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Episode 6 異形変異

 現在タカトが急いで向かっているヴィザン地区は、アストゥロ市から南に向かったところにある。

 賑やかな繁華街のある地域なだけに、中心都市と負けず劣らず人口密度も高い。その日は平日だったが、朝から賑やかな喧騒で満ちあふれていた。

 その最中にどうやら事件が勃発したようだ。


 目撃者から入手した情報によると、その事件を引き起こした者は一見至って普通の青年だったらしい。一人の青年が突然無表情になり、スクランブル交差点の中心へと歩いて行き、そのまま不動になって……それから前代未聞の事態が引き起こされたそうだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 突然びりびりと何かが裂ける音が周囲に響いたと思ったところ、無表情で佇むその背中からのっそりと黒い何かが這い出でようとした。その裂け目からは真っ黒な液体がぼたりぼたりと滴り落ちてきている。そのさまはまるでサナギから羽化する蝶のようだと形容出来れば良かったのだが、おぞましすぎて現実はそうはいかなかった。


 脱皮したそれの身長はあっという間に五メートルを余裕で超えた。全長は恐らく十メートル近くあるだろう。そのような巨体が、一体どうやって一人の人間の体内に潜んでいたのかは不明だ。その見た目はヘビのようだが、たくさんの足が生えているところを見ると、それはまるで……


「グゲゴガゲガガガガガガガ………!!!!」


 その闇色をしたオオムカデのような生物は、奇声を発しながらうねうねと地を這い、様子をうかがっていた人々に突然襲いかかってきた。大口を開けたと思いきや、一人、また一人と、近くにいた者をあっという間に丸呑みにしてゆく。


「きゃあああああああっっ!!」


 運悪くその場に居合わせた大勢の人間達は、大混乱に陥った。

 一分間に千人位行き交うような交差点である。

 我も我もとその場を逃げようとするが、人数の多さにすぐには立ち去れそうにない。

 逃げ遅れた者から次々と巨大ムカデもどきの餌食となってゆく。

 次第にそれは人間を丸呑みにするだけでは飽き足らず、その大きな身体をムチのように振り回しては、周囲の高層ビルに体当たりをし始めた。


「何なんだこれは!?」

「良く知らんが、人間が突然巨大生物になったぞ!」

「いや、あれは人間じゃなくてアンストロンだ! 巨大生物に化けた途端、真っ黒な体液が周囲に飛び散るのをこの目で見た。あれは循環剤で血液ではない!」

「何にせよ、この変な生物を押さえ込むんだ!」

「しかしどうやって!? ……ぎゃあああああッッ!!」


 金属の砕ける音。

 逃げ惑う人々の悲鳴。

 舞い散るガラスの破片。

 赤黒い飛沫。

 押し潰される建物。

 何かがひしゃげた音。

 食い千切られた人間の手足。

 へし折れる電柱。

 飛び散る火花。

 レビテート・カーが押し潰される音。


 ――ルキラス星の観光都市の一つが一瞬で生き地獄と化した。


「やめろーっ!! うわあああああああっ!!!!」


 そこで鈍い音が鳴り響き、巻き起こった爆風で、先程まで右往左往と大暴れしていた巨体が、アスファルトの上へとなぎ倒された。

 重苦しい地響きが周囲へと響き渡る。

 その周囲にいる者達は一体何が起きたか把握出来ずその場から動けずにいた。


 すると、真っ白な土煙をかき分けるかのように、一人の青年がゆらりと姿を現した。

 彼は黒の上着と黒のスラックスを身に着け、膝裏まである裾の長い黒のコートを羽織っていた。その上、漆黒のアイバイザーで顔の上半分を隠している。下から覗く顔は、雪のように色白で、人形のように整っていた。表情が見えないため、ますます非人間的さが向上している。その右手には黒いワルサーPPK/Sタイプの拳銃が一挺握られており、その筒先からは真っ白な煙がゆらりと空に向かって立ち上っていた。その姿は、まるで死刑執行人ようだ。


