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第12話 捨てないでくれ

 校舎を出るとあたりは夕闇に沈んでいた。建物や木々は黒い輪郭しか見えず、空には一番星がきらめいていた。西の地平にかすかにオレンジの光が残滓のように残っていた。



 私たちはいま、ダリルが呼んでくれた馬車で公爵邸へと向かっているところだ。馬車の中では、私の隣に殿下がちょこんと腰を降ろし、向かいの座席にダリルが座っている。


 殿下の姿を眺めながらダリルがにこにこと言う。


「その姿まじで可愛いっすね」


 もう何度目だろう。可愛いと連発されて殿下はむすっと不機嫌な顔をしている。


「ねえダリル。さすがに不敬じゃない? 中身はエルネスト王太子殿下なのよ」


「いやわかっているけどさ、リリアンだってこの姿見ているとなでくり回したい気持ちになるだろ。俺だってそこはわきまえて我慢しているんだぞ」


 否定できずに目が泳いだ私に、『ほらなー』となぜかダリルが自慢げだ。


――こほん


ちっちゃい殿下は咳払いまで可愛い。


「おい、ダリル。お前この状況を飲み込むのが早すぎやしないか」


「いえ、驚いたのは驚いたんですが、実際目の前で見ておりますので。私は自分で見たものは信じます。殿下」


 ダリルは幾分、言葉遣いを正した。


「公式の場でもないんだから砕けた口調でも構わないぞ」


 殿下がフンと鼻を鳴らして言うと、とたんにダリルが調子づいた。


「ありがとうございますっ。じゃあ、殿下の頭をなでてもいいですか?」

「それは駄目だ」

「ちぇっ。残念です。それでは、質問をしてもいいですか?」

「ああ、なんだ」


「魔道具の力で殿下が小さくなったこと、リリアンから聞きました。ですが、どうしてリリアンナと一緒に行動しているのですか? 元に戻るまで王宮でじっとしていたほうが安全じゃないですか」


