「やあああああああ!!」
――ぶんっ――
危機迫る僕が放つ袈裟斬りを、ゴブリンは斬られる直前に振り向き、僕の右側に飛び込んで躱した。
僕は袈裟斬りの勢いを利用して向きを変え、背後に回ったゴブリンに向き直って剣を構えた。
ヤツも臨戦態勢だ。刃こぼれの酷いナイフをこちらに向けている。
先制攻撃を躱され、僕は喉を鳴らす。正面から相対する初めての真剣勝負に緊張で鼓動が高まるが、努めて平静かつ慎重に相手の動きを観察する。
よく見ると、頭に小さな赤黒い角が生えている。昔見た魔物の姿の覚書では、ゴブリンに角なんて生えていなかった。ただのゴブリンじゃないのか……?
――ケシャーッ!――
突如、ゴブリンが飛び上がってナイフを振りかざしてくる! 素早い!
僕は慌てて飛び退いて回避したが、ゴブリンはさらに襲いかかる。
軽快なステップで前進し僕の懐に飛び込みながらナイフを突き出してきた!
明確な殺意に背筋が冷える感覚を覚えながら必死にナイフを剣で弾く。
「こ、このっ!」
勇気を振り絞って僕は攻勢を掛ける。
ひたすら剣を振り回す。型とはとても言えない不格好な剣技。いや、剣技と言うのも烏滸がましい。
だがゴブリンもこの闇雲に暴れる刃を前に攻めあぐねているようだった。一応の牽制にはなっていたのだ。
剣をぶんぶん振り回しながら必死に頭を回転させる。
「(思い出せ、思い出せ! 今まで何を教わった!?)」
僕の剣の先生は父と、アズマの村随一の剣豪のヒビキさんだ。二人とも剣術の腕は相当凄かった。
それなのにそんな偉大な二人の先生に教えを受けながら、剣術というものに本気で打ち込んでこなかった僕は、ここにきて自分自身の怠慢と修練不足を痛感する。
初歩的な剣術の型しか思い出せない。……くそ! 体たらくな過去の自分を恨むぞ!
……とにかく落ち着くんだ。ヤツの得物はナイフでこっちは長剣だ。リーチを活かして立ち回るんだ!
やがて、無駄な体力を使って息が上がった僕は、剣を振り回すのを止めてヤツから目を離さずに呼吸を整える。
この無様な様子を、ヤツが醜い顔をさらに歪めてニタニタと笑っていた。
――ッ!! こんなヤツに剣術を分かってたまるか!
怒りで突っ込みそうになるところを、なんとか抑える。ここで挑発に乗ったらヤツの思うつぼだ!
落ち着くんだ! コイツのペースに乗せられるな!
僕はふっと短い息を吐いて剣をしっかり正眼に構える。
そして一気に距離を詰めてヤツを剣の間合いに捉えた!
「えええええええい!」
勢いのまま剣を突き出す。しかしゴブリンは僕の右側にステップして回避した。やはり素早くてなかなか当てられない。
反撃が来る前にすぐさま距離を取る。そして再び前進しながら左手に持った剣を右側で固定し、水平に斬り放つ。
それをヤツは屈んで避けると、しゃがみ状態から飛び出し、僕の腹に頭を打ち込んできた!
「ごっ……!! がはっ! ……ぐゥ…………ッ」
想像以上の衝撃と痛みが僕を襲う。
胃の中から逆流するものをなんとか抑え込みながら、右手で腹を押さえ、左手で剣先を向け、意識だけはヤツから離さずに後退する。
「はあ…………はあ…………」
腹の痛みで脂汗をかきながらゴブリンを睨みつける。ヤツは勝ち誇ったように小躍りをしてみせ、僕をおちょくりにかかった。
くそっ! 僕はゴブリンよりも弱かったのかッ!
ついには背中まで見せながら全力で貶してくる。僕を完全に格下と見たゴブリンは僕の心をも攻め始め、それは今の僕には効果覿面だった。
くそ……。僕はこんなヤツにも勝てない!魔王を倒すと息巻いてただけの弱者なんだ…………!
