駅のトイレで鏡を見れば、ファンデーションはすっかりはげ落ちていた。涙の通った跡が筋になって、滲んだアイシャドウも一緒に流れて落ちている。これならすっぴんの方がよっぽどましだ。ボブカットはぼさぼさに乱れてるし、紺のスーツは涙の跡で襟元が汚れていた。こんな恰好でずっと電車に乗ってきたのかと思うと、情けなくてまた泣きそうになる。最終出社日だからって気合を入れたのが、すっかり裏目に出た。勤続たった半年、今日から見事に無職の身。
はあ、と息をひとつ吐いて、鞄を開ける。引き取ってきた私物と、退職関連の書類とに埋もれたスマホを取り出すと、いつのまにかショートメールの着信があった。妹からだった。
『
そうだね、確かに最近実家には帰ってない。行く用事もなかったし、毎日残業続きだったし。……仕事は、今日からなくなっちゃったけど。
今の状況、父さんと母さんにはどう説明すればいいんだろう。梢にだけはそれとなく伝えてあるけど、二人に知られたら何を言われるか……父さんの怒鳴り声と、母さんの溜息まじりの呆れ声が、勝手に頭の中に響いてくる。
ああ、皆のいないところへ行きたい。何を言っても、どれだけ愚痴っても、みっともなく泣いても、黙って聞いてくれるところへ行きたい。
幸いにも、心当たりはある。不定休の頻度が高めだから、今日開いてるかどうかは運だけども。
指先が勝手にショートメールを閉じて、スマホの通話履歴を開く。いくつも並ぶ同じ登録名――『アルカナム』をタップすると、数回の呼び出し音の後、電話は繋がった。よかった、今日は開いてるらしい。
「……お世話になっております」
聞きなれた、低めの落ち着いた声。黒いもやが詰まっていた胸の奥が、すうっと落ち着いていく感じがする。
「喫茶アルカナム、
「私だよ。
溜息めいたかすかな音の後、返事があった。
「声に力がないな。また、仕事で何かあったのか」
「蓮司くんはすっかりお見通しだね。でも仕事の話は、今日で最後だと思う」
「……最後?」
「先月、大泣きした時あったよね。来月いっぱいでクビになっちゃう、って。それで――」
「……そうか」
電話越しの言葉が、挽きたてコーヒーの香りと温度を運んでくるようで、油断するとまた泣きそうになる。だめだよ堪えなきゃ、アルカナムに着くまでは。
「……今日は、ちゃんと二十時まで開けてる。あんたが来るなら、早じまいもしない……が」
「どうしたの」
「今日は月の光が弱い。闇に呑まれないよう気をつけろ……じゃあな、待ってる」
電話が切れた。スマホを耳から離すと、トイレの外で行き交う人々のざわめきが、騒がしく耳へ入りこんでくる。金曜夜の晴れやかな空気が、今はひどく毒だ。耐えられなくなる前に、行かないと。
書類と私物でぎゅうぎゅうの鞄を抱えて、私は、騒がしいエキナカの地下街へ一歩を踏み出した。