「ああ、それなんだが、たまに引力みたいなものが発動して離れられなくなるんだ」


「引力ですか?」

 イメージがつかめないらしくダリルの顔に疑問符が浮かんでいる。


 すると殿下が私に向かって尋ねてきた。


「リリアンナは引力の発動条件が何かわかったか?」

「いいえ、わかりません」

「いろいろ考えてみたが、引力はリリアンナが俺を心から拒絶したときに起きるんじゃないか?」


 言われてみて引力が発動したときの状況を思い起こしてみた。

 それに昨夜二人で試したときには、同じ言葉を発しても、同じ心境ではなかったようにおもう。


「確かに……」


 だとしたらこの呪いは……ふと、何かが閃きそうだったが殿下の声で思考が途切れた。


「試しに俺のことを『嫌い』とか『離れろ』とかなんか言ってみろ。言葉だけじゃなく本気で心から拒絶しないとだめだ」


本気で、心から……


「不敬とか言わないでくださいね。それでは……」


 私はぐっと目を閉じてこれまでの婚約期間を思い浮かべた。辛かったこと、悲しかったこと、そして最後に呪いが発動した日のこと。


 十分に思い出したあと、殿下の顔をじっと見て叫んだ。


「殿下なんか大っ嫌いです。近づかないで。離れてくださいっ」


 殿下がちょっと拗ねたような顔をしたけれど――何も起こらなかった。


 見ていたダリルがすかさず口を挟む。


「おい、リリアン。お前、今ぜんっぜん離れて欲しいって思ってないだろ。可愛い姿を見ながらじゃ無理があるんじゃないのか」


「うぅ、確かに。この姿だと以前の殿下とは別人としか思えないわ」


「まあ、ふつうの神経してたらこんな可愛い殿下に暴言なんて吐けないよな……。そうだ、先に殿下がリリアンを怒らせるようなことを言ってみるのはどうですか」


「そうだな……」


 うーんと唸って少し考えた後、ちっちゃい殿下がビシッと私を指さした。


「なんで、お前は俺にだけ冷たいんだ。お前みたいなツンケンした女は嫌いだ!」


「ううっ。小さい殿下に言われると怒るというより……なんだか悲しいです。いつもの殿下なら何でもないんですが……」


 私は胸を押さえてよろめいた。


「おい。いつもの俺なら気にならないのかよ」


 殿下がブツブツいいながら、あごを擦って考え込んだ。


「拒絶か……拒絶……」


 殿下はしばらく考えて、ぽつりと呟いた。


「あー、そうだな。じゃあ違う方向性でいくことにするか」


 殿下が再びこほんと咳払いして叫んだ。




「リリアンナの胸に埋まりたい!」




 一瞬、車内がしんとなった。


 言葉の意味を頭で理解したとたん……「うわあぁ」と叫びながら殿下が私の胸に飛びこんできた。


 引力でぼよんと胸に着地して、ぎゅうぎゅう埋まる殿下。


「きゃあああ」と私は馬車の中で半立ちになって喚いた。


「ダリル。取って。この変態取って! はやく!」


 ダリルがぱっと立ち上がり、べりりっと殿下を引き離してくれたので、私はそのまま馬車の窓をスパンと開けて外を指さして叫んだ。


「ダリル! その変態を今すぐ投げ捨てて!」


「待て! まてまてまて! おい、捨てるな。捨てるんじゃない」


 殿下が必死にダリルの手に縋りついた。


 両手をじたばたしながら喚く殿下。じろっと冷たい目の私。


 ダリルは私をちらっと見た後、可哀想な子を見る目で殿下を見た。


「やめろ。違う。今のは実験だろ。まて。ダリルまで、なんでそんな目をしてるんだ。落ち着け。ほんとに待てって」


――しばらく三人で見つめあった後、私は殿下をじろりと睨んで、すとんと腰をおろした。


 ダリルも殿下を手に握ったまま腰を下ろし、殿下にひそひそと話しかけている。


「殿下、いまのは失言ですよ。さすがに俺もフォローできません」

「いやいやいや、話の流れを覚えてないのか。明らかに実験だろ。本心じゃないのはわかるだろっ」

「いやあ、だって、実際に胸に埋まりにいきましたからね……」

「だからっ。それが『引力』だから」

「はあ? これが? マジですか。『引力』ってこんなラッキースケベみたいなのなんすか?」


 ダリルまで馬鹿なことを言うので、私は二人まとめてぎろりと睨んでやった。




「ええっと……」


 睨まれたダリルが、殿下をそっと隣に座らせて居住まいを正して口を開いた。


「……なるほど。わかりました。遠方にいるときに『引力』が発動すると危険だから、二人で一緒にいるってことですね」


「それもあるが、発動した二人が一緒にいなければ解呪できないらしいんだ」


「ふーん」

わかったようなわからないような顔でダリルが答えた。




 馬車が大きく揺れて見覚えのある橋を渡ったことに気づいた。すぐに公爵邸に到着するだろう。道沿いの街灯に明かりがともり、あたりはすっかり暗くなっている。


 殿下がちらっと外をみて、真面目な顔でダリルに向き合った。


「今回の件、バシュレイ子爵家からすれば、寄り親である公爵家に関連する事件だ。お前の立場では報告しないわけにはいかないだろう。真相究明のためにも話すなとは言えない。だから俺のことを隠して、なんとか扉が開いたことにしろ」


「はい。そのように報告します」


 ダリルが神妙な顔をして答えた。



「ダリル……今日は巻き込んでごめんなさい。でも、ダリルがいてくれて心強かった。ありがとう」


 あの場にダリルがいなかったらどうなっていたか。演武場の脇で彼に出会えたのは幸運だったわ。


「わかってるだろ。俺は巻き込まれたなんて思ってない」


 ダリルはなんでもないように言ってくれる。あんな決意をするほど私のことを助けてくれたのに。




 馬車がゆるゆると速度を落として、公爵邸に入ってゆく。窓からのぞくと明かりを灯したポーチで執事と使用人たちが心配気に待っているのが見えた。



 公爵邸に入ったことに気づいたダリルが真剣な顔をして殿下に頭を下げた。


「殿下、本日は御身の危険を顧みず我々を助けて頂き、心から感謝しております。殿下の機転がなければ、私たち二人の醜聞は避けられませんでした。本当にありがとうございました」


 狭い馬車の中で膝をつくことはできないが、王族への礼儀を弁えた態度だった。


 ダリルに応えて殿下は鷹揚に頷いた。


「ダリル。のっぴきならない状況でお前に明かすことになったが、これは王家の秘密だ。絶対に誰にも話すんじゃないぞ」


「はい。誓って口外することは致しません」


 ダリルは神妙な顔をすると右手で拳をつくり胸に当てた。心臓の誓いの真似事だった。ダリルなりに殿下に恩義を感じているのだろう。


「殿下、私に何か手助けできることがあれば遠慮なくおっしゃってください。助けていただいた恩もありますが、それとは別に俺は殿下のことが好きになりましたよ」


そう言ってダリルは帰っていった。



――やっと長い一日が終わった。


 殿下を連れて初めて学園へ行き、奪われた殿下を探して学園中を走りまわり、最後には備品室に閉じ込められた。私はもう心身ともにへとへとだった。


 疲れた体を引きずるように部屋へ戻ろうとする私に、執事がおずおずと手紙を差し出してきた。


「リリアンナお嬢様、お疲れのところ心苦しいのですが、こちらはすぐにお返事しなければなりません」


――恐縮しながら執事から手渡されたものは、王妃様からの呼び出し状だった


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