廊下で一悶着を起こしていた二人(正確には、ガイスがタカトによって一方的に八つ当たりされてただけ)の間に、甲高い声が割り込んできた。二人が動きを止め声のする方向へと顔を向けると、金髪を後ろに一本に結び銀縁眼鏡をかけた女性職員が一人、ほどよくくびれた腰に手を当て、しかめっ面をして立っていた。真っ白のブラウスに黒のスーツとタイトスカートを身に着けている。首から下げられている職員証を見ると「事務部」と書いてある。どうやら彼女はガイスの同僚のようだ。
「そこの二人。仲が良いのは結構なことだけど、ここはテーマパークじゃないんだから静かにして……全く。話が全て丸聞こえよ。そしてそこのあなた。そう、赤い服を着たあなたよ。すぐ執行部部長室に戻るようにとこちらにまで連絡が入ったわ。急いで」
「え〜またかよ? 行きゃあ良いんだろう行きゃあ」
「全く……部長の古くからの知り合いだからって、ここは甘えは効かないのよ!?」
「へいへ〜い。ああそれと、伝言ありがとな!」
適当な生返事をしつつ、やや急ぎ足で部長室へと回れ右した針頭の青年を見送ったガイスは、女性職員共々盛大なため息をついた。ようやく自由になった首元のネクタイの乱れを直すと、助け船を出してくれた同僚に向き直り、人好きのする笑顔を見せた。
「やぁメリー……助かったよ。サンキューな」
「私は別にあなたを助けるためにした訳ではないわよ。伝言と迷惑極まりない騒音被害を止めに来ただけ」
メリーと呼ばれた彼女はそっけない返事を返した。その表情に同情はおろか哀れみの感情さえなかった。
「まぁいいじゃないか、そんな細かいこと。しかし、執行部は何故あいつを雇い入れたのかな」
「さあね。あの部長の気紛れじゃないかしら?」
「八割方当たってそうなのが嫌な感じだけど……もう決定事項だしな。一度決定したものは覆すことはできない。所属が違うかつ下っ端の俺達は何も言えねぇし」
「あなたの気持ちも分からなくないわ。ガイス。彼はあなたの幼馴染みなのでしょう?」
「ああ、ガキの頃からの付き合いだ。ハイスクールを卒業して以来全く会っていなかったが……まさかここで再会するとは思わなかったよ」
ガイスは後ろの首元をぼりぼりかきつつ、ため息を一つついた。軽いノリの口調と相反し、その瞳に若干曇りが見られる。彼なりに、色々気がかりなことがあるのだろう。
「あいつはあんなちゃらんぽらんな感じだが、根はすこぶるいい奴だ。付き合いの長かった俺が保証する。だからちょ〜っと心配でな」
「彼が〝リーコス〟の新しい相棒として抜擢されたこと?」
「……ああ」
「それのどこが〝ちょ〜っと〟よ。でもあの〝エフティヒア〟が適任と認めたんだから、凡人の私達には何も言えないわね」
「……確かに」
エージェント達のバディ体制に関しては、彼らの個性と能力を〝AI〟が判断し、〝最適な相性〟と判断した組み合わせで決定される。AI判断の方が、人間の感情が入り込まない分、より精度の高い組み合わせとなるだろう――上層部がそう判断したからである。因みに男女、男男、女女と、組み合わせ方に性別は特にお構いなしだ。
こうして決められたバディは、これまで文字通り相性抜群なコンビがほとんどだった。しかし、いくら優秀とは言え、AIは人間が生み出した産物である。いくらメインテナンスして管理しているとは言え、中にはAIが誤作動を起こしたのではないかと思いたくなるようなバディが生まれてもおかしくないわけで……。
「しかしディーンもディーンよね。新任エージェントに向かって、最初っから心にもない態度を、あからさまにとらなくても良いのに……人付き合いがつくづく不器用さんなんだから」
「彼は人付き合い自体、元々あまり好きではなさそうだしな。まぁ、部外者である俺達は、はらはらしながら見守るしかないけど」
