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第6話 リリアンナの素顔

 リリアンナと一緒にいる間、煩悩に負けて不埒な行いをしないぞと決心した俺だったが、結論から言うと、その心配は杞憂だった――




 その日の夕刻、国王陛下からの贈り物が公爵邸に続々と運び込まれたのだ。


 大きな三階建てのドールハウス。俺と同じサイズのお人形とぬいぐるみ、着せ替えの洋服。本物と見まごうようなミニチュアの家具。


 俺はソファの上で被り物をわずかにずらして、リリアンナと侍女がきゃっきゃと笑いながら贈り物を開封するのを冷めた目で眺めていた。


「お嬢様、こっちはテーブルとイスでしたよ。素晴らしいですね。こんなに小さいのに側面に飾り彫りまで入っていますよ」


「まあ、アリス見て。こっちには可愛らしい食器がたくさん。わぁ、本物の陶器でできてるわ。お人形たちのお茶会ができるわね」


「着せ替えのお洋服もこんなにたくさん。お嬢様、上流社会では今こういうのが流行っているのですか」


「さぁ、わからないわ。他国の王族からのお祝いと聞いたのだけれど」リリアンナが適当にごまかした。


「お嬢様、この家具をドールハウスに設置してよいですか」


「いえ、待って。私が自分でやるわ。どこに置くか考えるのも楽しいもの。二階にテーブル置くわね。アリス、お茶セットとってくれる? 寝室はここにするわ。ベッドをこっちへ置いて――」


