食事が終わった後、
食堂にはアーサーとセレナの二人だけが残されていた。
レイアとアリオンは食堂を先に出ており、各自部屋に戻ったようだ。支払いは先に済ませた後である。
周囲に人がいなかった。
まだ営業終了までは充分過ぎる位時間はあるのだが、今日はこちらの客の入りも少ないようである。
店員は後片付けに集中している。
それを流し目で確認した後、アーサーは向かい側に座っているセレナに話しかけた。やや慎重気味な顔だ。
「セレナ。君に一つ話しておきたいことがある」
「何?」
アーサーはカップの中身を喉に流し込むと、ふうとため息を一つついた。テーブルの上にカップを置くと、硬質な音が周囲に静かに響いてゆく。
「今回の一件が落ち着いたら、君、独り立ちしないか?」
「え?」
突然の申し出に、セレナは頭を後ろから金属の棒で強く殴られたような衝撃を受けた。
今まで続けてきた同居生活を解消しようと言うのだ。
セレナは金縛りにあったように、動けなくなった。
「突然すまない。中々二人きりになるタイミングがなかったものだから。本当はもう少し早めに言うべきだったと思ったのだが、レイア達の一件が入り込んで来て、すっかり先延ばしになってしまった」
「……」
セレナは空色の瞳で相手を正視出来ないまま、テーブルの上に視線を落としている。
とくん。
とくん。
とくん。
心臓の音が身体全体に響き渡ってくる。
胸のあたりが絞りあげられるような痛みが走った。
息が詰まりそうになる。
「君がうちに来て、あれからもう二年になる。君は医術師としての腕はあるし、護身の技術は可能な限り教えた。あの頃に比べ大分しっかりしてきたから、もう大丈夫だと思う」
「私……やっぱり、あなたの足手まといかしら?」
セレナは一生懸命絞り出すように声を出した。
それでも少し声がかすれてしまう。
「そうとは言ってないだろう?」
「じゃあ、あなたはどうして今そんなことを言うの?」
「俺のせいで、君を色々と危険に巻き込みたくないからだ」
「あなたのせいって……」
「後は先程も話したが、俺は基本的にアモイ山から動けない。君まで拘束したくないんだ」
「……」
納得出来ず、やや伏し目がちになっているセレナに、アーサーは視線をゆっくりと合わせようとした。それに対し、セレナはあえて視線を合わせようとせず、やや逃げ腰だ。
「君くらいの年ごろの娘ならおしゃれしてもっと外に出たり、遊んだりしても良いはずだ。なのに、君は薬の調合や薬草詰み以外はずっと家の中で家事労働に勤しんでいる。独り者なのに、今のような生活ばかりでは君のためにならないと思うのだ」
それに……とアーサーは言葉を続けた。
その瞳は必死で訴えかけている。
「俺の傍にいると、今後どうなっていくか分からない。下手すると、今以上にもっと危険なことに首を突っ込むことになるやもしれない。俺は、君をこれ以上危ない目に遇わせたくないんだ」
アーサーがそこまで言った後、少し沈黙が続いた。
数秒した後、俯きかけていたセレナが顔を上げ、紫色の瞳を真っ直ぐとらえると、愛らしい唇を薄く開け、ぽつりと言った。
「……ねぇ、アーサー。もう手遅れよ」
「え……?」
「分からない? 私、あなたがいないと生きている気がしないの」
「セレナ……?」
アーサーは驚きのあまり、言葉を失っている。
そんな彼の瞳を大きな空色の瞳は逃そうとせず、言葉を続けた。
彼女は両手で彼の大きな両手をふんわりと優しく包み込む。
温もりを何とかして届けようとするかのように。
「私、あなたの役に立ちたいの。あなたを助けたいの……だめ?」
「でも、それでは君が籠の中の鳥状態だぞ」
「私は構わないわ」
「しかし……!」
「あなたが、自由そうに見えて実はそうでないこと、私、何となく分かっていたわ」
「……」
「ずっと一人で抱え込もうとしないで。あなたの悪いところよ。このままだと、あなた自身が擦り切れてしまうわ……」
「……」
「あなた一人で問題を背負うんではなくて、私は一緒に背負いたいの。私がしたいことはただ、それだけ」
セレナはそこまで一気に言った後、一つ大きな深呼吸をして言った。
「でも、これは私の意見。一方的に自分の意見をあなたに押し付ける気は全くないの。今の一件が終わるまで、よく考えてちょうだいね」
セレナはそう言い終えると、手をそっと放した。
席を立つとその場を後にし、自分の割り当てられた部屋にへしずしずと向かってゆく。
アーサーはその後ろ姿に、かつて自分が「にんじんみたいな色」とからかっていじめていた、小さな姿を重ねた。あの時の彼女はとても小さくて、やせっぽちだったのだが──
(セレナ……君は……)
一人残されたアーサーは、テーブルの上で頭を抱えこんでいた。
(あの時は彼女の一時的な避難所になれればと思った俺自身が、彼女の自由を奪ってしまったのか?)
