ローデーン宿場町を出発した僕達はサリア平原の道を北へと順調に進んでいた。
今日も天気が良く、見晴らしの良い平原がどこまでも広がっている。この景色の向こうに次の中継地があるはずだ。
今回の中継地は比較的発展している『ダールバーグ』という街で、2日間目一杯進めば辿り着く予定だ。
イム村を出発したところからマリスハイムまで、あと半分ちょっとかな。
目的地が近付くにつれ、勇者の伝承についての手掛かりが掴めるかもしれない思いが僕の気持ちを逸らせる。
……まだ距離はあるのに、今からこんなんじゃ保たないよね。気を抜かないで進んでいこう。
それから旅は順調に進み、僕達はダールバーグまであと半日程の地点に差し掛かっていた。
見渡す限りの平原の景色も変化が見え始め、東側には森林地帯が、西には平野が広がる中に小さな湖がぽつんと佇んでいた。
「皆さん! あの湖で一休みして行きましょう!! あそこは水の精霊のご加護で魔物が近寄らない場所なんですよー!」
「へぇ〜、それは安心して休めますね! 行きましょう!」
ポルコさんの薦めで湖で休憩と取ることになった。
この湖は、水の精霊の力が多く宿る場所らしく、いわゆる精霊のお気に入りの場所なんだそうだ。
精霊のお気に入りスポットに宿る精霊の力のお陰で、邪悪な魔物は近付くのを嫌うという。
湖の水も清く保たれている為、休むには丁度良さそうな場所だ。
「おおー。お水が透き通ってる」
「ほんとね! こんなに澄んだ水がずっと保たれてるなんてね〜」
湖に到着して馬達を休ませると、早速ウィニが水辺まで駆け寄って水をパシャパシャと弾いて言った。
そこにサヤが続いて、あまりの澄んだ水に驚いでいる。
水辺は静かで涼しく、昼下がりの陽気と相まって心地よい。ウィニじゃなくてもここで昼寝したくなるね。
「ここの水は常に綺麗に保たれてるんですよ! これも精霊様のお陰というわけです!」
「ここみたいに、マリスハイムも水が澄んでるんだぜ。街にも複数の水の精霊がいるらしいぞ」
「そうです! それこそマリスハイムが『聖なる水の都』と呼ばれる所以なのですよー!!」
聖なる水の都として知られる聖都マリスハイムには、街に住み着く水の精霊が複数存在するそうだ。
その精霊達のお陰で街を流れる水は清らかで、街の至る所にある水路を船で移動して行くお店なんかもあるらしい。
サリア神聖王国は精霊の信仰が盛んな国だ。
大昔から人と精霊が共存してきたお陰か、好意的な精霊が多いという。
そしてそれは今の僕達のように、旅をする人々にとっての束の間の癒しをもたらすのだ。
「ふわぁ…………。ぽかぽかで、眠たくなってきた……」
気の抜けた欠伸をしながら、夢の世界に船を漕ぎ出しそうなウィニが、馬車の中に入っていった。完全に眠りに行ったな。
まあ気持ちはよくわかる。
またすぐに旅を再開しなければならないが、今はのんびり休んでも罰は当たらないさ。
水の精霊のご厚意に甘えてしっかり体を休ませよう。
――と、その時だった。
僕の近くで、水辺の水面が波紋を作り出し、水中から水球がふわふわと宙に浮かんで僕の目の前にやってきた。
そしてそれは人の形へと姿を変え、見覚えのある恍惚の笑みを僕に向けたのだ。
「……シズク?」
「…………クサビっ……! 会いたかったわ……っ」
目の前の水の精霊が顔を赤らめながら、うっとりとして僕の手を取った。それは紛れもなく、契約した水の精霊シズクだった。
「――ええっ! クサビッ! 喚んだの!?」
「よ、喚んでないっ! ――どうしてシズクがここに?」
サヤが驚き血相を変えて僕の隣にすっ飛んできて僕を睨んだ。僕はサヤの問いを必死に否定してシズクに問いただした。
「うふふ……。水の魔力に満ちている水辺になら……すぐに来れるの…………」
「そ、そうなんだっ」
「……ふーん? それならしょうがないわね……」
サヤがジト目で僕を見たまま渋々納得してくれた……。
シズクの距離が近いのがどうしても気になるようだ。
もし僕もサヤの立場だったら、気になってしまうかもしれないから、何もしていないがなんだか後ろめたい気分になる。
「わっ! み、みみ水の精霊様ですかッ!? お会いできて嬉しいですーッ!!」
シズクの姿を見たポルコさんが満面の笑みで、ジャンピング土下座の如く飛び上がり、土下座したり拝むポーズをしている。
全力で祈るポルコさんの姿にシズクが、まるで女神のような慈愛に満ちた微笑みを向けて小さく頷く。
それに感激したポルコさんがさらに嬉しそうに狂喜乱舞している。
……え、シズクってそんな有難い存在なの?