 リリアンナの声が常にないほど弾んでいる。いつもの冷たい淑女面はどこへいったんだ。ずいぶん楽しそうだ。


 俺はなんとも言えない気持ちでドールハウスを眺めた。


――そこにはベッドがあった


 父上、俺はいまあなたに感謝すれば良いのか悪態をつくべきかわかりません。


 とにかく俺の理性に対する心配は杞憂だった。俺サイズのベッドがやってきたのでね。



 最後の箱を開封しおえた侍女は、包み紙や贈り物が入っていた箱を手早くまとめると、すべてをワゴンに乗せて部屋を出て行った。


 俺はくまの被り物をさっとずらして顔を出すと、ソファから飛び降りた。


「おい、ずいぶん楽しそうだな」


 リリアンナがびくっと肩を揺らした。もしかして、いままで俺がいることを忘れてたのか……


 ゆっくり振り返った彼女は、頬を桃色に染めて照れたような気まずそうな顔をしていた。


――こんな顔もできるのか


 俺にはいつもツンケンした表情ばかり見せているくせに。


「あ、あの、殿下。これは殿下に着せるために洋服つきのお人形を贈ってくださったのだと思うのです」


 男の子の人形の洋服を脱がせながら、リリアンナがごまかすように早口で言う。


「まあっ下着も履いているわ。さすが陛下だわ。あの私はむこうを向いてますので、これ着られるか試してください」と、パンツを渡された。


 女性の前で何が悲しくてお人形のパンツを履かなければいけないのか。まあパンツがなくてナニか落ち着かなかったから履くけどな。


 紐で縛るタイプの手の込んだ下着は問題なく着ることができた。父上があの場で俺をなでくりまわしていたのはこの為か。サイズがぴったりだ。


「着られました? じゃあこのお洋服どうですか。それとも、こっちのシャツとズボンがお好みですか。お手伝いします!」


 リリアンナが人形の服をどんどん出していく。


「あ、くまちゃんの着ぐるみがありましたよ。これ、目のところがガラスになっています。きっと被ったまま外が見えますよ」


 サイズを確認するといいながら、とっかえひっかえ服を着せては「か、かわいい……」とリリアンナが悶える。


「おい、お前。遊んでないか……?」


 いぶかしげに尋ねると、リリアンナはやけに早口で答えた。


「そ、そんなことありませんわ。その小さい手ではお着替えがむつかしいかと思っただけですわ」


 あれもこれもと何度も着せ替えられた。最後まで付き合ってやったのは、あまりにリリアンナが楽しそうで、もう止めろと言いづらかったからだ。


 くたくたになった頃、侍女がお茶を運んできてやっと俺は解放された。


「お嬢様、ずいぶん楽しそうですね。お嬢様は昔から小さくて可愛らしいものが大好きでしたものね」


 お茶の準備をしている侍女も嬉しそうだった。


「私、こういうドールハウスを持つのが夢だったの」


 ほんのり上気した頬で柔らかい笑みを浮かべるリリアンナ。


「お嬢様は王太子妃教育が始まってから子供らしい遊びとは無縁でしたからね」


 侍女のその言葉を聞いて、俺は石を飲み込んだような重苦しい気持ちになった……





 ――その日の受難は、これだけでは終わらなかった。


 侍女に何事かを頼んだリリアンナは、しばらくすると腕まくりをして手をワキワキしながら俺のもとにやってきた。


「殿下。お風呂の準備ができました。お手伝いします」とにっこり。


「はあ?」


 公爵令嬢が王太子を風呂に入れる? 冗談だろうという目で睨んでやったが、敵は本気だった。


「今のお姿は仮の器なのでしょう。本来の体とは違う入れ物。でしたら問題ありません! わたくし、ばっちりお風呂のお手伝いをいたします」


 目がキラッキラしているし、手はワキワキしている。


「おい、手をワキワキするのはやめろ」


「ね、いっしょにお風呂、入りましょう。殿下」


 ぐふっ

 猫なで声で小首をかしげてきやがった。俺の男心がぎゅぎゅんと動いた。


「おおおおまえっ。年頃の男子になんてこと言うんだっ」


 抵抗したものの結局俺はパンツひとつを身に着けて風呂場に連行されたのだった。


 浴室にはお人形サイズの猫足のバスタブが置いてあった。すでに湯が張ってあり、香油のさわやかな香りが漂いほわほわと湯気があがっている。


 いつもはこの浴室でリリアンナが……と何かが浮かびかけたので頭をブンブン振って追い出した。


 ワキワキした手の動きは髪の毛を洗うジェスチャーだったらしい。リリアンナが石鹸をふわふわに泡立てて俺の頭を洗ってくれた。愛おしむような優しい手つきだった。


「殿下、手をかしてください。ふふ、ちっちゃい手ですね。はい。次は反対で」


 石鹸をつけた柔らかい布でリリアンナに洗ってもらう。背中を流してもらった後「前のほうはご自分でお願いします」と照れ顔で言われた。不覚ながら氷姫の照れ顔にきゅんときた。


 本当に誰だこれは。公爵邸で見るリリアンナは、いつもとは別人だった。


 体を洗い終えた俺は、リリアンナに言われるがままバスタブに浸かり浴槽のふちに頭をもたせかけた。爽やかなハーブの香油を手に取った彼女がゆっくりとした動作で俺の頭をマッサージしていく。


 不覚にも「はあぁぁ」と気持ちいい声がでた。


「気持ちいいですか。殿下」と嬉しそうに聞かれたので「ああ。ありがとう」といつになく素直に返した。


 はあああ。なんだろうこれ。控えめに言って最高だ。

父上が言った『危険な呪いじゃない』という言葉に半信半疑だったが、今では俺も信じはじめた。これは確かに危険な呪いではないかもな。


 風呂上がりにはお人形のパジャマを着て、リリアンナに髪を乾かしてもらった。


「公爵令嬢にこんなことさせてすまない」

「いいんです。楽しんでいますから」


 リリアンナに自然な笑顔を向けられてまた胸がきゅっと痛くなった。一瞬また引力かと身構えたが、どうやら違ったらしい。




 寝る前に二人で引力について検証した。距離や言葉、あの時の状況を再現してみたが、その日は引力が発生することはなく、発動条件はまったくわからなかった。




 その日の夜、俺はドールハウスのベッドで朝までぐっすり眠ったのだった。


――くそっ、何か損した気がするのはどうしてだ


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