先ほど自分の手を包み込んでいた小さな手の温もりが、見守っているかのように残っている。
(俺は、どうしたら良いんだ……?)
そんな彼を、灯りはぼんやりと明るく照らし続けていた。
⚔ ⚔ ⚔
窓の外から、歌声が聞こえてくる。
低く穏やかで、柔らかな歌声だ。
夜空へと静かに響いている。
透明でいて、どこか哀しみの色を帯びているが、いつまでも聴いていたくなるような、艶のある美しい声だった。
(一体誰が歌っているのだろう? )
寝る準備をしていたレイアは部屋を出て、その歌声に吸い寄せられるように歩いていると、今度はパチパチと何かが燃える音が響いてきた。
どうやら、焚き火の音のようだ。
音と光の発生源へと近寄ってみると、白いシャツを着た、見覚えのある背格好が見えてきた。
川の前に開けた場所があり、焚き火が出来るようにしてあるようだ。その中で火が柔和な音を立てて燃えており、横にはまだ燃やされていない新しい薪が積まれている。
そこに木でできた長い横がけがあり、彼はそこに腰掛けていた。
緩やかなウェーブのかかった明るい茶色の髪を一本に結んで、背中に垂らしている。
焚き火の灯りに照らされた横顔は、良く磨かれた明るい玉のように美しい。
薄い唇が動き、そこから紡ぎ出される歌は、レイアが聞いたことのない歌だったが、とても美しい歌だった。
心の芯に真っ直ぐ響いてきて、胸に迫るものがあり、泣きたくなってくる。
(そう言えば人魚って美しい歌声を持つと言われていたっけ。その歌声に聞き惚れた船はことごとく岩場にぶつかって沈没していったというはなしをどこかで聞いたことがある。アリオンの歌声が綺麗なのもうなずけるな)
レイアはそのまま、その歌に聴き入っていた。
彼女は、アルモリカ王国で見たことを思い出した。
アリオンが海を見つめるときの、思い焦がれるようなあの瞳。
帰りたくて仕方のなかった大切な生まれ故郷が、心無い者達の手によって無惨にも破壊されていた。
国のシンボルたる旗でさえ凄惨たる有様だった。
きっと美しく輝いていただろう海さえもすっかり色褪せていた。
今のあの国は、死に体だ。
本来であれば命をなげうってでも守らねばならない自分は、ほぼ何も出来ない状態に置かれている。
その胸の内はやるせない思いで、どんなにか苦しいだろう。
(これまで色々あったから、きっと彼なりに思うところがあるんだろうな。だから歌を歌っているに違いない。ここは一人にしておいた方が良さそうだな……)
レイアはその場を静かに離れようとしたが、不覚にも足元に落ちていた小枝を踏み、パシリと音を立ててしまった。
(しまった! )
音に気付いた王子がゆっくりと振り返った。
その表情は普段と変わらない彼だったが、どこか近寄りがたい空気を感じた。
彼女の姿を認めた金茶色の瞳が瞬時に大きく見開かれる。
「レイア? こんな時間に一体どうしたんだ? 」
「いや……綺麗な歌声に惹かれて歩いてきたら、ここまで来ちゃったんだ。邪魔したようでごめん。すぐ部屋に戻るから……」
自室に戻ろうとするレイアの左手首をアリオンの右手がそっと掴んだ。手から伝わってくる彼の温もりに、レイアの身体全体がびくっと震える。そんな彼女に王子は優しく声をかけた。
「邪魔ではないよ。良かったら少し話しをしないか? 無理にというわけではないから、嫌なら嫌と言ってくれれば構わない」
「ううん。大丈夫。じゃあ少しだけ……」
逆らえないままアリオンに手を引かれ、誘われるままレイアは長い腰掛けにちょこんと腰かけた。その隣に彼はゆっくりと腰掛け直した。
焚き火が火の子を爆いてゆらゆらと静かに燃えていた。