聖都への街道を進み続ける僕達とポルコさんの馬車がダールバーグの街に辿り着いたのは、日が暮れてすぐのことだった。
あの湖でのシズクとの再会から、同じ馬車に乗ったサヤの機嫌をなだめるのはとても苦労した……。
精霊と人の間に恋愛は成立しない。想いを交わすことは出来ても何かを遺すことは出来ないし、悠久の時を生きる精霊にしてみれば人の一生はあまりにも短い。
その現実を早くシズクに伝えなさいとサヤは言うけれど、今のあの様子のシズクにそれと伝えて、暴走したりしないか不安で機会を見極めているんだと説明すると、ようやく機嫌を直してくれたのだった。
僕も何も考えてないわけじゃないんだ。僕なりにシズクを傷つけない言い方を考えている。
まあ、圧倒的経験不足のおかげで解決の糸口すらも見い出せないでいるのだが…………。我ながら不甲斐ない。
そんな悩みを抱えながらも、ダールバーグの門をくぐり今日の宿を目指した。
ここはエルヴァイナ程ではないにしろ大きな街で、各お店はもちろん冒険者ギルドも備わっているようだ。
だけどここには長居はしない。
今日はもう日暮れなので宿で休み、明日マリスハイムまでの最後の支度を整え次第出発することになった。
ここがどんな街なのか、どんな人達が暮らしているのか気になるけれど、それはまた平和になった時ゆっくり見て回れたらいいと思う。
――その夜のこと。
僕達は宿で部屋を借り、早々に床に着くことにした。
しかし、僕はどうにも寝付けずに、自分に眠れと念じるもその甲斐なく目は冴えていく一方だった。
同室のラシードとポルコさんはぐっすり眠っていて、この部屋には彼らの寝息のみが響いていた。
僕は目を瞑って眠れと念じることを諦めて、ただぼんやりと天井を眺めて自然と眠くなるのを待つことにした。
天井を見つめながら、今までの出来事を思い出していた。
故郷であるアズマの村の悲劇から始まり、多くの犠牲のもとに僕は生かされた。
失意と絶望の渦の中にあった僕は、初めて何かを憎いという感情を抱いた。だがその絡まる糸のように縺れた憎悪の心は、人の温かさに触れて少しずつ解けていった。
僕を救ってくれたのは忘れるはずもない、ヘッケルの村のカタロさんとマルタさん。そしてカインズさんだ。もし彼らに出会わなければ、僕は今どういう気持ちで旅をしていただろう。
目を閉じると、お世話になった人達の顔が浮かんでは消えていく。
皆優しい表情を僕に向けていた。
ヘッケル村の皆、ボリージャで出会った人達、グラド自治領のアル爺さんやジークさん達。そしてチギリ師匠……。
僕という存在は沢山の人達との出会いによって支えられているんだ。
そして瞑目した闇の中にサヤ、ウィニ、ラシードという頼りになる仲間達の顔が浮かびあがる。
この仲間達とならばきっとどんな困難だって乗り越えていけると信じてる。
心に張り詰めた緊張の糸がゆっくりと解けていく……。もうすぐ手掛かりを得られるということに、知らず知らずのうちに負担になってしまっていたのだと気付いた。それが不眠の原因だったのだ。
その不安は霧散し今は驚くほどに心が凪いでいる。
実際に顔を合わせずともこうして僕を安心させてくれる。これからも人との出会いを大切にしていこう…………。
そう落ち着いた時、目前の優しい闇が僕を安らかな眠りへと誘っていった。
そして夜が明けて新しい一日が始まる。
食糧はこの先の集落でも調達できるそうだけど、道具などはここでしっかりと準備して、マリスハイムまでの残り一週間の道のりに備えることにした。
そして支度を済ませた僕達は、ダールバーグの門をくぐり街道へと馬を走らせる。
ダールバーグにはほんの僅かな間の滞在だったけど、次はもっといろいろ見て回りたいな。
そんな名残を心の箱にしまい、そっと蓋をして先を急いだ。
聖都マリスハイムまでは残り一週間程の距離まで迫っている。
花の都ボリージャから、本当に遠くまできたものだとつい感慨深く物思いに耽ってしまう。
こんな様子をサヤに見られたらまたジジ臭いとか言われそうだ。
ダールバーグを発ち半日が過ぎた。
最近は魔物との遭遇も散発的に発生していたが、手強い相手に出くわす事は無くなっていて、少し気が緩んでしまっていた。
――そんな時に『ヤツ』がやってきた。
馬車の中から外を見渡していた時、突然後ろに追従するポルコさんの馬車からウィニが姿を現して、馬車の荷台の上へと登って、ソワソワしながらキョロキョロと周囲を見渡し始めたのが見えた。
「ウィニー? どうしたー?」
僕はウィニに声を掛けるが、アサヒとポルコさんの馬が何かに怯えるように狼狽えて歩みを止めたのと、ウィニの表情に危機感が浮かんだのはほぼ同時だった。それはいつものウィニとは明らかに違う反応だった。
……何か、嫌な予感がする。
「……みんな、気をつけて!」
ウィニが叫び、ラシードが馬車から飛び出してハルバードを構えて周囲を警戒する。
既にウィニの髪や尻尾が逆立ち、何かに怯えているように猫耳は垂れていた。
サヤも怯えるアサヒをなだめた後馬車を降りて刀を携えて臨戦態勢を取り、僕も外へ出てこのただならぬ気配を探る。
「……ウィニ。何処にいる?」
「……わかんない。でも、居る」
何かただならぬ気配を感じ取っているウィニは目を瞑って必死に気配を探る。その額から冷や汗が一筋流れる。
「……ポルコさん、馬車の中に入って、いいと言うまで絶対に出ないでください」
「わ、わかりましたっ」
……確かに何かがいる。
それがわかった時、周囲を息をするのも憚られる程に張り詰めた空気が漂っているのを感じ、途端に息苦しくなった。
これは殺気だ……!
呼吸を躊躇う程の強烈な殺気を向けられているんだっ!
僕は馬車の側面で剣を構えて必死に殺気の出処を探る。
――その時!
「――っ!? くさびん! 上ッ!」
「――――!?」
僕は殺気の正体を確認する間もなく、なりふり構わず前方へ身体ごと飛び込んだ!
その直後、轟音と共に落下した『何か』によって、さっきまで僕が立っていた場所の地面が抉れて土が飛び散った。
「クッ!」
僕はすぐに体制を立て直して抉れた地面のあたりに剣を構えて目を凝らした。
衝撃で舞った土埃で見えなかったその正体の全貌が明らかになっていく……。
「――『みぃつけた』……」
それは底冷えのする声のような音だった。奇妙な音が間近に聞こえて、まるで至近距離に得体の知れないものが居るような感覚にゾクッとして、一瞬たじろぐ。
その音は明らかに言葉では無かったが、何故か僕には『みつけた』と言ったように感じていた……。