タカトは目を皿のように大きく広げ、身を乗り出すようにしながら、思わず突っ込んだ。
「な……!! だったら高みの見物決め込んでねぇで助けてくれよ! 誰がどう見たって、フツーの初心者にはキツイぞありゃあ!?」
あの時、目の前に立ちはだかる巨大生物のことで、頭がいっぱいいっぱいだった。
とは言え、付近にいる人間が醸し出す〝気配〟位は分かるはずだ。
ところが、全然感じなかった。
片方は細胞どころか遺伝子の気配すら感じさせない透明人間だからまだしも、この女もやはりタダモノではなさそうだ。タカトを横目でちらちら見ながらも、さも不可抗力とばかりにため息を一つついた。
「だって仕方がないじゃないか。本当は内心ヒヤヒヤものだったんだよ。でもあたし達、部長からすぐに手を出すなと言われてたんだからさ。それに、ディーンも一緒だったし。彼もヤバいレベルなら……流石に手を出したところだったけど」
「何でぇそりゃあ!」
部長は確か、「他の二人は別の一件が終わり次第、現場に駆け付ける」って言ってなかったか? 記憶違いがないか己の脳内を思わず検索したくなる。翡翠色の瞳の青年の混乱を、見て見ぬ振りをしながら、シアーシャは豪快に笑い飛ばした。目尻にたまった涙を指ですくっているところを見ると、ツボにはまったようだ。
「……まぁまぁ、一種の試験みたいなものだと思えば良いじゃないか。入学試験みたいなやつ? だって、君は特例で実技試験なしで来たって聞いたんだけど?」
着任早々、無茶振りがひど過ぎる職場である。
命がけの初仕事が学校の入学試験と同等にされて、万が一のことがあったら冗談抜きでシャレにならない。
「それはヘムズワースさ……部長から要請を受けたから来たわけで……」
「あたし達、君がディーンの相棒として問題ないか見極めるよう、指令が来ていたのさ。頭の中身も見た目も軽くてチャラそうだけど、割としっかりしてそうだし、身体の動き自体は特に問題ないと思う」
「俺も同意見だ。君は粗暴だが、堪は良さそうだし判断力も問題ない」
「……それって褒めてる? それとも貶してる?」
初対面早々、散々な言われようである。一方的に可憐な心をサンドバッグにされる気分は、こんなものなのだろうか?
「まぁ、うちのエージェントとして言うのなら、現在一番肝心なのは『〝レオン〟が〝リーコス〟と組んでやっていけるか?』という一点に尽きるんだけどね」
逸れていた話がようやく戻ってきたようなので、不良青年はアンニュイな美女に再度問い正した。
「……気になっていたのだが、その根拠はどこから?」
「どこも何も、ただの勘だよ。それにさっき言わなかったっけ? 〝息がピッタリだった〟って」
タカトは大いにずっこけた。危うくベッドから転がり落ちそうになる。
「だって君、あの〝エフティヒア〟が百パーセント相性抜群と太鼓判を押したんだよ! 根拠を問われればそれね。初めてだよ〜アレがそんな高数字を叩き出したの!!」
発砲の止まらないサブマシンガンのように、熱弁を振る続けるシアーシャは、何故か鼻息が荒い。
「今までの前任者も割とイイ線行ってたけど、残念ながら彼と百パーセントの相性とまではいかなかった。男女問わず……ね。どんなに高い確立でもせいぜい七十パーセントが関の山。その結果、全員殉職なんだからねぇ」
今まで〝リーコス〟と組んできた歴代相棒の経緯とその顛末を聞かされて、平然としていられるのは、感情や心を持たない部類の機械位だろう。事務部の連中が自分に対し、どこか哀れみを帯びた視線を送って来ていた理由が、脳天気な針頭にもようやく理解出来た。
(あああどいつもこいつもおめでてぇ思考回路だぜ! つまり次はこの俺が、あの世行き片道切符をバトンタッチしたというだけの話じゃねぇか……!! )
