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第3話 公爵邸でのふたり

 公爵邸に戻った私は、さっそく執事に伝言を頼んだ。


「お父様が戻られたら大事な話があるので今日中にお時間を頂きたいと伝えてもらえる?何時になっても構わないわ。大事なことなの」





 私室へ戻って着替えをすませ、侍女がお茶をいれて部屋を出て行くのを見届けてから、ようやく殿下に声をかけた。


「殿下、大変お待たせして申し訳ありません」


 鞄の中に手を差し伸べて殿下をそっとソファに運ぶ。馬車の中ではブツブツと悪態をついていた殿下だったが、先ほどよりは落ち着いた様子だった。


 落ち着いたというよりは、落ち込んでいるのかもしれないわ……

 しょんぼりしている姿は幼児にしか見えなくて可哀想になってしまった。


「殿下、まずはお茶を飲んで落ち着きましょう」


 殿下をテーブルの上に移した後、私は侍女がいれてくれた紅茶を小さなミルクピッチャーに少し注いで、殿下にそっと手渡す。お茶を飲んで気がまぎれるといいのだけれど……


 殿下はそろそろと器を持ち上げて口に運んだが、首を傾げてテーブルに戻した。


「お口に合いませんでしたか?」


 殿下は腑に落ちないような顔で首を傾げて「なぜかわからないが、飲みたいとか食べたいという欲求がまったくない。これも呪いのせいなのか……」としょんぼりした。


 食べたり飲んだりしなくて大丈夫なのだろうか。私だけお茶を飲んで申し訳なく思った。




「そういえば、殿下。父に会うにも王宮へ行くにも、さすがにその恰好はまずいですよね……」


 小さい殿下は裸にハンカチをぐるぐる巻きつけた状態だ。ずるずる布を引きずっているし、裾を踏んづけて何度も転びそうになっていた。


「そう、だよな」

「服をなんとかしましょうか」




 一から服を作る時間はない。何かで代用できないかとと考えて、思いついたのはぬいぐるみの改造だった。


 くまのぬいぐるみの首回りの糸をほどいて、中綿を丁寧に取り出し、ほつれた布のふちを丁寧に糸でかがる。


 嬉々としてぬいぐるみを改造する私を、殿下がなんともいえない顔で眺めていた。


「お前は裁縫が好きなのか」


「ええと、まあ嫌いではないです……」


 小さい殿下に着ぐるみを着せたら絶対に可愛いだろうという邪なよこしま考えが多少あるため嘘をついているようで後ろめたい。


 ぬいぐるみの中に指をいれて内部を確認する。内側も丁寧な縫製でちくちくしないし、これなら大丈夫そうだわ。


 殿下は完成した着ぐるみを見て渋っていたが、「裸のままでは困ります!」と説得して着てもらうことに成功した。


 なんということでしょう……


 想像していたとおり、いいえ想像以上に動くぬいぐるみは愛らしかった。


「あの、動きづらかったり、暑かったりしませんか」


 ぽてぽてぽて。

 手のひらサイズのくまちゃんが動く。


 殿下は腕をくるんくるんと回して、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。


「ん。動きは大丈夫そうだな」


「あの、殿下。帽子っ。その頭の部分もかぶってみてください。移動のときは顔も隠したほうがいいです」興奮して声がうわずってしまう。


 ぬいぐるみの頭の部分をすっぽりかぶれば、完全に小さいぬいぐるみだ。


 あぁっ、可愛いすぎるわ。


「これを着ていれば誰にも正体がわかりません。とりあえず陛下とお会いできるまで、これで移動しましょう」


「はあぁ、仕方ないな」殿下が渋々と頷く。


 私は針仕事で凝り固まった体をぐうっと伸ばすと、手元のお道具を片づけた。



 この日に限って父はなかなか帰宅せず、夕食は自室に運んでもらって食べた。


 殿下と分け合って食べようとしたのだが、殿下の体は食事を受け付けなかった。空腹も感じないのかしら? 


いったい体はどういう状態なのだろう……





 お父様は夜遅くにようやく公爵邸に戻ってきた。


 殿下が姿を現すと、お父様は一瞬だけ驚いた顔をしたが、経緯を説明するとすぐに事態を飲み込んでテキパキと対応してくださった。


 お父様によると、さすがにこの時間から陛下への謁見はできないので、朝一番で謁見できるよう依頼するとのこと。


「では私は陛下に手紙を書くから、リリアンナは殿下に失礼のないようにお世話しなさい」


「ええっ? 私がお世話をするのですか?」


 驚いて聞き返した私に、お父様が疲れた様子をみせる。


「仕方ないだろう。使用人に姿をみせられないのだぞ。事情を知っているのは、私とお前だけだ」


 確かに、こんなに夜遅くまで働いてきたお父様に殿下のお世話をお任せするわけにはいかないわ。


「で、でも。婚約者といえど婚前の男女が同室で夜を過ごすなんて……」


「このサイズの殿下と何があろうはずもないだろう。とにかく、他に方法がないんだ。明日までの辛抱だ。夜も遅いしもう休みなさい」


 反論できるはずもなく、ぬいぐるみのように殿下を抱えてお父様の執務室を出た。


 自室に戻るころには、すっかり夜も更けて私は疲れきっていた。いつもの就寝時間をとうに過ぎている。おそらく殿下もそうなのだろう。さっきから黙り込んでいる。


 就寝の支度を手伝う侍女が待ちかまえていたので、そっと殿下をベッドの上に降ろすと壁を向いて転がした。ぬいぐるみのふりをした殿下は身動きできないはずなので、着替えを見られることもないだろう。


 湯あみをして髪を整えてもらいつつ、殿下の寝床をさがして部屋を見まわす。


――どうしたらいいのだろう


 殿下とふたりでベッドに寝るなんて論外だわ。机と椅子。ソファセット。衣裳部屋に隔離したら怒るわよね。ああもう疲れすぎて頭がまわらないわ。


 侍女が下がってから、殿下にそっと声をかけた。


「殿下、殿下」

 小さくゆすると殿下がウーンと寝返りをうった。


 くまのぬいぐるみを着たまま、小さい殿下はあどけない顔ですぴすぴと寝息をたてている。


 突然の事態に心労もあるだろうが、この体は疲れやすいのかもしれない。無理に起こしたとして、どこへ移動させればいいのか……


 ――ああ、今日はもう無理だわ


 思考がまとまらない私は泥のように疲れた体をベッドに滑り込ませた。


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