部長室へと呼び戻された新人エージェントは、彼の上司から勤務内容の詳細について説明を受けていた。
「……なぁヘムズワースさん、つまり、俺はその〝カルマ〟とかいうチップをその〝やべぇアンストロン〟から抜き取れば良いわけなんすか!?」
楽勝じゃん! とでも言いたげな顔をしている不良青年に対し、彼の上官は表情一つ変えず切り返す。
「残念ながら、それはあくまでも現状打破に対する〝手段〟の一つに過ぎない。我々はその〝カルマ〟をアンストロン達に埋め込む者達を捜索しているのだ」
イーサンが言うことによると、〝カルマ〟と呼ばれるものを埋め込まれるとアンストロンは自我が失われ、あやつり人形にされてしまうということだった。ただ埋め込まれているだけならまだしも、元凶である〝マスター〟から信号を受信すると〝スレーブ〟状態となり、仕掛け主以外、誰にも止められなくなるという。厄介な代物である。
〝カルマ〟を除去すると〝糸が切れた状態〟となるため、彼らは元に戻ることが出来るらしい。例えるなら、パソコンがフリーズした場合、強制終了させ、再起動させたような状態だ。ただし、それは比較的早期であればの話だった。変化が非常に分かりにくいため、カルマ経由で何かに〝感染〟した初期には見つからないことが難点だったのだ。言うまでもなく、時間が経てば経つほど元に戻らなくなるリスクが上昇する。どうしようもない場合、そのアンストロン自体を破壊しないといけなくなる。
アンストロンの体内にある「コア」――彼らにとって心臓と呼べるもの――を奪うか破壊すれば、動きを完全に止めることが出来る。近年はどちらかと言うと後者のケースがほとんどだ。エージェント達が〝アンストロン・ハングマン〟や〝アンストロン・ハンター〟と影で呼ばれる所以である。
「元凶をおさえねば事件は解決しないのだよ、タカト」
エージェントは「指令」が下ると即現場に向かい、凶悪化したアンストロンの対処に回る。それらの動きを止め、埋め込まれた〝カルマ〟を回収するか〝コア〟を奪うのが彼らの仕事だ。そこから、それらの凶悪化を引き起こす元凶達を突き止めることと、その居場所を突き止めること。それが彼らエージェント達の主な目的だ。いつ「指令」が下るのかは、誰にも分からない。
「大体理解してもらえただろうか? 初日から色々詰め込んですまないな」
「大丈夫っすよ」
「君の能力を見込んだ上でのことだ。頑張ってくれ給え。それと……」
「?」
何か言いかけたイーサンは、手元にある携帯端末の着信に気付き、すかさず「オン」にした。やがて、その凛々しい眉が、次第に鋭く釣り上がってゆくのが見えた。発信源と何かやり取りをしているのは分かるのだが、周囲は一切何も聞こえない。よって、タカトから見ても、イーサンが一体何を話しているのかは不明だった。
「……もしもし。何だと? それは本当か?」
「?」
「……続きはまた後でだ。タカト、初日早々すまないが、君に即現場へ向かってもらわねばならない事態が発生した」
「え……? 俺……!?」
まさに、寝耳に水状態だった。
◇◆◇◆◇◆
呼び出され再び執行部部長室へと舞い戻っていたタカトは、今度は大慌てで出て来た。やや焦っているところを見ると、時間的にもゆとりがなさそうである。
「野郎……! どんだけマイペースとゆーか何とゆーか……」
彼は「セーラス」本部を飛び出し、目的地であるヴィザン地区へと向かっている。着任早々突然指令が入った矢先、彼の〝相棒〟は既に目的地に向かってしまった後だったのだ。細かいことをあまり気にしない彼も、流石に動揺を隠しえない。
(まさかもう仕事が振られるとは思わなかったぜ! ええっと……確かこうするんだったよな……)
彼は先程教えられた通りに、IDチップが埋め込まれているだろう己の右のこめかみに、人差し指と中指を恐る恐るあてた。すると、突然彼の上司の〝声〟が脳内にダイレクトに聞こえてきた。
『タカト、聞こえるか?』
「うっへぇ……っっ!! 音量デカ過ぎ!! 」
エージェント達の体内に埋め込まれているIDチップは、受信機にもなっており、上層部からの指令を受けることが可能だ。受け止めた信号が骨にまで伝導して伝わってくるため、あらかじめプリセットされている音量が大き過ぎると、頭に響き渡って痛い。幾ら落ち着きのある低音ヴォイスでも、大き過ぎるとただの騒音だ。タカトは慌ててぽんぽんと指で先程と同じ部分を軽く押さえると、それはすぐさま程よい音量となった。
『大丈夫か?』
「……もう大丈夫です。お陰で眠気が吹っ飛んだっすよ」
『初日からこちらの不手際で色々すまないな。本当は君にもっと事前説明が必要なのだが、緊急事態が発生してな。他のエージェント達が別件の出向先で手こずっているようで、まだ戻って来られていないのだ。生憎今動けるのが君とディーンの二人しかいない』
「はぁ……」
『恐らく〝リーコス〟が先に到着し、対応するはずだ。その様子を見て、君が手を出した方が良さそうだと判断したら彼のサポートに回ってくれ給え。それまでは己の身を守ることに徹していれば良い』
つんつん頭の中でバディ体制の意義とは? と大きな疑問符が立った。しかし、いちいち気にしていられる状態ではなさそうなので、湧いた疑問は意識の外へと一気に放り投げた。
「はぁ……部長……本当に俺で大丈夫っすか? 」
『〝リーコス〟には君が後追いで向かうことを伝えてある。〝スコルピオス〟と〝ディアボロス〟は今の任務に目処が立ち次第、直接現場へと駆け付けてくれるようだ。私から指示を出している。彼らにあったら話を直接聞くといい』
どうやら〝スコルピオス〟〝ディアボロス〟というのが後から駆け付けるエージェント達のコードネームらしい。サソリに悪魔だなんて、随分とえげつない名前を使うものだと一瞬思ったが、とにかく、命じられた場所に赴き、なすべきことをなすしかないようだ。タカトは本日何度目かになる大きなため息をついた。
「……行くしかねぇのなら、仕方ねぇ。後でしっかり説明してくれよ。ヘムズワースさん」
『すまないな、〝レオン〟』
「それじゃあ、行ってくるぜ!!」
タカトはその場を離れた。今いる場所からヴィザン地区までは徒歩だと軽く六時間と、あまりにも時間がかかり過ぎる。道路を見回したところ、タイミング悪くタクシーさえ見つかりそうにない。
そこで彼は人差し指と親指で輪を作り、唇にあてて勢い良く口笛を吹くと、彼の眼の前に赤いスケートボードのような板が突然目の前に出現した。彼がIDチップを経由して呼び出した、
「タクシーを拾うよりこいつを使う方が、ぜってぇ手っ取り早いよな! 金もかからねぇし」
「よっしゃ! レビテート・ボードはガキの時以来で久し振りだけど、コイツの感覚は掴めたぜ!! さあ目指すはヴィザン地区!! 頼んだぞ!!」
指をぱちんと鳴らすと、その合図に応えるかのようにボードは宙を浮かびながら、目的地に向かってすいすいと動き始めた。自分の身体の周囲を心地良い風が通り過ぎてゆく感触は、非常に爽快だ。
「ひゃっほう!!」
主人を乗せたレビテート・ボードは、やがて空気を切り裂くように真っ直ぐに飛んで行った。
ボードの上で彼は目的地への思いを馳せつつ、先程までいた部長室でのやり取りを、ぼんやりと思い出していた。