 危うくムカデもどきの餌食になる寸前だった若者が一人、黒装束の青年の足元で尻もちをついている。恐怖と驚愕のあまり、口を閉じようとしても閉じられないようだ。


「あ……あああなたは……!!」

「名乗るほどの者ではない。ゆけ」

「は……ははははい。すみません!」

「……」


 形の整った唇から発せられた、同情どころか憐れみさえ感じられない、平板な声に怯えたのだろうか。助け出された若者は笑う膝を叱咤しつつ、何とかして動かし、すごすごと後ろへと下がっていった。そんな中、先程まで公共物破壊行動に勤しんでいた巨大ムカデは、標的を拳銃を持つ黒装束の美青年に変え、身体を大きくくゆらせながら襲いかかってきた。


「グガガガガガガガガガ!!!!」

「……」


 ムカデもどきが真っ黒なアスファルトに向かって頭部を突っ込むと、瞬時に大きなクレーターが出現した。

 その周囲にひびが入り、粉塵や何かの欠片が周囲に飛び散ってゆく。

 大きな破片が弾丸のようにディーンに向かって飛び掛かってきた。


 左手で支えた右手は愛銃を掲げ、彼は視線だけを左右に滑らせた。目元を覆うアイバイザーには、緑色の光が描く正方形や円と言った幾何学模様が瞬時に浮かび上がっている。標的である巨大生物から何か情報を引き出そうとしているようだ。しかし、その模様はずっと動き続けてばかりで、彼に何の信号も送ってこない。


「……」


 ディーンは表情一つ変えず、銃口を標的に向け、何発か発砲すると側方に身体を投げ出した。

 飛んできた破片を巧みに避けつつ、車輪のように転がりながら次々と発砲し、破壊され瓦礫になっている建物の壁を盾にとっては、その隙間から標的を狙い撃ちにした。


「グゲゲゲゲゲゲゲゲ!!!!」


 相手も弾道をある程度は見切っているようで、ディーンの放った銃弾を器用に避けてくる。

 被弾している筈だが、弾き返している弾もあるようで、びくともしない。

 盾にした壁の裏で彼はそっとこめかみに指をあて、空になった弾倉を素早く交換した。


「……」


 彼の漆黒のアイバイザーには、巨大生物の画像が浮かび上がり、後頭部周囲に矢印が黄色に点滅しながら表示されている。

 示してあるのは、恐らく標的の急所だろう。


 (やはり、あれはアンストロンの変異形態。では仕留められないようだ。となると、やはりの方が良いのかもしれないな……)


 ディーンは、グリップのトリガーガードとフロントストラップの間にある人差し指サイズの赤いボタンを押した。

 その時である。

 粉塵が巻き起こり、周囲が一気に見えなくなった。

 遠くから見守っている人々の中から、一際大きな悲鳴が上がる。


「!!」


 ディーンは両手で拳銃を構えつつ、今いる場所で素早く姿勢を低くして瞬時に前方へと移動した。

 すると、鈍い破壊音が周囲に響き渡った。

 頭上を凶器が通り過ぎてゆく。

 長く尖った爪のような尾だ。

 地面を大きく抉った跡が目に入ったが、凶器の正体は恐らくそれだろう。

 一瞬遅ければ首の骨をへし折られていたかもしれない。

 背後で何かが避けた音がしたと思ったら、羽織っていた黒いコートに右上から左下へと、斜めに大きな裂け目が出来ていた。


「……」


 ディーンは飛び退って、再び構えをとった。

 左右に目だけを動かし、次なる攻撃に備える。

 灰色の粉塵で覆われ、視覚が封じられそうになる。

 その時、点滅する信号が彼の金属色の瞳をとらえた。

 アイバイザーに浮かび上がっているそれは、彼に標的の方向と位置を教えていた。

 その光に導かれるように、顔を向け、呼吸を殺す。

 聴覚に神経を集中させ、標的とするものに対し、持っていた拳銃のトリガーをひこうとした。


 その時である。


「オラァアアアアッ!!」


 沈黙と緊張を破壊するような、騒々しい声と共に、赤い一陣の風が吹いてきた。

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