


 あの閉じ込め事件の後から、殿下はダリルと一緒に過ごすようになった。今日も朝からダリルと消えて、放課後の今になっても戻ってこない。


 殿下と気負いなく話せるようになるまでに私は何年もかかったのに、ダリルはたった一日で仲良くなった。


 いつもそうだ。ダリルは人の懐に入るのがうまい。自由奔放に振舞っているようで決定的な無礼や相手を怒らせるような言動はしない。そして誰からも愛される。


 学園で氷姫と呼ばれている私とは真逆だった。もしダリルが私の立場だったら、もっとうまく立ち回れたはずだ。


 ふたりで何をしているのかわからないけれど、私も一緒に行きたかった……


 ただ、エルが小さい姿のままでは、私とダリルが二人で授業を抜け出して逢引きしているように見えてしまう。噂を助長してしまうので無理だったのだ。



 もう六日も経ってしまった。

 いったいどうすれば、エルの姿は元に戻るのだろう……






 学園から帰宅するとすぐに、お父様の執務室へ呼ばれた。


 この時間にお父様がいらっしゃるのは珍しい。最近はお父様もジョシュアお兄様も邸内にはいないことが多かったのに……



 私がソファに腰かけ隣に殿下をそっと降ろすと、父が向かいに腰掛けてから殿下に問いかけた。


「当家でお過ごしいただいて、何かご不便はありませんか。殿下」

「ああ、何も問題ない。リリアンナには良くしてもらっている」

 そういって、エルは私を見てにこっと笑ったので、私もエルに微笑み返した。


 それを見たお父様は軽く眉をあげて満足そうにうなずいた。


「いよいよ、明日で七日目だが……殿下、何か呪術が解ける前兆などは感じますか」

「いや、何も」

「そうですか。あれから陛下も調べてくださったようだが解呪の条件はわからないようだ」


「……」殿下が黙ったまま続きを促す。


「四日後の王宮での夜会までに元に戻らない可能性がある、ということだ。殿下の解呪が成れば、当然殿下にお前をエスコートしてもらうが、解呪できなかった場合はジョシュに頼む」


「はい」

「それから、本題はこっちだ」


 お父様がなぜかちらっと殿下に視線を送ったあと、私に向き合った。


「リリアンナ。急ですまないが、明日から学園を休んでジョシュと一緒にポルトへ行ってほしい」


 ポルトというのは我が公爵領の南に位置する港町だ。私は事情が飲み込めないまま返事をした。当主であるお父様の頼みを断るという選択肢は私にはない。


「はい……」


「ムバラム帝国の第二皇子が我が公爵領の視察に来られるんだ。皇子殿下はポルトの貿易港を視察した後、ポルトの別邸で一泊後、王都に移動して夜会に出られる。リリアンナもジョシュを補佐して第二皇子の出迎えと案内をしてほしい」


「はい。かしこまりました」


 他国の王族が来るならもっと早くに予定が決まっていたはずなのに……あまりに突然で訝しく思いながらも答えた。


 すると父がニヤリと口の端をあげて驚きの発言をした。


「その第二皇子だがな、お前の婚約者候補だ。お前が気に入ったなら第二皇子に夜会のエスコートを頼んでもいい。視察の間に皇子の人となりをよく見極めろ」


「は……え、ええっ?」突然のことに声が裏返ってしまった。


 お父様と目を合わせて、ちらっと殿下に目線を送って、もう一度お父様を見る。


 すると、私には甘い顔しか見せない父が、公爵らしい威厳を漂わせて慇懃につげた。


「ああ。殿下にはご自分で使える耳がないからな。聞かせてやるのは純粋な親切心からだ。このタイミングで魔道具が発動したのは僥倖でしたな。殿下」


 殿下は眉根を寄せて鋭い視線で父をとらえたまま言葉を発しなかった。




 険悪な空気に耐えられなくなって、私は一番気になっていることを尋ねた。


「あの、お父様。エルネスト殿下との婚約は解消されることが決まったのですか?」


「まだ未定だ。知ってのとおり、エルネスト殿下との婚約は、王国が後継者問題で荒れないようにするために結ばれた。王弟殿下、側妃様が産んだ第二王子、ご本人達の思惑がどうあれ、それぞれの派閥が神輿として担ぎあげてくるからな。三つ巴の権力争いを避けるために、陛下が頭を下げたからこそ、この婚約は成ったのだ」


 お父様は殿下に聞かせる為に分かり切ったことをあえて話しているのだろうか。この程度なら殿下にだってわかっていると思うのだけれど……


 私は黙って頷いた。


「だが、陛下はいつまで経っても愚かな王妃様を抑えることができない」


 父の声には苛立ちが混じっていた。


「……殿下のための後ろ盾だというのに、王妃様はいまだにこの婚約に不満を持っている。あわよくば子飼いの令嬢と婚約者をすげ替えようと画策している」


 父はあごを擦りながら苦々しく言葉をこぼす。


「殿下の前で口にするのはどうかと思うがな、あれは愚かな女だ。自分のことしか考えておらん。国の政治どころか息子のことすら考えているのかわからん」


 父は殿下の母親である王妃様をあけすけに批判した。私は殿下がどんな気持ちでこれを聞いているのかと心配になる。


 ちらっと横目で殿下の様子をうかがうと殿下は無表情で口を堅く結んで耳を傾けていた。


「あれが王宮にのさばっている限り、リリアンナに安息はないだろう。結婚するまでは婚約者の座を引きずり降ろそうと画策し、成婚すれば子ができぬ薬を盛られ、側妃を取れと言うだろう……」


 父がここまではっきり言うからには、王妃様側に何か具体的な動きがあったのだろう。先日の閉じ込め事件もやはり王妃様なのだろうか……


 そして父は、殿下を見据えて断言した。


「私は王家の為に娘を犠牲にするつもりはない」と――


 膝においた手が小さく震えた。貴族なら政略結婚は当然だ。王家と縁をつなぐことは公爵家の益になるはず。貴族の義務として受け入れるしかないと思っていた。


 それなのに、父は親として娘の幸せを願ってくれている……


「お父様……」目の奥がぎゅっと痛くなる。


「時勢は常に動いているのだ。アスワド皇子は切れ者と有名でしかも中々の美丈夫だぞ」


 お父様がまるで楽しんでいるかのようにニヤリと笑うと、視界のすみで殿下がぎゅっと身を固くするのがわかった。


「従者にダリルをつけてやる。気をつけて行っておいで」





この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?