明くる日。
早朝の素振りをするため部屋を出た僕は、店主さんの許可をもらって宿の裏手にやってきた。
昨日決意した自分自身の在り方は一見矛盾しているような考え方だろう。恨みや憎しみに囚われず、されど悪を許さない。
この微妙な心持ちの違いを間違えないようにするんだ。
明確な敵が存在する以上、時にはそれを憎むこともあるだろう。だが、それ一つに執着しないように。これが僕の目指す心の在り方だ。
僕は剣を正眼に構えて目を閉じて集中する。
しっかりと立って心を落ち着かせゆっくりと目を開き、一つ一つの動作を確かめるように最初はゆっくりと剣先を上げて、振り下ろす。
よし。この動作を維持しながら速度を上げていくぞ。
剣を振る度、ヒュッという空を斬る音がする。
しっかりと立って一定のテンポで、正確に。
玉の汗が額を流れる頃には、体は熱を帯び、全身は怠さを覚えるくらいには疲労していた。……今日はこの辺で切り上げようかな。
そう思い、剣を収めて部屋に戻ろうとした時だった。
「あれっ……やめちゃうの?」
「え!?」
突然の声に僕はキョロキョロと見渡すも、どこにも姿がない。空耳かなと思って踵を返す。
「お兄さんっ! こっちこっち!」
今度ははっきり、確かに聞こえた! 空耳なんかじゃない。
今度は目を凝らして注意深く見渡す。……けれど姿はない。
……え。もしかして……ゆ、幽霊……?
サーッと僕の血の気が引いていく。ここは早く離れよう……!
その時、不意に僕の頭のてっぺんのつむじに、何かの感触がした!
「――ッ!!」
……そこにあったものは――――
「……え?」
「あは! やぁ~っと見つけてくれたねっ」
直上で浮遊していたずらっぽい笑みで僕のつむじを人差し指で触れている、まるで妖精のような見目麗しい女性だった。
桃色の、腰よりも長い髪をなびかせて、踊り子のような肌の面積の少ない恰好をしている。魅力的な容姿に目のやり場に困る……。
「……あなたは、精霊?」
そう言うと、その女性は空中でくるりと舞うと着地して僕に向き合った。
「ぴんぽーん! 正解! 私は花の精霊! このボリージャにいるみんなが大好きな、花の精霊よ~♪」
花の精霊が動く度、ほのかな花のいい香りを漂わせながら、辺りに花びらが舞い散っては消えていく。精霊から溢れる魔力が花びらのように見えるようだ。
「この街の守り神の……精霊様ですか!?」
僕はびっくりしながら畏まった。太古から存在する上位精霊だ。そんな方がなんでここに?
「守り神って呼び方は可愛くないかなぁ~。この街のアイドルって呼んでね☆」
花の精霊は満開の笑顔を振り撒きながらいろんなポーズを取っている。……あいどる? ってなんだろう。
なんだか気さくな精霊様だなあ。昔からいる精霊だから、ちょっと気難しいのを想像してたよ。
良い意味で裏切られた気分になる。
「あの……。僕に何か用があったんでしょうか?」
「ん〜? 用って訳じゃないんだけどねっ 朝早くから頑張ってる子がいるな〜って、ずっと見てたのよ☆」
ず、ずっと見られてたの……!? なんか、恥ずかしい。
「それに……。キミからなんか不思議な気配を感じたの。あっ、悪い意味じゃないよ? ……懐かしさを感じたというのかなぁ〜。それで気になっただけ!」
「っ! もしかして、勇者の気配……とかですか? 僕、どうやら勇者の子孫らしくて。それを調べるためにここに来たんです。……何か知っていたら教えてください!」
この街が出来る前からいる精霊と話せるなんて滅多にない。精霊なら何か知っているかもしれない!
「勇者……? ……あ! 確かにあの子の気配に似ているのねっ」
「っ! 勇者について何か知っているんですか!?」
記憶を引き出してぱぁっと明るく微笑んだ花の精霊だったが、僕の問いについては首を振るのだった。
「……ううん。詳しいというわけじゃないの、ごめんねっ ……キミの言う勇者くんはね、綺麗でまっすぐな目をしていて印象的だったってだけで、会ったのはたった一度だけだったから〜」
どうやら花の精霊からは有力な情報は得られなさそうだ。でも僅かだけど、勇者についての一旦を垣間見ることができたと思う。諦めずに続けていればいつか解明に至るはずだ。
「そうだったんですね。貴重なお話をありがとうございます!」
「うんっ! キミもまっすぐな目をしてるね! 勇者くんと同じ赤い瞳だわ!」
そう言うと花の精霊はふわりと浮遊し、僕の周りを一周して、僕の前で空中に浮かびながら笑顔を向けた。花の精霊が動く度、周りに小さな花のような魔力が咲いては消えていく。
「それじゃあね! キミの探し物見つかるといいわね! 応援してるね☆」
花の精霊は僕に投げキッスをすると優雅に飛翔して行った。飛び去って行くその軌道に花びらが舞うのが綺麗だった。