ディーンは勤務歴がこの組織が正式に発足する前からという、いわゆる古参メンバーという時点で、ここセーラス内では彼らより先輩になる。
上層部からの信頼が厚いためか、死傷者の多く出やすい、非常に危険性の高い指令を下されることが多いのだ。彼の相棒を務めるには、ある程度経験者でないと厳しいものがある。よって、着任早々のど新人であるタカトが抜擢されたのは、異例中の異例だった。そのクセ、二人はどうも反りが合わないようなのだ。職業柄歯車が合わないと、死活問題へと発展しかねない。そこが目下気になる問題だ。
(まぁ、三年前のあの事件のこともあるし、ディーンの気持ちも分からなくはないが……非力な俺にはどうにも出来ん。タカト、すまねぇな)
先行きは気になるものの、答えの出ない問いにいくら悩んでも、時間の無駄である。そう思ったガイスは暗い想像を悩の端っこに押しやり、真っ先に考えねばならない事項へと思考を移すことにした。時計を見れば、あと五分ほどで昼休みの時刻である。
「なぁメリー。話が変わるけど、もう少しで昼休みだ。どこかランチに行かないか? この前見付けた良い店があるんだけど……」
「あら。素敵なお誘いは嬉しいんだけど、生憎ノラと先約があるの。また今度ね」
「ちぇ。今日は夢見は悪いし旧友にどつかれるわ、メリーちゃんには振られるは、とことんついてないなぁ! タカトはまだ忙しそうだし……サムのヤツでも誘うか……」
体よく振られたガイスは引き下がるしかなく、肩を竦めつつ、自分の所属フロアにすごすごと戻って行った。
◇◆◇◆◇◆
セーラス本部オフィス内に存在する部署は他にも色々あるが、その中で最も主力となる部門は「執行部」である。
そこに所属するエージェントはまず「人間」であることが必須条件とされ、様々な厳しい試験を合格しなければならない。実行部隊なので当然、実技試験もある。そうして試練をくぐり抜けてきた猛者達は、普段は建物内で公務員として極々普通の事務的な通常業務をしている(と、表向きではそういうことになっている)。しかし、一度「指令」が下ると「エージェント」として目的地へと向かい、標的とする「異常な機械知性体」を「狩ら」ねばならないのだ。この「指令」には絶対服従せねばならない義務があった。
彼らの主な任務は、近年各地域で暴動を起こしている「異常なアンストロン」の機能を停止させ、住民への被害を最小限に抑え、食い止めることである。
アンストロンはその製作過程において、人間で言う「理性」にあたる「ラティオ」がAIに予めプリセットされている。それが何らかの形で破壊され、凶暴化した彼らが各々思いつくままに事件を引き起こしているらしい。見た目も雰囲気も何もかもが「人間そのもの」の彼らだ。ぱっと見てすぐにアンストロンと見抜きにくいのも厄介である。
至って大人しい機械知性体が突然豹変して人々を襲い出す――ルラキス星に住む住民達は、通常の日常生活を送っていながらも、常に緊張感が絶えない状況だ。例え小さな機械知性体であろうと、規則に従わないものを「捕獲」し、「欠陥品」として「始末」する。それは、アンストロン達が引き起こす凶悪事件から人間が我が身を守る唯一の方法だった。
事件が発生するのは、常に神出鬼没だ。
全てホワイトカラーな職場である事務部とは異なり、執行部の勤務時間は基本的に昼夜問わずなので、一体いつ指令がくるのかは良く分からない。夜に何か予定を入れていたとしても、指令が来れば即現場に立ち向かわねばならないのだ。それでも、今までは業務的にはまだ単純な方だった。
ただ〝抑え込むだけ〟で良かったその業務が現在は複雑化している。アンストロンの豹変の仕方が近年常軌を逸するレベルになっているのだ。そのため、殉職するエージェントが何人も出ている。原因は分かっておらず、目下調査中である。そのことを、この時点のタカトはまだ知る由もなかった──