「――――本日はここまで!」
「「ありがとうございました!!」」
門下生達が思い思いに帰路に着いていく。
先ほどまで騒がしかった訓練所は、今はガランとして静まり返っている。
稽古が終わった後は自ら異常がないか確認するのが私の日課だった。
我がゼルシアラ盾剣術は、遥か昔精霊暦の時代に魔王を封印した勇者を支えた英雄の一人『シェーデ・ゼルシアラ』様によって拓かれた戦闘術。
その由緒正しき剣術を我らが祖国ファーザニアに伝え広める事こそが、師範たる私の役目だ。
……という思いとは裏腹に、姉様のように冒険者として世界中を駆け巡りたい気持ちもあったりするのだけど。
私は戸締りを済ませ、訓練所の扉の前で振り返り、火の鳥模様の盾に一本の長剣が斜めに描かれた、我がゼルシアラ家の紋章に一礼し、その場を後にする。
――平和を謳歌していた太陽暦において、突如として魔王が目覚め、怒涛の勢いで魔族は祖国ファーザニアとリムデルタ帝国に侵攻を開始してからというもの、目を背けたくなるような報せばかりを耳にする。
共和国軍剣大将に就く父上も最近は家を空ける日々……。最前線での魔族との攻防は熾烈を極めるという。
日に日に自分もその一助になりたいという思いが募る一方だった。
「おや、おかえりなさいませ。マルシェお嬢様」
邸に帰ると、庭園の手入れをしている爺やが出迎えてくれた。爺やは私が幼い頃から邸に居る執事だ。
私にとっては家族同然の存在だ。
「ただいま、爺や。父上は帰ってきている?」
「いえ。おそらく今日も戻られるのは夜遅くになるかと……」
「そう……」
魔族の侵攻に戦闘は激化の一途を辿っている。父上の帰りが遅いのもその対応に追われている為だろう。
ここシュタイアは天然の地形に守られた難攻不落の城塞都市だが、近いうちに戦場になるのでは、という危機感が私を襲う。
そんな杞憂を抱きながら庭園を抜けると、邸の入口を爺やが開けてくれる。中には侍女が控えていた。
「マルシェお嬢様、おかえりなさいませ。今日も稽古お疲れ様でございました! 湯浴みの支度が整っておりますよ」
明るい笑顔で出迎えてくれたのは、私に専属で着いてくれる侍女のマリエッタだ。
マリエッタは私の一つ上の21と歳が近いのもあって、私の良き理解者だ。でもどこかそそっかしい面と童顔な顔立ちで、どちらが年上がわからないとしばしば思う事もあるが、そこも可愛いところだ。
「ただいま、マリエッタ。ありがとう、向かうわ」
マリエッタが用意してくれたお風呂で汗を流したあと、自室で鏡の前で椅子に座り、後ろからマリエッタが私の髪を手入れしてくれる。
鏡に私の姿が写る。
肩まで伸びたボブカットの毛先に軽くウェーブがかかる桃色の髪が手入れされていく。
この髪色は母上や姉様とお揃いだ。
鏡の中の自分を見つめると左目側は髪で隠し、緑色の右目の私の顔が映り込む。
普段からあまり笑う事がない為か、我ながら無表情のように写り、少しだけ口角を上げてみた。
笑顔の自分の顔に違和感しかない。
私の左側に伸びた前髪を手入れしていくマリエッタの手によって、チラリと私の銀色の左目が覗いた。
私のこの左目は少し特別だ。
どうやらこれは『魔眼』というらしく、稀に持って生まれてくる珍しい眼なのだ。
能力は人それぞれらしいが、私の場合は魔眼を通して『見るもの全ての魔力の本質を視る』ことが出来る。
その人の内側に宿る魔力には、その人の本質、つまりその人らしさが宿る。
笑顔の絶えない優しそうな人でも、魔力の色はどす黒く見える時などは、大抵はその人は悪人だ。
心の内が魔力を通して色となって視えるのだ。
魔眼は常に効力を発揮してしまうので、さまざまな感情に埋もれて気分が悪くなってしまうが故に、私は自分の髪の毛で魔眼を隠し、必要な時だけ使用することにしたのだった。
魔眼持ちだからと、いい事ばかりではないのだ。
「――そういえばお嬢様、最近シュタイアに外国の偉い人達が来ているそうですよ! なんでもガルム山道の精霊フェンリルを鎮めた凄腕らしいです!」
マリエッタの声を弾ませた言葉に私は内心で過剰に反応する。
ゼルシアラ家はファーザニア共和国の中でも随一を誇る武門の家で、この家名を背負う者は皆例外なく武の術を叩き込まれる。
その影響も多大に含まれていたが、敬愛するフェッティ姉上が冒険者に憧れてその道を志して大成したことが、私の旅人や強者という存在への興味を熱烈なものにしていたのだ。
そして姉様と同じ世界を見たくて、街の冒険者として活動する身としては、外から来た強者とはぜひ話してみたい。
「そんな方々がこの街に来ているの?」
「はい! 今日市場で買い物を行った際に、お店の方がおっしゃってましたよっ! 耳長人の女性が二人と、獣人族と、東方文化の装いの男性の4人組だそうです!」
興奮する様子で話すマリエッタの話を聞いているうちに、なんとしてもその人達に会いたい熱が上がる一方だ。
フェンリルをも抑える強者と直接この口で話してみたかった。武門の家の娘として、冒険者に憧れる戦士として見解をこの耳で聞いてみたかった。
――――こうしては居られない!
「わっ。お嬢様!?」
「マリエッタ。これから出てくるわ」
私は椅子を勢いよく立ち上がり、驚くマリエッタに告げると足早に部屋を出る。
「えっ!? あっ! お嬢様! マルシェお嬢様〜!」
呼び止めるマリエッタの声を背に私は邸を飛び出した。
外は既に暗がりを見せ、眼下の繁華街に見える夜の街の灯りを目指して、逸る気持ちも抑える事が出来ずに、強者を探して駆けて行ったのだった。