……悔しいが、認めなければならない。
自分の弱さを。そして都合の良い奇跡なんて起きないということも。
――僕は心のどこかで甘えていたんだと思う。
きっとなんとかしてくれる。誰かが助けてくれると。
たった一人だというのに。この期に及んでまだそんな甘い考えを抱いている。
親しい人を大勢奪われた時ですら、僕はどこか甘かったんだ。実際生きる事を諦めかけた。
優しい人達に助けられ、人の温かさに触れた僕は甘える口実を自分に作った。困った時は誰かが助けてくれるはずと。……凄惨な目に遭っておきながら! この期に及んでだ!
それではいけなかった。いい訳がなかった。いや、それはもはや自分が無力である事を正当化する為の、言い訳でしかなかった。
……鬼とならねばならない。甘っちょろい自分と決別して。
もちろん助けられた事に感謝はしている。だが今は、人の心を削ってでも甘い自分と決別しなければ。
心のすべてを平穏にしてはならない。僕の旅はそういう旅だったはずじゃないか!
今お前に必要なのは憎しみなんだよ! クサビ・ヒモロギ!
――思い出せ。お前は何を奪われたのか。
思い出せ。お前を守るために散った命を。
皆の人生を、幸せを奪ったヤツを許さないと!
父さんと母さんを殺した魔王を絶対に許さないと!!
そうさ。僕はこんな所で躓いて居られない。
命を賭して僕に使命を伝えた父さん
最後の最後まで僕を慮ってくれた母さん
その何もかもを、無駄にできるものか……!!
――――絶対に生きてやる!!
――僕はヤツをしっかり見据えながら剣を片手で構える。
目付きと纏う雰囲気が今までと違う相手にゴブリンはさっきまでの余裕の態度をやめ、警戒の色を強めた。
――お前を殺す
さっきまでの甘えの残る顔つきはどこにもない。
コイツを逃がすことはできない。魔王に居場所を知られるわけにはいかないのだから。
いつか必ず魔王を討ち滅ぼすんだ。これは僕の初陣。お前には魔王討伐の足掛かりとさせてもらう!
――強く地を蹴って駆ける。
「――熱よ」
先程の攻撃と同じ、水平に斬る構えを取りながら走る。
「――大気よ」
剣の間合いに達し、剣を振る!
――ぶんっ――
剣は手応えなく空を斬る。ゴブリンはバックステップで回避したのだ。
避けられるのは分かっていた。だから!
「――燃え上がれ! 火種!」
走り出すと同時に右手に魔力を練り、剣を振った直後に火球を撃ち出した!
威力の低い未熟な魔術。だが相手を怯ませるには十分だった。
顔面に被弾したゴブリンが仰け反り、隙が生まれる。僕は剣を両手で握り力いっぱい振り下ろした!
「ああああああ!!」
――ザシュッ――
僕の精一杯の剣はゴブリンの肩から斬り込み、胴体の半ばで止まる。
「グゲギャアアァァァーー!!」
「ああああああああァァァ!!!」
ヤツの絶叫が、ヤツ自身の生命の危機として木霊する。僕はさらに叫びと共に力を込めて完全に息の根を止めに掛かった!
「――――ァァアアアアッ!!」
力任せにゴブリンを斜めに叩き斬った。
「ゲ……ゲフゥ……」
剣がゴブリンの体を両断すると、力無く最期の一声を発して絶命し、その直後黒い塵になって霧散した……。
「はぁ……はあ…………。た、倒せた……っ」
僕は、命を拾った事への安堵と緊張の解放で、その場に脱力して座り込んだ。そして己の両手を広げて見つめる。
初めて人型のものを斬った。
昔から何かを切る感触は僕にとっては不快に感じて苦手だった。今回は人の形をしているからなのか、動物とはまた違う不快感だった。
この不快感が嫌だったから、僕は剣術があまり好きじゃなかったんだなと自覚する。だが、これからはこの感覚も慣れていかなければ生き残れないのだろう。
両手に残る斬った時の感覚を払拭するようにぎゅっと握る。
もう自分に甘えはしない。僕は僕を生かしてくれた人達の無念を晴らす為に、惨劇を生む魔王から、僕と同じような人を生まない為に。
強くなる。何者にも負けないくらいに強くなってみせる!
その決意を抱きながら、僕は目的地へと足を向けたのだった――