ヘッケルの村からの旅は中継地点の集落を経由して向かう。まずは徒歩で1日と少しの距離にあるハプトラ部族領の『ヒマリの村』を目指す。
ヒマリの村は、なんの変哲もない農村らしく、小さな宿があるだけの小規模の集落だという。旅の疲れを癒す事はできるだろうが、ここでは物資の補充はあまり期待しない方がいいとのことだ。
ヒマリの村までは街道に沿って進む。そのため狂暴な魔物に出くわす頻度は稀で、比較的安全に旅ができそうだ。
行商の往来もあるようで、街道の道の程よい広さに整備されていて、周囲には木々が道の左右に分かれて生えていた。この辺りの東方部族連合領、世界の地理での大陸南東部は森林地帯になるため、どこも似たような景色になる。今のところ定めている最終目的地のボリージャの街はさらに森深い場所にある。
静かな街道に小鳥の鳴き声がさえずり、涼しい風が顔をなでる。まばらに生えた木々がちょうどよく日光を遮り、至る所で光が天から漏れ出し一つの光の線が差し込んでいて、幻想的な景色を作っていた。
もし目的が観光であったなら、この旅も愉快なものとなっていただろうなあ、と思わずにはいられない。
しばらくの間、鳥のさえずりと穏やかな風の音、僕の足音だけの時間が続いた。
太陽が真上に登りしばらく経ち、僕は道脇の木に体を預けて一休みしていた。
マルタさんから貰ったお弁当を頂く。一口食べる度にマルタさんの優しい笑顔やカルロさん、カインズさんの顔が浮かんでくる。人の心の温かさがこもっていて自然と微笑んでいた。
お弁当を完食し、少し休んだ後再び歩き始めた。
――しばらく歩き続けた時のことだった。
道脇に生える木々の奥。
こちらを見つめる赤い目。
「……ゴブリン…………?」
目を細めながらその存在を凝視する。それは魔物の中でも最下級に部類する、容姿は人型で子供くらいの身長、やせ細った体で、赤い目に醜い表情、歪んだ形の長い耳。ボロきれを纏っている。
最下級といっても、ゴブリンには少なからず知性があるという。集団になれば連携もしてくる為、油断は出来ないのだとか。
初めて対峙した僕は、まだ距離があるが油断なく抜剣して構える。
だがゴブリンはじっとしたまま動かない。
「……?」
何か変だ。聞いた話ではゴブリンは人間が一人なら襲いかかってくると。だが目の前のゴブリンはこちらを凝視したまま動かない……。
じっと見ているはずなのに、目が合わないことに気づく。何を見ているのか――
そうか剣だ! このゴブリンは解放の神剣を凝視しているんだ。
奪おうとしているのかもしれない。そう思うと剣を握る僕の左手に力が入る。
――その時だった。
ゴブリンが突然踵を返して逃げていく。がに股で不器用に走っていくゴブリン。僕は呆気に取られて逃げるゴブリンを見る。
その瞬間、僕の中で強い違和感を感じた。
……嫌な予感がする。なぜだかわからない。でも……
――アイツを行かせたらいけない。
本能がそう叫んでいるかのように渦巻く疑念が危機感を生み出し、僕は心のままに駆け出してゴブリンを追った。
この違和感の原因はなに?
アイツはこの剣をじっと見ていた。その後突然踵を返し逃げていった。
……仲間を呼びに行った?
僕の中で焦燥感が増していく。一つの推測に行き着いたからだ。それは――
――解放の神剣を発見し、報告する為に戻ったのではないか。
アイツは魔王が剣の捜索に遣わした魔物の中の一体なのではないか。
そう考えたら瞬間、魔王と対峙した時の、意識すら奪われそうな程の恐怖の一端を思い出し、急激に口の中が渇き焦燥感に駆られた。
僕は弾かれたように飛び出し目の色を変えてゴブリンを追う!
たとえ僕の推察が違うとしても、ヤツはここで仕留めなければならない!
これまで抱いたことのない程の殺意を抱きながら全力でゴブリンに追いすがる。幸いゴブリンの足は早くない。
ゴブリンに剣が届く距離まで追いつき、僕は叫びと共に右上から剣を斜めに振り下ろした!