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Ep.5 顕現する恐怖

「クサビ……。生きよ。なんとしても生きよ……!」



 突然押し寄せた魔族に村の者の大半が散った。火の手は至る所で上がり、いずれアズマの村は焦土と化すだろう。


 そして俺、ハクサ・ヒモロギの命もここで尽きる。


 だが……。


 この命を使い切る前に、成さねばならないことがある。


 息子を、クサビを生かす。その為に奴らを食い止めねばならない。できる限りの時を稼ぎ、少しでもクサビが生き延びる可能性を高める為に。



 生き延びた村の手練が集まり、クサビとユイが向かった道を阻むように魔物の前に立ちはだかりながら戦うが、物量の差は歴然で、瞬く間に追い詰められていく。


「ハクサ殿……ッまだ折れてはなりませぬぞ……!」


 隣で共に魔物を食い止めている、ホオズキ族直系の猛者のヒビキ殿が無数の傷をものともせず戦意を滾らせる。


「まだまだ……! 奴らを冥土の道連れにするには少なすぎますからなッ! ヒビキ殿!」


 この戦場に木霊する魔物の咆哮と剣戟の音が残響となって溶けていく。


 そのさなか、獣のような魔物が複数同時に飛びかかってきた。奴ら魔物は総じて残忍だ。ここを抜かれれば立ち所にコイツらは息子と妻に牙を突き立てるだろう。それを許す訳にはいかない。


「フン……!」


 飛びかかる魔物一体を斬り上げて二つに分断し、返す刃で他の一体に袈裟斬りを見舞う。そして姿勢を低くかがんで足に魔力を練り込むと、踏み込みと同時に一気に解放。足への強化魔術によって高速で魔物に接近し、三体の魔物を纏めて横薙ぎに斬りつけた。


 魔物の大群がとめどなく押し寄せる度、死力を尽くして魔物を斬り続ける。やがて人の形をした魔物、魔族がけしかけてくる魔物が、徐々に強力になっていった。


 魔族は知性を持ち合わせる者もいる。魔物を適当にけしかけてこちらの疲労の限界を誘い、そのあと絶望させて嬲るつもりなのだろう。残忍で、悪趣味なやり方を好むのが奴ら魔族だ。



 魔物がとめどなく迫る中、また一人、また一人と倒れていく手練の者達。死の予感がいよいよすぐ傍まで迫っているのを全身で感じる。


 俺とヒビキ殿は、死なば諸共と修羅と化す。一心不乱に迫り来る魔物を討ち果たし、注意をこちらに引き付け続けた。


 思いのほかしぶとい俺達に業を煮やしたのか、ついに魔族が自ら出張る。魔物とは一枚も二枚も上手な気配を放つ魔族が二体。


 俺とヒビキ殿は固唾を呑む。既に魔力は枯渇寸前。足に力が入らない。刀を握る手も疲労で震え、満身創痍の風体で気力のみで立っている状態に、ここに来て強力な魔族が相手だ。


 ――いよいよか。


 とうに限界を超えた俺の身体では、満足に刀を構えることも出来ない。だが、せめて最期の一太刀を奴らにくれてやる……!



 だが、その決死の戦意すら吹き飛ばす程の存在が現れた。





「ほう……虫にしては随分しぶといのが居るじゃないか」



 二体の魔族の後方から声がして、その魔族どもは素早く跪いた。声の主は若い男のような声だが、その声色には背筋に悪寒が走る程の不気味さがあった。魔族とは比べ物にならないその気配に冷や汗がとめどなく流れ、一瞬にして血の気が引いていく。


 本能が全身に訴えるのだ。今すぐその場を離れよと。

 しかし体は言うことを聞かず、それすらも出来ない。


 ――くそ! 体の震えが止まらん……ッ!


 その得体の知れない存在は、掴みどころすらない闇そのもののように見えた。深い闇の奥から不気味な声が発せられるのだ。その闇を見続けていたら魂まで持っていかれるような錯覚に陥ってしまう。

 いや、それは最後まで生きあがこうとする俺の直感だった。ヤツの、魔王の顔を直視してはならぬという生存本能が警鐘を鳴らしているのだ……!



「はるばるこの魔族の王が虫ケラに話しかけているんだぞ。返す言葉の一つもないのか?」


 魔族の王……だと? まさか、復活したと言われる魔王だと言うのか! 魔王自らこの村まで来た目的は、やはり――


「――うおおああああおおえああああ!!!!」


 突然ヒビキ殿が発狂とも言える声を上げ、へなへなと脱力して虚空を見上げている。

 虚ろな目をしたヒビキ殿は、魔王への恐怖が限界に達し精神が壊れてしまったのだ。魔王を直視してしまったかッ!

 ……部族屈指の猛者までも恐怖で気が触れるのだ。俺の心もいつまで保つか……。


 事ここに至り、もはや戦意というものは存在していなかった。圧倒的な存在を前に、少しでも長く精神を保って時間を稼ぐ事が、唯一残された選択だった。



「クカカカ! そこの虫は壊れおったわ! そっちの虫は…………。――貴様……」


 愉快そうにしていた魔王の声色は一変、俺に気配を送るもまた一段暗く静かな口調で語りかけてくる。

 魔王の視線を感じる。直視してはならぬ……!



「貴様、勇者の子孫か? 腹ただしい気配だ」



 魔王が至近距離まで迫る。震える体を悟られぬように抑え込みながら、直視しないよう必死に地面を睨みつけた。汗がダラダラと滴り落ちる。


 魔王の闇の奥の顔を見てしまったら、きっと俺は壊れる。その追い討ちを掛けるように、今しがたヒビキ殿が魔物に食われた音がし、血がここまで飛び散った。


「聞きたいことがある。貴様、勇者の剣を持っているだろう? ここにあるのは分かっている」


 耳元で魔王が囁いてくる。恐怖で気を失いそうになるのを必死で堪えながら、カラカラに乾いた喉をなんとか動かし声を発した。


「……し、知るものか。魔王よ……。き、貴様の……望む結果には……ッ…………ならんぞ!!」


 全身を奮い立たせて恐怖を押しのけ、魔王の闇の奥の顔に刀を突き立てる――――


 ――事はできなかった。


 見てしまった。

 魔王の闇の奥を。




 すぐ近くで俺の声によく似た誰かの声で、この世のものとは思えない程の絶叫が聞こえた。

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