包帯で巻かれた針頭の青年は、その熱気におされそうになりながらも、つい頭を抱えこみたくなる。頭痛が悪化したように感じるのは、気のせいだろうか。そんな彼にシアーシャは容赦なく追い打ちをかけた。目を輝かせつつ両手の指を組んで、神に祈りを捧げるポーズをとっている。
「ああ良かったねぇ〝リーコス〟! 君はやっと〝おひとりさま〟から解放される〜!」
「シアーシャ、誤解を招く言い方は止めてくれ……」
「あははは! 冗談冗談! 君、からかい甲斐があって面白いったらありゃしない!! あははは!!」
「やっと安心出来るのは俺も同じだ」
「ドウェインまで悪ノリするのは止めてくれ……」
腹を抱えて笑い転げる美女の隣で、その場を静々と眺めていた銀髪の青年は、首を傾げた。その瞳には一点の曇も見られない。
「俺は〝一般的〟な意見のつもりで言ったのだが? 崩れていた一組のバディ体制が復活出来ることは、同僚としても大変喜ばしいことだ」
「すまねぇ。勘違いした俺が悪かった。無視してくれ」
「……話を戻そう。新人エージェントが、着任早々入院沙汰を起こしたのは、うちでは前代未聞の事態だ。しかし、それはまだ、着任前に体内へと埋め込まれた〝IDチップ〟が、君の身体に馴染みきってないせいもあると思う」
げんなりしている包帯頭に、ドウェインはこめかみを指さしながらあれこれ説明をし始めた。シアーシャもそれに続く。どうやら、やっとほとぼりが冷めたようである。
「今回の件に関して、君は気にしなくて良いよ。今回は緊急事態だったから仕方がなかったけど、新人が着任して一日も経たないうちに即出向だなんて、通常はあり得ないことだから」
「ヘムズワースさん、初日から色々キツ過ぎるぜ。あんな人とは思わなかった……」
「そう言えば君、イーサンとは顔馴染みだそうね。……期待されちゃってる証拠だよ。潔く諦めな〝レ・オ・ン〟」
語尾を半オクターブ以上引き上げたシアーシャは、満面の笑みで一言付け足した。
「今日は念の為の検査入院。今後のためにも今は大人しくしてなよ、新人君」
「うげ……マジかよ……」
不良青年は大きくうなだれた。初出勤の日に初案件な挙げ句、敵とやり合った結果入院沙汰……いくらなんでも華々しすぎる。
「ドクターに聞いたけど、君は脳震盪を起こしていたようだ。今のところ精密検査の結果、脳波に異常はないと聞いた。IDも特に問題なく作動している。明日もう一度検査して問題なければ退院だって」
「はぁ……」
「そうそう、部長からは明日出勤したらすぐ部長室に来るようにと、言伝があった」
「マジかよ~病院から退院したら即かよ……あああ家に帰りてぇ……!」
「残念だけど、命令には逆らえないからねぇ。それじゃあ、今日は疲れているだろうし、しっかり休息を取ること! 良い?」
表情をころりと変えた美女は、にこやかに片手を振っている。銀髪の青年はその前を歩きつつ、用が済んだと言わんばかりに、姿を消していった――それも、まるで壁に溶けていくかのように。
(薬くせえし、遊ぶ場所もねぇし、リラックス出来ねぇ環境で、どうやってまともに寝ろと言うんだ!! 却って寝れねぇっつ――の!! )
最初は愚痴をこぼしていたタカトだったが、己のこめかみのあたりに埋め込まれたIDが無事だと聞いたのを思い出し、こっそりと口笛を吹いた。すると、主のもとに駆け付けてくる飼い犬のように、どこからともなく赤いレビテート・ボードが瞬時に姿を表した。
《……悪いが、窓やドアには鍵を掛けている。逃亡しようとしても無駄骨だから、大人しく寝ておいた方が身のためだ》
先ほど姿を消した筈の青年の声が、耳元すぐ傍で響いてきて、タカトは思わず恐怖に叫び声を上げそうになるのを、必死に抑え込んだ。
(ひぃいいいいいいい!! 季節外れの怪談よりタチが悪い!! なぁ、俺、前世で何か悪いことした?)
その日は一晩中、病室で大人しくするしかなかった。