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第二十二話 アーサーの心配

──レイアとセレナが大浴場にいる時。

 アリオンとアーサーはまだ店に残っていた。

 二人の前にはカップが二人分置いてある。

 中には葡萄酒が注がれていた。

 二人の間に置いてある木皿には、木の実やドライフルーツが数種類ずつ盛られている。もう一つの皿には真っ白なライ(チーズ)が乗せられていた。つまみやすいよう、木製の楊枝が刺してある。


「ところで、あんた酒は飲めるか?」

「私は大丈夫だ」

「それは良かった」


 二人はカップをカチリと合わせた。

 ここまで無事にたどり着いたことへの祝杯だ。

 アーサーはその一つを手に取り口に含むと、フルーティな香りと共にルビー色の小さい波が、のどの奥へするりと流れ込んでいった。


 (こいつは渋みがなく、実に爽やかな飲み心地だ。

 店員から聞いた通り、非常に飲みやすい。その癖次の日に響きにくいとも聞いた。軽く飲むにはうってつけの酒だな)


 アーサーは「旨い」とため息を一つつくと、王子と向き合った。


「すっかり遅くなったが、先日はレイアを守ってくれてありがとう。あらためて礼を言う」

「礼を言われる程のものでは。今の私に出来ることをしただけだ」

「謙遜しなくていいぞ。その“今出来ること”であんたは文字通り死にかけた訳だから。レイアにも忠告したが、これから先はどうなるか皆目見当がつかない。くれぐれも無理はしないようにな……少なくともその鍵が見付かるまでは」


 アリオンはふと自分の左手首を戒めつづけている黒い腕輪に視線を落とし、一瞬だが痛そうに目を細めた。

 幽閉されていた時と異なり身体は自由である筈なのに、まだ首輪でつながれているような気分だ。


「……ああ。気を付ける」 

「はなしを戻そう。彼女は俺達の大切な幼馴染みだ。実は彼女の養親に頼まれていてな。『自分にもし何かあった場合はレイアを頼みます』とね。だから、あんたと彼女が崖下で倒れているのを見掛けた時は正直肝を冷やした。まあ、その親も去年急な事故でもうこの世を去っているのだが……」

「ひょっとしてあの首飾りの持ち主か?」

「そうだ。……て、ああそうか。レイアから借りていたと言ってたな」


 王子はカップに口を付けて、一口飲んだ後で、楊枝に刺してあるライを一個口に入れた。

 口内の温度で柔らかくなったライは、残っている酒の風味と口の中で混ざり合い、ゆっくり甘美な味へと変化してゆく。


「あいつは小さい頃両親に死なれて、養親に連れられてコルアイヌ王国に来たんだ。昼過ぎにも話したと思うが、何故か記憶を一部なくしていて、何とかして取り戻そうとしている」

「そうか」

「俺としては、無理して思い出そうとしない方がいい気はするのだが」

「何故だ?」


 アーサーはぐいとカップをあおり、中身をのどに流し込み、木の実を一つかじる。


「俺が思うに、彼女の記憶喪失は明らかに他者の手によって意図的になされたものだ。目的は不明だがな。誰が彼女にそうしたのかさえ分からない。しかし、過去を失わせたままの方が彼女にとって幸せなのかもしれんな。ほら、良く言うだろう?」

「〝知らないほうが良いこともある〟というやつか」

「ああ。俺は心配なんだ。最近、特にこの旅を始めてあいつは変わった。いや、変わろうともがいている」


 アーサーは思い出した。

 レイアが時々頭の痛みに襲われ、その苦痛に堪えている時があることを。

 その頻度が急に上がっているのだ。

 表情一つ変わらず一見楽しそうにしていても、冷や汗を流している時があるので、すぐ分かる。


 (今セレナがついているから大丈夫だと思うが……)


 レイアは何としてでも失った記憶を取り戻そうとしている。

 その度に苦しい思いをしていて、痛々しくてたまらないのだ。

 でもだからと言って、現実には何もしてやれない。


「彼女の場合、どうやら両親と過ごした時期の大切な記憶を全てなくしているようなんだ。養親であるレイチェルさんのお陰で、彼女はのびのびとした明るい娘に育った。しかし、彼女は知らないことを無意識に抱えたままの状態なんだ。そして、レイチェルさんはその真実を伝えないまま、思わぬ事故で旅立ってしまった」


 レイチェルの葬儀の時ですら、レイアは涙一つ見せずに普段通りの表情をしていた。

 それからずっと気になって、諸事手伝いをするという理由でアーサーは時々様子を見に行ったりしていたが、彼女は特に変わった様子を見せることもなく今に至っている。

 それが逆に心配なのだ。

 彼女はアーサー達に気を遣い過ぎている。

 かれこれ十年以上の付き合いなのに。


「レイアは、大切な者はみんな自分を置いて行ってしまうと、無意識に思っているようだ。タフそうに見えるが、彼女は結構脆いところがある。それが見ている側からすると危なっかしくてならんのだ」

「そうか。しかし、どうしてそのはなしを今私に?」

「……そうだな。何故だろうな。きっと、あんたにただ聞いて欲しかったのかな。そして、あんたはレイアのことをきっと理解してくれると、思っているからかもしれんな」


 アーサーはそう言うと、優しい微笑みを王子に向けた。


 先日サンヌ崖の下で二人を見掛けた時、

 アーサーは心底驚いた。

 見知った顔が知らない青年の身体の上で倒れていたのだ。

 その彼も眠っているかのように身動き一つしていない。

 ぱっと見、抱き合っているように見えた。


 愛用の剣を抱き締めたまま意識のないレイア。

 その剣はレイチェルから授けられた大切なものだ。

 絶対になくしたりせぬように、無意識に守ろうとするかのように腕の中で抱え込み、身体をやや丸くしていた。

 そんな彼女をしっかりと守るよう、アリオンは両腕で包み込んでいた。

 彼女がこれ以上傷付かないように……。


「これから先、どうなるか予測がたたない。あんた自身が一番大変だと思うが、出来ればレイアのことを気にかけてやって欲しい。今の俺が言いたいのはそれだけだ」

「……分かった」


 今後、今まで以上にレイアが傷付くことが出てくるに違いない。

 彼女を気にかけられる者が一人でも多い方が安心だ。

 そして、この王子ならいざという時きっとレイアを守ってくれるだろう。

 アーサーはそう思った。

 〝力〟が腕輪のせいで己を殺す力へと変化すると分かっていながらも、その〝力〟を使ってレイアを守ってくれた、彼はそんな優しい人魚だから。


 後は他愛無いことだらけな内容となったが、男二人での話しは、酒の力でより滑らかになったお陰でまだまだ続いた。

 夜も少し遅くなってきたからか、店内の音も更に静かになっていった。

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