「ひゃあああ! サリア神聖王国を庇護する水の精霊様のおひとりにお祈りが通じましたーっ!!」
「ポルコさん……? この精霊は僕と契約した精霊でして……多分そんな拝む存在では――」
「なんとッッ! クサビさんご存じないのですかッ! こちらの精霊様は湖から現れました! ならばこのサリア神聖王国を庇護する精霊様のおひとりに間違いありませんよぉ!!」
ポルコさんが鼻息荒く顔を近付けながら熱弁してきて、僕はたじたじになって後ずさった。そうやらポルコさんの精霊信仰は相当に敬虔なもののようだ。
「シズク……、ほんと?」
僕はシズクに視線を向けると、恥じらいながら赤面して頷いた。
「……ほんとよ……。私も……サリアの守護精霊の一人……。だけど……今はクサビの……クサビだけの私……♡」
さっきまでの女神スマイルは一瞬で吹き飛び、煩悩の塊のようになってしまうシズク。そしてその様子を見ていたサヤの眉間に皺を寄るのを僕は見逃さなかった。
戦闘の時はそうでもないのだれど、普段のサヤとシズクは相性が最悪だ。あまり近づけないようにしよう……。
「ふぉぉぉ!! クサビさんは精霊に愛される星の下生まれてきたのかもしれませんねぇぇ!!」
「……その通り……。クサビへの愛は尽きないわ…………?」
サヤの眉がピクピクし始めてきた。こ、これはマズイ。
僕は背中に冷たいものを感じながら、必死に現状の打開を模索する。
「そ! そろそろ出発しましょうか! 十分休めましたしっ!」
僕が思いつくのは所詮この程度だ。何も解決にならないけど、今は一刻も早くここから逃げ出したかった。
ただ一心に想ってくれるのは有難いのだが、シズクの僕に対する感情は狂気的と言っても過言ではない。
……いずれシズクにも僕のサヤへの気持ちをしっかり伝えないといけないんだけど、果たして受け止めてくれるのか不安で、腰を据えて話す機ではないと思う……。
受け止められないとなった時、周囲にどんな影響を及ぼすかわからないんだ……。
「あ……もう行ってしまうの……? でもこの辺りは……庭のようなもの……。また……すぐに会いましょう……?」
「う、うん。シズク、またね!」
旅を再開するため馬車を動かす支度をして、同じようにしたくを進めていたはずのラシードが、背中に哀愁を漂わせがらな空を見上げていた。
気になった僕はラシードに声を掛ける。
「ラシード? どうかしたの?」
すると、ゆっくりと顔を僕に向けると、また遠い目をして空を仰いでしまった。
「クサビぃ……世の中って、不公平だよなぁ…………」
「…………」
「……ちょっとウィニ猫モフってくるわ。……くそぅっ……!!」
そう言うとラシードはウィニが昼寝中の馬車に突撃していき、その直後ウィニの悲鳴に続いてラシードの悲鳴が木霊したのだった……。