中庭にあるガゼボでビビと昼食をとった後、ビビが図書館に用があるというので、教室に戻る途中でビビと別れた。
ひとりで渡り廊下を歩いていると、前方からイザベラ嬢とそのご友人たちが前から歩いてくるのが見えた。
――ああ、今日は厄日だわ
伯爵令嬢のイザベラ様は王妃様の遠縁にあたり、エルネスト殿下の遊び相手として幼い頃から王宮に出入りしていたらしい。
殿下とは大変仲が良いようで、学園でも一緒に過ごす姿を度々みかけた。エルネスト殿下と婚約したことで、私は彼女に目の敵にされている。
出会ってしまっては仕方ない。私は殿下の頭をぎゅっと押さえてポケットに隠すと、腹をくくって対峙した。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。リリアンナ様」
軽く会釈をして通り過ぎようとしたが、案の定取り巻きのご令嬢たちに引き留められた。
「リリアンナ様、お待ち下さい」
取り巻き三人とイザベラ様に囲まれてさっと逃げ出すことができない。
「噂をお聞きしましたわ」
「リリアンナ様には親密な恋人がいらっしゃるそうですね」
「氷姫が恋をしていると話題になっていますわ」
彼女たちが公爵令嬢の私にこのような態度をとれるのは、イザベラ嬢が後ろについているからだ。そしてイザベラ嬢の後ろには王妃様がいる。
「どこで、お聞きになったか知りませんが、根も葉もない噂です」私には否定するしかできない。
ご令嬢のひとりが、険しい目つきでこちらを睨みつけながら距離を詰めてくる。
「噂にしては随分と広く知られたお話みたいですけれど」
「エルネスト殿下のような素晴らしい婚約者がいながら不貞を働くなんて最低ですわ」
「リリアンナ様が殿下を嫌って避け続けているのは事実ですもの。他に恋人がいたのなら、殿下を無下にしていたのも納得できますわね」
「バシュレイ子爵家のご令息と懇意にしていらっしゃるのでしょう」
最後のせりふに私はピクッとした。従兄のダリルと恋仲という噂になっているのか……彼はただの幼なじみなのに。
「あら、本当にダリル・バシュレイ様がお相手なのね」私の表情にめざとく気づいた令嬢の顔に、意地の悪い笑みが浮かぶ。
「わたくしに恋人はおりませんし、殿下を嫌ってはおりません」きっぱり否定しておかないと、後々面倒なことになる。
イザベラ様が甲高い声で詰め寄ってきた。
「リリアンナ様のその態度で嫌っていないとおっしゃるのですか? 貴方は殿下が話しかけても最低限の返事しかしない、ニコリとも笑わない! 自分から話しかけることもないではないですか!」
彼女の言うことは事実だし、傍からみたら私は最低な婚約者だ。殿下を慕っている彼女たちからしたら、私の態度は許せないだろう。
「恋人がいらっしゃるなら婚約者を辞退すればよいのです。公爵家ならできるでしょう!」
「あなたのような冷たい女が婚約者だなんて殿下がお可哀想だわ!」
「不貞を働くようなふしだらな女性を王家が認めるわけがないわ」
「私たちは、エルネスト殿下に幸せになって頂きたいのです!あなたは殿下が嫌いなのでしょう?」
「嫌っているわけではありません」言質をとられて王妃様に告げ口されてはかなわないので、そこだけは否定する。
それを聞いてイザベラ様のまとう空気がさっと変わった。普段は甲高い声のイザベラ様が、不釣り合いなほど低く、地を這うような声で言葉を発した。
「――嫌いじゃない。嫌うほどの興味すらないと言いたいのですか」
両手でハンカチをぎりぎり握りしめながら、ねめつけるようにして憎悪のこもった目を向けてくる。
イザベラ様が私に一歩近づき、低く静かな声で言葉を継ぐ。彼女の視線から『私を傷つけてやりたい』という強い意思を感じた。
「リリアンナ様は、想像したことがありますか。殿下と結婚した後の生活を……。あなたは、殿下の寵愛を得られないわ。今と同じで、いないものとして扱われるの。王妃様はあなたを嫌っているもの。子ができなければすぐに側妃を迎えるでしょうね」
ここまで侮辱されても頑なに表情を変えない私を、イザベラ様が忌々し気に睨む。
「殿下が側妃様とお子様たちに恵まれ仲睦まじく過ごすのを、あなたは一人きりで見ることになるのよ」
私は絶対零度の凍える目で、イザベラ様の怒りに燃える目を見つめた。
「リリアンナ様はそんな人生を望んでいるのかしら。私からしたら地獄にみえるわ」
――そんなこと、他の誰に言われるまでもなく、私が一番わかっているわ
胸の中に氷の塊が詰め込まれたようで心が冷えて苦しかった。これ以上聞きたくなくて、私はご令嬢たちをぐるっと見渡して言った。
「この婚約は王命です。ご意見があるなら陛下に進言していただけますか。午後の授業が始まりますので失礼します」
まだなにやら騒いでいるご令嬢の脇をすり抜けて、私は渡り廊下を後にした。
私が望んだわけじゃない。断れるものなら、とっくに断っている。殿下と婚約してから他人の悪意ばかりを浴びる。こんなの誰も幸せになれない。
ドロドロした気持ちが顔にでないように奥歯をぎゅっと噛みしめて足早に教室を目指した。
突然、ポケットの中から「おい」と殿下が呼ぶ声がした。
無視していると「おい、リリアンナ」と大きな声で呼ばれる。慌てて、まわりをさっと見渡し、ひと気がないことを確認した。
「殿下、周りに誰かいたらどうするんですか!」
「いないことがわかったから話しかけてるんだ。お前、なぜ言い返さないで我慢してるんだ。お前らしくないだろ」
――私らしくない?
殿下がいったい私の何を知っているというの。
できるなら私だって反論したい。だがイザベラ様に話したことは王妃様に筒抜けだ。何か言えばあとで数倍も責められるに決まっている。
あの日の殿下に対する発言は、何年も抑え込んだうっ憤が爆発したからだ。
私が、どれだけのことを我慢して飲み込んでいるのか、何も知らないくせに殿下は勝手なことばかり……
私は激情がこぼれてしまわないように、ぐっと拳を握りしめるとなんとか声を絞り出した。
「――――関わりたくないのです」(イザベラ様にもあなたにも……)という言葉はかろうじて飲み込んだ。