気がつけば、空中を漂っていた。
本当に空中なのかどうかはわからない。けど足の下に地面がなくて、上から下への重力も感じなくて、ただ、漂っているとしか言いようがなかった。
周りにはたくさんの断片が漂っていた。いくつかは映像で、いくつかは文章で、いくつかは音楽で、いくつかはよくわからない部品のかけらで、いくつかは明滅する光の玉で――この世のあらゆるものがごった煮になったような、よくわからない空間だった。
ところどころに人も漂っていた。けれど皆、意識がなかった。気を失ったまま、雑多な断片の中に埋もれていた。
声が、聞こえてきた。
「捨てないで」
「大事にして」
「もっと、一緒にいたい」
性別も年代もわからない、感情も乗っていない、言葉だけを純粋抽出したような声だった。けれどなぜか、漂う断片たちが出どころだろうとは、わかった。
私の傍に、断片たちが寄ってきた。映像は、少し前に見たのと同じものだった。アルカナムの景色や食べ物。壮華くんや蓮司くんの様子。文章の断片は、私が送ったり受け取ったりしたメールやSNSコメントの切れ端だった。
私は、意を決して話しかけてみた。
「ねえ、みんな」
断片たちがざわついた。
「ありがとうね。私のために、ずっと働いてくれたんだよね」
断片たちの間に、波が立つ。喜んでいるのか悲しんでいるのかはわからない。そもそも、これらに感情があるのかどうかもわからない。
私は、さらに続けた。
「知ってるよ。あなたたちがいろんな想いを抱えてることは。機械を設計した人の想い、プログラムを書いた人の想い、使った人の想い……いろんな想いが、あなたたちには入ってる。たぶん、抱えきれないくらいたくさん」
私は大きく両手を広げた。今の私に、身体があるのかどうかはわからない。だから、ひょっとしたら、広げたつもりにしかなってなかったかもしれない。
「いっぱい、いっぱい抱え込んで、耐えきれなくなったんだよね。……わかるよ。だって私、あなたたちを作るお仕事してたんだから」
正確にはちょっと違う。私はスマホの設計も、スマホアプリの開発もしていない。けれど、多くの想いを乗せた機械を扱う仕事は、確かにしていた。だからわかる。あなたたちに、どれだけの想いが乗っているかを。
道具というものがこの世に生まれて以来、これほど多くの想いを注ぎ込まれた存在は、きっと初めてなんじゃないだろうか。無数に生み出されて、情報という名の想いを大量に受けて、数年のうちに捨てられていく――きっとそこには、何かのきっかけですぐに弾ける澱みが、たくさん溜まっていたんだと思う。
どうすれば、この子たちを救えるのかな。抱えきれない想いを、解きほぐしてあげられるのかな。
考えた時、答えはひとつしかなかった。
「ねえみんな。……お話、聞かせて」
私が想いを抱えきれなくなった時は、蓮司くんと壮華くんが聞いてくれた。それで、私は生きていられた。
だったら、私がこの子たちにしてあげられるのも、それしかない。
私の言葉に答えて、断片たちは湧き立った。そして、私をめがけて、大波となって押し寄せてきた。
……ずっと、お話を聞いていた。
どれだけの時間が経ったのかは分からない。時間なんて、もう何の意味もないのかもしれない。
無限と思える断片たちの声に、じっと耳を傾けた。頷いて、微笑んで、相槌を打って。
話を聞いてあげると、断片はふわりと溶けて消える。けれどその後に、新たな断片が流れ込んでくる。雪をかいてもかいても、また新雪が積もってくるみたいに。
はてしなく続いたお話の果て、最後にひとつの断片が残った。蓮司くん壮華くんと同じ顔をした、でも髪も肌も、頭の上の耳も白い、妖狐の子供だった。
「母上が、泣いているんだ」
妖狐の子は、言った。
「母上に、笑っていてほしいんだ。だけど、僕じゃどうにもできなくて」
別の声が、聞こえてきた。
「坊ちゃんが、泣いているんだ」
「坊ちゃんが、泣いているんです」
ふたつとも、とてもよく知ってる声だ――蓮司くんと壮華くんの、声。
「俺でどうにかできるなら、どうにかしたい」
「僕でどうにかできるなら、どうにかしたいよ」
ああ、なるほど。そうなんだね。
ふたりとも、持ち主さんが大好きだったんだね。持ち主さんは、お母さんが大好きだったんだね。だから想いがあふれてしまった。九十九年経っていない道具から、付喪神が現れてしまうくらいに。
「ねえ」
私は、最後の断片に向けて、大きく手を広げた。
「私でよければ、お話、聞かせて」
精一杯の笑顔を、私は作ってみせた。